16日付「朝日」は、動植物の外来種についてその一、二面を割いています。
といっても、この外来種は、日本から渡っていった外来種で、つまり侵入された諸外国にとっての外来種なのです。
かねてより日本では、背高泡立草や金鶏菊、ブラックバスやブルーギル、そして最近では物騒なピラニアや噛みつき亀なども話題になっています。そんなに派手ではないのですが、日本の在来種をほとんど駆逐してしまって、それが主流になっている外来種すらあります。
すべての戦争の犠牲者への献花です
それらが報じられるたびに、日本からよその国へ行ったものはないのだろうかという疑問が頭をかすめたことがあります。日本は島国だから・・・とはいうものの、それならば入ってくるときも同じなので、これだけいろいろ来ているのなら、こちらから行ったものもあるのではないかというのがその疑問でした。
果たせるかな、それらが確実にあり、しかもある地域では従来の生態系を破壊するばかりか、直接の害をもたらしているというのです。例えばイタドリ、クズ(葛)、マメコガネ(虫)、ヒトスジシマカ(蚊)、それにワカメなどもそれに当たるのだそうです。
イタドリは子供の頃、おやつ代わりに塩を付けて食べました。今でも山菜料理に用います。
葛は、その根からくず粉を採り、葛饅頭や葛切りの原料にします。もっとも、本物のくず粉を使用しているのは高級料亭などに限られ、普通は単にデンプン質で代用されているようです。
ワカメは少し驚きますね。あんな美味いものが・・・と思うのですが、それはこちらでの食習慣、あちらではその辺の岩礁や潮だまりの生態系を侵し、固有の魚介類に影響を与えているのだそうです。
ところで話は180度ほど変わり、時期的に敗戦記念日に関するものになるわけですが、沖縄、広島、長崎ををはじめ国内各所で、そして海外で無念の死を迎えた兵士や在外邦人についての慰霊がこのときとばかり行われます。私たちはその被害者であったり、その末裔であったりするのです。
原爆をはじめとするアメリカの無差別爆撃は悲惨でした。
戦地の兵士たちも圧倒的な軍事力の差のもとで敢えない死を強要されました。
どうしてこんなことになったのかはここでは敢えて言いますまい。
8月15日に行われた全国戦没者慰霊祭では、麻生総理はその挨拶の一節で次のように述べました。
「我が国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国に対して、多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して深い反省ととともに、犠牲になられた方々に謹んで哀悼の意を表します」
ようするに、私たちが被害者としてのみではなく、加害者であったことを率直に認めた一文です。
おそらく麻生総理にとっては、公の場で総理として挨拶するのはこれが最後でしょう。その挨拶を彼は無難に(読み違えることもなく)やってのけました。ご苦労様と率直に言いたいと思います。
話は再び180度ほど変わるのですが、従来より、外来種が日本に入ってきて困るといっていたわけですが、よく調べると、日本からも諸国へとかなりのものが進出しているのが現実なのです。その事実と、日本の敗戦の受け止め方にある瑕疵のようなものがオーバーラップするのです。
麻生総理の言うごとく、私たちはあの戦争の被害者であったばかりではなく、他国の人にとっては圧倒的に加害者であったわけです。私たちは、総理共々それを深く肝に銘じるべきだと思います。
さらにいうならば、私たちは好むと好まざるとに関わらず国際的な諸関係の中で行為しています。ということはそれらの判断や行為は国際的な評価やリアクションに当然曝されるわけで、国内的な基準のみで物事を考えることは出来ないのです。
やはり15日夜、NHKは日本の核武装の是非を問う番組を放送しました。あんなに核武装論者がいるというのは驚きで、NHKが議論を組み立てるために多めに集めたのではないかと疑われるのですが、ここで問題にしたいのは核武装論者の国際感覚の欠如とノーテンキぶりです。
