かつて私は、野中広務氏だとか加藤紘一氏などは自民党の実力者として、それを忌避する立場にあった。そしていま、そのスタンスに多少のゆらぎを感じている。もちろんこれは、私自身の立ち位置がここへ来て変わったということではない。
変わったのは政治的な見取り図というか座標軸自体の方で、その変動によって相互の相関関係がかつての物指しでもってしては測りがたくなったということである。
具体的にいえば、上の両氏は、安倍内閣の軍事、外交政策、そしてその根幹にある主に中韓を対象にした歴史認識に対しては真っ向から批判的である。
両氏はそれを、さまざまな機会を捉えて公言して憚らない。
したがって、いわうるネウヨといわれる人たちからの攻撃はすさまじい。
敢えて彼らの使う語彙を再現するなら、両氏は「チョン」であり「ブラク」であり、したがって「北朝鮮へ帰れ ! 」ということらしい。これらの具体的検証や論理の飛躍は問題ではない。両氏がどのような出自であろうがそんなことは問題ではない。問題はその政治的見解の内容なのだ。
思えば、加藤紘一氏邸の放火事件があったのはもう数年以上前だが、その折に、被害者である加藤氏にさも当然であるかのような冷笑的な発言をしたのが、安倍氏の「お友だち」の稲田朋美議員であった。
ネウヨ的な言動やヘイトスピーチを繰り返す人たちと安倍氏の立ち位置は同一とはいわないが、明らかに親和性がある。
私は、2012年末、安倍氏の返り咲きが可能になった衆議院議員選挙の最終段階での安倍氏の街頭演説に林立する日の丸と旭日旗に慄然とした思いを抱いたものだ。これは、彼のコアな支持層が奈辺にあるかを如実に物語るものであると思う。
ところで、加藤氏邸の放火事件のきっかけとなったのは加藤氏が時の小泉首相の靖国参拝に反対したのに激昂した右翼の仕業であったが、その折の小泉氏が今や原発反対の論陣を張っている。したがって、ネウヨ諸氏にいわせれば彼も「チョン」なのであり北朝鮮へ帰らなければならないのだそうだ。
ことほど左様に、この何年かの間にこの国の政治的相関関係は大きな変化を遂げている。そして、その一方ではレイシズムを含んだ愛国主義が強固な核を形成しつつあるように見えるが、一方では流動的な部分も出始めている。
最後に一言付け加えれば、加藤氏や野中氏、それに小泉氏の言動に関し、「彼らはもっともらしいことを言っているが、その本質は・・・」といった批判がついて回ることについてである。
この言い分にはいくぶん原理主義的な臭いがする。しかし、一般的にいって人間の本質なんてそんなに固定したものではない。ましてや政治の世界では「本質的に良い人や正しい人」が善政を行うわけでは決してない。
かつて小平がいったという「黒い猫でも白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」というのはそれほど間違ってはいないと思う。
いずれにしても「本質」云々による言説は、「自己の絶対的正しさ」(そんなものがあるとしてだが)を強調するのみで何ら生産的ではないと思う。
*ネウヨやレイシスト諸氏の言動を具体的に再現するために、敢えて差別的な用語を用いました。お気に障る向きがありましたら、幾重にもお詫び致します。
変わったのは政治的な見取り図というか座標軸自体の方で、その変動によって相互の相関関係がかつての物指しでもってしては測りがたくなったということである。
具体的にいえば、上の両氏は、安倍内閣の軍事、外交政策、そしてその根幹にある主に中韓を対象にした歴史認識に対しては真っ向から批判的である。
両氏はそれを、さまざまな機会を捉えて公言して憚らない。
したがって、いわうるネウヨといわれる人たちからの攻撃はすさまじい。
敢えて彼らの使う語彙を再現するなら、両氏は「チョン」であり「ブラク」であり、したがって「北朝鮮へ帰れ ! 」ということらしい。これらの具体的検証や論理の飛躍は問題ではない。両氏がどのような出自であろうがそんなことは問題ではない。問題はその政治的見解の内容なのだ。
思えば、加藤紘一氏邸の放火事件があったのはもう数年以上前だが、その折に、被害者である加藤氏にさも当然であるかのような冷笑的な発言をしたのが、安倍氏の「お友だち」の稲田朋美議員であった。
ネウヨ的な言動やヘイトスピーチを繰り返す人たちと安倍氏の立ち位置は同一とはいわないが、明らかに親和性がある。
私は、2012年末、安倍氏の返り咲きが可能になった衆議院議員選挙の最終段階での安倍氏の街頭演説に林立する日の丸と旭日旗に慄然とした思いを抱いたものだ。これは、彼のコアな支持層が奈辺にあるかを如実に物語るものであると思う。
ところで、加藤氏邸の放火事件のきっかけとなったのは加藤氏が時の小泉首相の靖国参拝に反対したのに激昂した右翼の仕業であったが、その折の小泉氏が今や原発反対の論陣を張っている。したがって、ネウヨ諸氏にいわせれば彼も「チョン」なのであり北朝鮮へ帰らなければならないのだそうだ。
ことほど左様に、この何年かの間にこの国の政治的相関関係は大きな変化を遂げている。そして、その一方ではレイシズムを含んだ愛国主義が強固な核を形成しつつあるように見えるが、一方では流動的な部分も出始めている。
最後に一言付け加えれば、加藤氏や野中氏、それに小泉氏の言動に関し、「彼らはもっともらしいことを言っているが、その本質は・・・」といった批判がついて回ることについてである。
