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「バッハ・コレギウム・ジャパン」の「モーツァルト」を聴く

2015-11-23 02:25:52 | 音楽を聴く
 初体験が多い、楽しいコンサートだった。
 岐阜サラマンカホールでのバッハ・コレギウム・ジャパン(以下 BCJ と省略)のコンサートは「オール・モーツァルト」のプログラムであった。

 このBCJ は、その名の示す通り、バッハのカンタータなどを主として手がけてきて、モーツァルトに関しては「レクイエム」やミサ曲などの宗教曲は若干演奏してきたが、その交響曲はこの会場でもって本邦初演だという。

           

 それは最後のお楽しみで、まずはモーツァルトの「音楽時計のためのファンタジア K.608」と同じく「音楽時計のためのアダージョとアレグロ K.598」の演奏だ。
 これらの曲、「自動オルガンのための・・・」と表記されることもある。モーツァルトはそれらを三曲作っているが、そのうちの二曲が演奏された。

 奏者はBCJ のリーダー鈴木雅明氏とその子息の鈴木優人氏の4手によるもの。ピアノの連弾はよくあるが、オルガンの4手は始めてだ。
 どうして4手かというと、この曲、題名にあるようにもともと人間が演奏するようには作られていない。時計じかけの自動オルガンという機械に演奏させるためための曲である。オルゴールのオルガン版といったところだろう。
 で、その曲は、生身の個人がひとりで演奏することは不可能なのだ。
 ただし、私の持っているCDでは個人で演奏されているが、これは一人用にアレンジされた楽譜によるものだという。

 サラマンカホールのオルガンは、今はなき世界的なオルガン製作者辻宏氏の手になる逸品だ。岐阜県の白川町の廃校に制作現場を構えていた辻氏は、スペインのサラマンカ大聖堂のオルガン「天使の歌声」の修復を依頼されたのだが、依頼主の方の資金不足で中断されそうになったのを、自らがその修復資金を集めてこれを成し遂げたという逸話の持ち主だ。
 岐阜のこの音楽ホールが「サラマンカホール」と名付けられたのはその縁によるもので、ホール外部の2階部分は、サラマンカ大聖堂のレリーフのレプリカで飾られている。

           

 パイプオルガンは2手でも迫力があるが、4手となるとまた格別だ。真正面に陣取った私は、まるでオルガンの音の渦潮に巻き込まれたかのようだった。
 
 ついでは、「エクスルターテ・ユビラーテ K.165」だ。これは一般的には、「モテット 歌え、踊れ、幸いなる魂よ!」ともいわれる。
 この曲は、ソプラノと管弦楽の掛け合いによって進行するもので、いわば、ソプラノ協奏曲ともいうべきものだ。
 このソプラノは一人でオーケストラと対峙しながら歌うのだから、その声量でも歌の明瞭さでもかなりの力量を求められる。モーツァルトの作曲時にこれを歌ったのはカストラート(去勢され、声量のみは大きく、ソプラノの領域が歌える男性歌手)だったという。

 今回歌ったのは、イギリスのソプラノ歌手、キャロリン・サンプソンで、彼女はモーツァルトの「レクイエム」でもBCJ と共演している。
 オケはもちろん、鈴木雅明指揮のBCJ 。

 この曲、最後の楽章でヘンデルの「メサイア」同様、ハレルヤが連呼されるれっきとした宗教曲なのだが、若干16歳の彼がミラノにのり込んで書いたというだけに、青春の躍動感、艶っぽさに満ち満ちている。だから私には「エクスルターテ・ユビラーテ 」といういい方よりも「歌え、踊れ、幸いなる魂よ!」のほうがピンとくるのだ。
 これはむかし、落ち込んでいた時に聴いて、ハッと姿勢を正した思い出の曲だ。

               

 休憩を挟んで最後はかの「40番 K.550」。
 BCJ が宗教曲以外のモーツァルトの曲を演奏するのは本邦始まって以来だということははじめに述べた。
 これはあまりにも著名な曲だから何も加えることはないが、その演奏について気づいたことを。

 テンポはやや速めでメリハリが効いている。かといって固いわけではない。それは一つにはここで使われている楽器がモーツァルトの時代、ないしはさらに古い、いわゆる古楽器であるからその音色のせいもある。そしてまた、音階上の周波数をやや低めに設定しているせいもあるかもしれない。
 ヘルツがやや低く設定されていることは解説で知ったのだが、やはり、その出だしからやや低いと思った。調べたことがないからわからないが、私にも絶対音感があるのかもしれない。

 さらに演奏に戻ると、この曲は叙情性が豊かだから、指揮者やオケによっては、強弱や緩急をいろいろ変化させてさらにそれを強調する向きがある。ようするにロマン派への引き寄せである。
 その意味では、BCJ の演奏はいってみれば逆のベクトル、いわばバロックへと引き寄せた演奏といえるかもしれない。そして、そこにこそ、BCJ がこれを演奏する意味があるのだろう。

 はじめは、う~ん、いつも聴いているのとはいささか違うなと思うのだが、第2楽章、第3楽章と進むに連れて、なるほど、これがモーツァルトが呼吸していたその息遣いかなと感じさせる。
 そして終楽章、バロック音楽の指揮者は普通こんなに激しくは動かないだろうと髪振り乱した指揮のうちに、何度かの変調があり頂点に至る。その段階ではすっかり説得され尽くして、ウ~ン、やはりこれだと思ってしまうから音楽表現の力は不思議だ。

 始めに書いたように、初物尽くしで実に楽しい演奏会であった。アンコールもあったし、途中、鈴木親子のトークなどもあったから、多分かなり時間も延長しているだろうと思って終了時に時間を確認したら、2時間丁度であった。しかし、私にとってはとても充実した時間の過ごし方だった。

          

 会場出口では、全員に、コジャレた袋に入った富有柿が一個ずつプレゼントされた。聞けばこの柿、ただの柿(ただでくれたけれど)ではなく、まだ小さい「ガキ」の頃から、モーツァルトを聴かせて育てた柿だとのこと。サラマンカホールもなかなか粋なことをする。もちろん営業努力の一環であるが、地方都市にしてはプログラム編成にもなかなか努力をしていると思っている。
 
 岐阜へ比較的容易に来ることができる名古屋圏の皆さん、サラマンカホールで検索してお気に入りの出し物があったら、私がチケットを手配しますよ。サラマンカメイトに入っているので、一割引きで入手できます。
 場合によっては私もご一緒して、帰りに岐阜の街で一杯なんてのもお付き合いしますよ。午後3時、4時からの演奏会もありますから、お帰りの心配はありません。


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