うちのツツジに一枝だけ赤い花が付くという話を前にしましたね。
それが咲きそろってきましたので公開し、若干の疑問を提示しお尋ねします。
どういう経由で我が家へ来たのかは覚えていませんが、樹齢は30年以上になり、一番高い枝は3メートルを越え、こうして二階で椅子にかけていても水平の目線で見ることが出来ます。
始めはすべての花が真っ白でした。
この時期になると、私の心のような汚れなく純白で清らかな花々が陽光に映え、あたり一面が聖地であるかのような空気に包まれたものでした。
一枝だけというのが分かりますでしょう
ところがです、数年前に異変は起こりました。
無数に花を付けたうちの一輪(というかツツジはたいてい対になって咲くので二輪)のみ赤い(正確には赤紫)花が現れたのです。それはまるで、聖地に迷い込んだ可憐な踊り子のようでした。
この年の偶発事かなぁと思っていましたが違いました。
翌年にはさらに何輪かの赤い花々が現れました。
そして今年はご覧のような様子です。
仲良く住み分けて共存しています
推察するに、最初の二輪がついた茎が成長して枝になり、その枝のものはすべて赤い花になったようなのです。
そこで二一世紀のメンデルさんへの質問ですが、どうしてこんな現象が起きるのでしょう。しかもそれが雌伏何十年目にして現れるというのはどうしてでしょう。
これは今後どうなるのでしょう。
このまま赤が増え続け、メンデルさんがおっしゃったように3:1にまで至るのでしょうか。
あるいは、そのうちに全部の花が赤くなるのでしょうか。
最後の写真でご確認いただけますように、白い花にもかすかに赤い斑が入っています。ただし全部ではありません。
赤い斑が入っています
これらから見るに、もう種子の段階で何らかの遺伝子的干渉を受けていたのでしょうか。それとも後天的にこうなったのでしょうか。
二一世紀のメンデルの皆さん。
ご教示を。
別に、生物学的に正当性を持たなくても構いません。
詩的なご考察、ご感想、あるいはこじつけなど歓迎致します。
それが咲きそろってきましたので公開し、若干の疑問を提示しお尋ねします。
どういう経由で我が家へ来たのかは覚えていませんが、樹齢は30年以上になり、一番高い枝は3メートルを越え、こうして二階で椅子にかけていても水平の目線で見ることが出来ます。
始めはすべての花が真っ白でした。
この時期になると、私の心のような汚れなく純白で清らかな花々が陽光に映え、あたり一面が聖地であるかのような空気に包まれたものでした。
一枝だけというのが分かりますでしょう
ところがです、数年前に異変は起こりました。
無数に花を付けたうちの一輪(というかツツジはたいてい対になって咲くので二輪)のみ赤い(正確には赤紫)花が現れたのです。それはまるで、聖地に迷い込んだ可憐な踊り子のようでした。
この年の偶発事かなぁと思っていましたが違いました。
翌年にはさらに何輪かの赤い花々が現れました。
そして今年はご覧のような様子です。
仲良く住み分けて共存しています
推察するに、最初の二輪がついた茎が成長して枝になり、その枝のものはすべて赤い花になったようなのです。
そこで二一世紀のメンデルさんへの質問ですが、どうしてこんな現象が起きるのでしょう。しかもそれが雌伏何十年目にして現れるというのはどうしてでしょう。
これは今後どうなるのでしょう。
このまま赤が増え続け、メンデルさんがおっしゃったように3:1にまで至るのでしょうか。
あるいは、そのうちに全部の花が赤くなるのでしょうか。
最後の写真でご確認いただけますように、白い花にもかすかに赤い斑が入っています。ただし全部ではありません。
赤い斑が入っています
これらから見るに、もう種子の段階で何らかの遺伝子的干渉を受けていたのでしょうか。それとも後天的にこうなったのでしょうか。
二一世紀のメンデルの皆さん。
ご教示を。
別に、生物学的に正当性を持たなくても構いません。
詩的なご考察、ご感想、あるいはこじつけなど歓迎致します。
カロリンスカ報告
http://www.denjiha.com/action/faq-a2.html
メンデルは、当時チェコを支配していたオーストリアから派遣されてそこの修道院長をしていました。そしてその庭先で、エンドウ豆の花の色の実験をしました。
その庭は今も保存されており、また記念館になっており、世界中のメンデルを扱った教科書が展示されています。私が訪問した時は、日本の教科書がさかさまに展示されていましたが。
ちなみに、その時、作曲家ヤナーチェクはまだ小学生くらいでしたが、近くの寒村から出てきて、その修道院に住み込みで働きながら学校に通っていました。学会から全く無視された研究で、評価されたのはその数十年後ですから、小学生だったヤナーチェクがメンデルの実験を理解できたはずはありません。しかし、二人は同時期に同じ修道院に居たのですから、メンデルの実験を奉公の少年ヤナーチェクが水をやったりして手伝ったりしていたことは間違いないでしょう。
うちから少し離れたところにはあります。
そうですか、高圧線ってやはりそうした電磁場をなしているのですか。
何十年も前、当時健在だった父のところへ格安の土地の話が持ち込まれ、それを見るのについていったことがあります。
ついてみると、すぐ近くに高圧線用の鉄塔が立っていて、そこからの高圧線がまさにその土地の上に覆いかぶさるようにして横切っています。
父はそれを見るなり、「あ、これはダメだ」とあとはろくすっぽ見ることなく踵を返しました。
昔の人はよく知っていたのですね。
お得意はヘンデルかメンデルスゾーンかと思いましたが、よくご存知ですね。
私もメンデルが修道院でえんどう豆を栽培して実験していたという話は知っていましたが、そこにヤナーチェク少年が登場していたことは知りませんでした。
二人の年齢差をググッてみたら、32歳違いですからさもありなんですね。
さらに伝記を参照すると、ヤナーチェク11歳のおりに、同じ修道院の附属学校に入学し、同時にその聖歌隊員になったとあります。
したがって、ヤナーチェク少年らの歌声を聞きながらメンデルが作業を進めた可能性もありますね。