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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

国民学校一年生が観た心象風景・・・短歌もどきに

2009-08-18 14:45:32 | 想い出を掘り起こす
 今を去ること64年、あの敗戦の夏、私は国民学校一年生でした。
 その国民学校一年生の戦争の記憶を中心に、短歌風に三十一文字(みそひともじ)にしてみました。
 短歌もどきにすぎませんが、ご笑覧を。


     

      見はるかす街ことごとく焼け落ちてあのひと夏の山は近くあり

      広島に特殊爆弾落つを聞き焼夷弾の何倍かと問う

      野に遊ぶを白きシャツなど着せられて正座させられ聞きし玉音

      玉音の背後で囃す蝉時雨 堪え難きを堪え堪え難きを堪え

      ミャンマーに実父は死してシベリアに養父囚われ戦終わりぬ

      教科書に塗る墨跡はのたうちて幼年の日々踏みにじりゆく

      乾燥芋後生大事に携えて抑留解かれ父は帰還す (1948年)

      焼け跡に耐えて残りし唯一のビル取り壊されて戦後終わりぬ

  
      疎開せし地に田園の影はなし昭和を埋めて家立ち並ぶ

      抑留の父に「異国の丘」重ね ともに歌いし母は病床
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6 コメント

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Unknown (N響大好き。)
2009-08-19 00:23:36
戦争経験者の短歌を拝読し、戦争を知らない
私は、戦争のことは何もわからないんだ、
と実感・・・。
戦争だけは、絶対にあってはならないと、
決意を新たにする。
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Unknown (さんこ)
2009-08-19 08:29:49
短歌のようなもの。

南瓜の花 大きく咲けり 飢えし子は
 食べられぬかと摘みていたりき

白熱の庭 蟻の列長く 大人達の嗚咽 背に聴きており

    国民学校1年生 安濃村にて
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Unknown (只今)
2009-08-19 13:59:30
「敗戦忌あの日も見てた蟻の列」
 
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Unknown (冠山)
2009-08-19 23:22:40
梯久美子さんの『昭和二十年夏、僕は兵士だった』を読み、むらむらとしています。旧作ですが… 
 匍匐前へ夢精したたり草いきれ 語りて戦友(とも)のゆがみゆく貌… 昔、書いたことあるかと思いますが、この夜の同期会の語らいは忘れられないのです。
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Unknown (六文錢)
2009-08-20 02:13:35
>N響大好き。さん
 かつては戦中戦後の事実について、その評価や今後の方針の違いはあったとはいえ、ほとんどの国民がその原風景というか原-事実を共有していました。
 しかし昨今では、それらをもなかったことにしたり美化したりしてかつての戦争を肯定し、ゲーム感覚で先制攻撃や核武装を主張する人も出てきました。怖いことです。

>さんこさん
 お歌ありがとう。
 カボチャの花、見るからにでかくて美味しそうでしたね。
 私は、祖父から花を採って受粉させることを学び、手伝っていました。

>只今さん
 さんこさんのお歌にも出てきますが、蟻の行列では、黒沢明監督の晩年の作品『八月の狂詩曲』で、蟻たちの行列が延々と紅い薔薇の花に至るシーンが印象的でした。
 確かあのシーンの前後では、ヴィヴァルディの「スターバト・マーテル」(哀しみの聖母)が流れていたように記憶しています。
 出演したリチャード・ギアが、蟻との共演は初めてだと言ったとかいわなかったとか。
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Unknown (六文錢)
2009-08-22 02:02:02
>冠山さん
 そういえば、冠山さんは小国民ではなく、大日本帝国の兵士でいらっしゃったのですね。
 小国民だった私にはお作の「匍匐前」が、少し考えなければ分かりませんでした。
 「同期会」というのも、昨今の会社などのそれとは違って、重みがありますね。まさに共に散るかも知れない「同期」ですから・・・。
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