百万歩ほど譲って、日本の核武装を是としましょう。彼ら核武装論者はそう決意さえすればそれが可能であるかのように幻想しています。
朝鮮人民民主主義共和国の核武装に対して、国連をはじめ周辺諸国が、とりわけ日本がどれだけの抵抗を示しているかは周知の通りです。それに反して、日本の核武装化は世界や周辺諸国から歓迎されるでしょうか。そんなことは決してありません。
日本に関しては(ドイツ同様)侵略の前科がありますから、それに倍する抵抗は必至です。日本経済の生命線である輸出入は全面的に止まるでしょう。当然、石油や天然ガスの供給も停止され、国内のインフラ自体の存続が危機に瀕します。
かくして、核を保有しようとすること自体がこの国を国際的に孤立せしめ、外交、経済などあらゆる面で計り知れない混乱と不安をもたらすのです。
ようするに、日本を今日の朝鮮人民民主主義共和国の状況に追いやることなく、核を保持することなど不可能なのです。
この一事をもってしても、核を保有することによる平和(?)よりも、周辺諸国との友好関係の維持進展による平和という選択肢の方がはるかに現実的なことは明らかなのです。将軍様を嫌悪し、それへの対抗措置として核武装を叫ぶ人たちが、将軍様と同様、国際社会からの孤立への道をやみくもに走ろうとしているのは皮肉というほかありません。
ようするに、より強力な武器と軍備による体制の保持を叫ぶことは、対外的な孤立(日本の核武装を支持する国があるとは思えません)と、対内的には戦前の治安維持法下の抑圧社会や、将軍様支配下の貧困と独裁の体制へと行き着くのです。
動植物の往来は、その是非はともかく、地球がひとつの連帯のもとにあることを如実に示しています。しかも、その移動そのものが一方通行ではなく双方向的で主客が渾然一体化しているのと同様、国際的な諸関係においても、どこかがどこかを一方的に支配する、ましてやそれを武力でもってすることが次第に非現実的であるようになろうとしていますし、その趨勢はますます進むことでしょう。
もちろんこれは楽観的すぎるかも知れません。しかし、その楽観に賭け、それを実現して行く以外に人類の将来はないのです。
といっても、この外来種は、日本から渡っていった外来種で、つまり侵入された諸外国にとっての外来種なのです。
かねてより日本では、背高泡立草や金鶏菊、ブラックバスやブルーギル、そして最近では物騒なピラニアや噛みつき亀なども話題になっています。そんなに派手ではないのですが、日本の在来種をほとんど駆逐してしまって、それが主流になっている外来種すらあります。
すべての戦争の犠牲者への献花です
それらが報じられるたびに、日本からよその国へ行ったものはないのだろうかという疑問が頭をかすめたことがあります。日本は島国だから・・・とはいうものの、それならば入ってくるときも同じなので、これだけいろいろ来ているのなら、こちらから行ったものもあるのではないかというのがその疑問でした。
果たせるかな、それらが確実にあり、しかもある地域では従来の生態系を破壊するばかりか、直接の害をもたらしているというのです。例えばイタドリ、クズ(葛)、マメコガネ(虫)、ヒトスジシマカ(蚊)、それにワカメなどもそれに当たるのだそうです。
イタドリは子供の頃、おやつ代わりに塩を付けて食べました。今でも山菜料理に用います。
葛は、その根からくず粉を採り、葛饅頭や葛切りの原料にします。もっとも、本物のくず粉を使用しているのは高級料亭などに限られ、普通は単にデンプン質で代用されているようです。
ワカメは少し驚きますね。あんな美味いものが・・・と思うのですが、それはこちらでの食習慣、あちらではその辺の岩礁や潮だまりの生態系を侵し、固有の魚介類に影響を与えているのだそうです。
ところで話は180度ほど変わり、時期的に敗戦記念日に関するものになるわけですが、沖縄、広島、長崎ををはじめ国内各所で、そして海外で無念の死を迎えた兵士や在外邦人についての慰霊がこのときとばかり行われます。私たちはその被害者であったり、その末裔であったりするのです。
原爆をはじめとするアメリカの無差別爆撃は悲惨でした。
戦地の兵士たちも圧倒的な軍事力の差のもとで敢えない死を強要されました。