この言い分にはいくぶん原理主義的な臭いがする。しかし、一般的にいって人間の本質なんてそんなに固定したものではない。ましてや政治の世界では「本質的に良い人や正しい人」が善政を行うわけでは決してない。
かつて小平がいったという「黒い猫でも白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」というのはそれほど間違ってはいないと思う。
いずれにしても「本質」云々による言説は、「自己の絶対的正しさ」(そんなものがあるとしてだが)を強調するのみで何ら生産的ではないと思う。
*ネウヨやレイシスト諸氏の言動を具体的に再現するために、敢えて差別的な用語を用いました。お気に障る向きがありましたら、幾重にもお詫び致します。
加藤紘一は東大の学生時代、第一次ブントの影響下で学生運動をかじったというようなことを昔テレビで話していたと記憶しています。野中広務は自らの出自を早くから公言していますね。二人のリベラルな感覚には、私も政治的立場を超えた親近感を感じていました。
小選挙区制の弊害もあるのでしょうね。政権党に属しながら上にモノ申すことのできない風見鶏ばかりになってしまいました。二人のような重鎮には、なおさら一目置いてしまいます。彼らのあたりまえの正論がもう少し浸透するといいのですが。
私の周りの若い人の間では、安倍人気が高いです。彼らの読書会に誘われ初めて参加した時は、飛び交う発言の中で、右翼に勧誘されているのかと疑いました。
気に入らない発言を「サヨク」と呼んでいました。かつての学生運動をファシズムととらえる者もいました。政治的背景の全くない普通の若者たちなんですけどね。
ちょっと前まで、今のネット右翼やレイシストたちの発言は突出したものと思われていたのに、いつの間にか市民権を得た日常的なものになりつつあるのが怖いですね。
私の引っ越してきたこのgooブログでは、毎日アクセスランキングが載るのですが、常にその5位前後をキープし、毎日私の読者の100倍に相当する15,000内外を集めているのが下記のブログです。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001
このひと、どうやら現皇太子より秋篠宮に皇位をというキャンパーンを集中的にやっていて、雅子氏やその娘を集中攻撃するのですが、彼女らを身障者扱いにしたり、果てはブラクの出自であると匂わせたり(そうであっても何ら構わないのですが)、その品のなさにはげんなりします。
それはそれでいいとしても、その間に挟む政治的事象についての感想は本当に酷いもので、例えば、例の都議会での野次問題については「逆セクハラ都議 塩村文夏氏のリコールを 愛国鈴木章浩都議を守ろう」という記事になったりします。
まあ、そんな考えもありうるでしょうが、問題はそれが「人気ブログ」として普通に読まれていることです。もちろんそれらに付けられたコメントが絶賛の嵐で、その支持者たちは、メディアが伝えないことをこのブログがきちんと書いているのだと信じきっているのです。
なお、嘘かホントか知りませんが、このブログを書いているのは女性だと自称しています。
しかし今、一見ふつうの人が、あられもない憎悪午後5時24分はくことです。
親類の若い子もこういうのです。「中国、韓国にこんなにバカにされては仕方ないのかも…」。
ここから、「チャンコロ、チョウセン野郎」と呼ばわる距離は遠くはありません。
笑い話ですが、『週刊新潮』が困まっているそうです。いまやその特集記事は専売ではなくなったからです。
どこかから資金がでていることもあるでしょうが、それだけでなく、売れるからとも言われています。
何故、売れるのか。そのこと考えるのは憂鬱極まることですが、このことから逃げては入り口も出口も見えないと・・・。
六文さんご紹介のサイト、閲覧しました。病んでるなぁ、が最初の印象です。引きこもりが想像をたくましくし、自分好みのネタを丹念に渉猟しながら陰謀史観を形成していく姿が浮かんできます。でも会ってみると案外、人付き合いのいい普通の人かも。このタイプの若い人によく出会いますから。
行き付けの喫茶店のかわいいおねーちゃんも、ほぼこんな感じです。カウンターにズラリ「愛国本」が並んでいます。同好者による嫌中嫌韓の会報や研究誌もあります。読むと、よく勉強しているなぁと感心もしますが、結論ありきのネタ集成です。会報に原稿を寄せているメンバーから電話で議論を吹っ掛けられたこともあります。「反日史観の古いおやじに真実の歴史を教えてやろう」という好意なのでしょうか(笑)。
これがネットではなく、リアル世界の若い人たちの、私が感じる最近の空気です。右旋回は相当なものです。古いおやじで済んでいるうちはいいですが、許せないおやじと指弾されるようになると怖いですね。
>漂着者さん
同趣旨と思いましたのでまとめてのご返事お許し下さい。
やはり怖いのは、しばらく前までは突出した特殊な人たちの見解であると思われていたものが次第に一般化し始めたことですね。
これは別のSNSでのことですが、ずーっと私の書いてきたことに理解を示して来てくれたと思われる人から、上のような私の記事に対し、「日本は戦後、一貫して自虐史観的な平和主義の立場をとってきたのですから、今はその揺り戻しとしての愛国主義の時代でしょう」というコメントを貰って驚いたことがあります。
私は一応、「自虐主義対愛国主義」という図式そのものがある種の立場によって生み出されたもので、しかもそれは、きわめて最近のものだと説明しておいたのですが、理解してもらえたかどうか・・・。