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フランスで110万部を売ったというゴンクール賞作品『異常』を読む

2022-08-01 02:22:10 | 書評

 ゴンクール賞といえば1903年に始まったフランスの伝統ある文学賞で、日本でいえば
芥川賞に相当するだろうか。かといってその権威などよく知らない私は、それを追っかけたりはしたことがない。
 例外的には、2010年に『地図と領土』でこれをとったミッシェル・ウェルベックをたまたま図書館で手にして気に入り、追っかけのように図書館にある彼の和訳のもの8冊ほどを読んだことがある。

 だから今回、2020年のゴンクールをとったというエルヴェ・ル・テリエの『異常(アノマリー)』を図書館の新刊コーナーで見かけたときも、「フーン、ゴンクール賞ね」と思ったぐらいだったが、念のために「訳者あとがき」を見て驚いた。なんとこの書、昨年末までにフランスで110万部売れたというのだ。もちろん、いわゆる「純文学」で100万部以上とは稀有なことである。
 ならば、一度読んでみようと思い、借りてきた次第。

          

           暗い感じの表紙だが実際にこの色彩

 最初にでてきたのは、「人を殺すのは、たいしたことじゃない。必要なのは、観察し、監視し、熟考することだ」の独白で始まる殺し屋の話である。何だこれは、いわゆるピカレスク(悪漢小説)かと思う。
 しかし、彼の役割はすぐ終わり、次々と別の人物が、そう、11人もの人物が登場する。だが、彼らが全てではない。これは彼らをも含む247人の運命に関する物語なのだ。

 彼らの共通点はなにか。それは2021年3月10日、パリ発のアメリカ、ケネバンク空港(ポートランド郊外)行きエアー・フランス006便(ボーイング787)に乗り合わせたということである。
 事態はこの便が遭遇したことによって生じる。そして、ここから先(本書でいうと第一部の終わりから第二部へ)は、SF的なムードに一変することとなる。

 ネタバレになってしまうが、まあ、大まかに書くとしよう。
 この便は、アメリカ東海岸近くで巨大な積乱雲に遭遇し、きりもみ状態になったり、機体に損傷を負ったりするが、機長マークスの冷静は措置によって無事それを抜け出して着陸に成功する。それはそれでいいだろう。

 問題は、その同じ飛行機が、同じように損傷を受けながら3ヶ月後の6月24日にも積乱雲の中から現れることによる。この二重現象。もちろん、搭乗員や乗客の247名もそのままに。
 ここからの事態はなぜそのようなというSF的な解明(それは可能だろうか?)と同時に、哲学的な問いともなる。人間の自己同一性とはなにか?自分が自分であることの保証は?自己と他者との差異は?時間的差異による自身の差異とそのズレは?etc.etc・・・・。

         フォト

             作家 エルヴェ・ル・テリエ
           
 この小説では、それらを形而上学的に問うのではなく、現実に二重化してしまった人々の問題としては具体的に展開するのだが、もちろん、それらは一定ではない。
 その二重性をどう受け止め、どう解消するのかも11人それぞれでちゃんと書かれている。

 そして、それらが収まれば事態が解消するわけではない。
 なぜなら、それは、この小説の終幕に至って、さらに劇的な展開を見せ、そして衝撃的な展開をみせるからだ。そこは語らないでおこう。

 以上描いたように、この小説は多彩な展開を見せ、読みだしたら止められないし、その結末もまさに「異常」というほかはない。
 
 その他にもこの小説にはいろいろな仕掛けが施されている。20年のゴンクール賞作品だが、事件の舞台は21年の近未来の話であるし、登場人物の一人、作家のミゼルは『異常』というタイトルの小説を書いているという入れ子状態でもある。ちなみに、これもネタバレになるが、このミゼルという作家、最初の飛行機が着いた3月10日から、次の飛行機が着いた6月24日の間に自殺をしてしまっていて、あとから到着したミゼルが、自分が自殺をした現場を訪れるシーンもある。

 とにかく、盛沢山の要素を巧みに配置した作家、エルヴェ・ル・テリエの力量は大したもので、110万部を売り上げるのもわかる気がするが、どうなんだろう、日本だったら直木賞に収まるのではとも思える。決して、その区分けを重視しているのではなく、単にジャンル分けの話なのだが。

【追記】最近のNHKの土曜ドラマ『空白を満たしなさい』で、自殺者が復生し(つまり生き返り)、自己の死に至る過程を点検するという話をやっていたが、一部で重複するように思った。かつて生きていた自己と、復生した自己との同一性と差異、その溝を埋めることはできるのか?自己とはなにか?などなど。


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