どうしてこんなことになったのかはここでは敢えて言いますまい。
8月15日に行われた全国戦没者慰霊祭では、麻生総理はその挨拶の一節で次のように述べました。
「我が国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国に対して、多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して深い反省ととともに、犠牲になられた方々に謹んで哀悼の意を表します」
ようするに、私たちが被害者としてのみではなく、加害者であったことを率直に認めた一文です。
おそらく麻生総理にとっては、公の場で総理として挨拶するのはこれが最後でしょう。その挨拶を彼は無難に(読み違えることもなく)やってのけました。ご苦労様と率直に言いたいと思います。
話は再び180度ほど変わるのですが、従来より、外来種が日本に入ってきて困るといっていたわけですが、よく調べると、日本からも諸国へとかなりのものが進出しているのが現実なのです。その事実と、日本の敗戦の受け止め方にある瑕疵のようなものがオーバーラップするのです。
麻生総理の言うごとく、私たちはあの戦争の被害者であったばかりではなく、他国の人にとっては圧倒的に加害者であったわけです。私たちは、総理共々それを深く肝に銘じるべきだと思います。
さらにいうならば、私たちは好むと好まざるとに関わらず国際的な諸関係の中で行為しています。ということはそれらの判断や行為は国際的な評価やリアクションに当然曝されるわけで、国内的な基準のみで物事を考えることは出来ないのです。
やはり15日夜、NHKは日本の核武装の是非を問う番組を放送しました。あんなに核武装論者がいるというのは驚きで、NHKが議論を組み立てるために多めに集めたのではないかと疑われるのですが、ここで問題にしたいのは核武装論者の国際感覚の欠如とノーテンキぶりです。
百万歩ほど譲って、日本の核武装を是としましょう。彼ら核武装論者はそう決意さえすればそれが可能であるかのように幻想しています。
朝鮮人民民主主義共和国の核武装に対して、国連をはじめ周辺諸国が、とりわけ日本がどれだけの抵抗を示しているかは周知の通りです。それに反して、日本の核武装化は世界や周辺諸国から歓迎されるでしょうか。そんなことは決してありません。
日本に関しては(ドイツ同様)侵略の前科がありますから、それに倍する抵抗は必至です。日本経済の生命線である輸出入は全面的に止まるでしょう。当然、石油や天然ガスの供給も停止され、国内のインフラ自体の存続が危機に瀕します。
かくして、核を保有しようとすること自体がこの国を国際的に孤立せしめ、外交、経済などあらゆる面で計り知れない混乱と不安をもたらすのです。
ようするに、日本を今日の朝鮮人民民主主義共和国の状況に追いやることなく、核を保持することなど不可能なのです。
この一事をもってしても、核を保有することによる平和(?)よりも、周辺諸国との友好関係の維持進展による平和という選択肢の方がはるかに現実的なことは明らかなのです。将軍様を嫌悪し、それへの対抗措置として核武装を叫ぶ人たちが、将軍様と同様、国際社会からの孤立への道をやみくもに走ろうとしているのは皮肉というほかありません。
ようするに、より強力な武器と軍備による体制の保持を叫ぶことは、対外的な孤立(日本の核武装を支持する国があるとは思えません)と、対内的には戦前の治安維持法下の抑圧社会や、将軍様支配下の貧困と独裁の体制へと行き着くのです。
動植物の往来は、その是非はともかく、地球がひとつの連帯のもとにあることを如実に示しています。しかも、その移動そのものが一方通行ではなく双方向的で主客が渾然一体化しているのと同様、国際的な諸関係においても、どこかがどこかを一方的に支配する、ましてやそれを武力でもってすることが次第に非現実的であるようになろうとしていますし、その趨勢はますます進むことでしょう。
もちろんこれは楽観的すぎるかも知れません。しかし、その楽観に賭け、それを実現して行く以外に人類の将来はないのです。