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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

アンダー・コントロールという傲慢さではなく

2013-09-25 11:22:40 | よしなしごと
 ここ二回ほど一週間にわたった私の入院について書きました。
 そして前回は、「私がいなくも世界は動く」と書きました。
 もちろんこれは当然のことで、私が誕生によってこの世界に参入する以前から世界はあったのであり、どうやらこの分で行くと、世界の終わりよりも私の終わりのほうが早そうですから、私がいなくなっても世界は続くわけです。

         
                 久々のスズメの大群

 私が隔離されていた一週間、世界は動いたといいましたが、表沙汰になったニュースだけからいうと、実はそんなに変わっていませんでした。
 シリアに関する事態は膠着状態ですし、フクシマに関しては安倍氏がきっぱりいい切った「アンダー・コントロールにある」という言明にもかかわらず、汚染水は相変わらずダダ漏れで、この場合の「アンダー・コントロール」は、「漏れてることは承知しています」という意味でしょうね。

         

 ヤクルトのバレちゃんがあっさりと王氏の記録を塗り替えたのは快挙でした。
 記録は破られるためにある、これは原則ですが過去2回ほど、これを人為的に妨げてきた歴史が澱のようにつっかえていただけに、今回はそうしたフシがなかったことはいいことでした。
 加藤コミッショナーといういるのかいないのかわからないような人が急に今季限りの辞任などということを言い出したのも、飛ぶ球を提供した結果、王氏の記録が破られたことへの責任をとったのでしょうか?
 え?誰に対する責任?もちろんナベツネグループへの責任です。
 彼が、選手やファンの方を向いて仕事をしてこなかったことは歴然たる事実ですから。

         

 入院中に著しく変わったといえば、私の家の周辺で育つ稲です。
 入院前はまだ穂の色も青く先がすこし曲がっているくらいで、白いキラキラした花をつけていました。
 入院したのが台風18号が来るといわれる前日でしたから、被害がなければと思っていました。

 退院して初めて近所へ徒歩で出た22日のことでした。家から50メートルのところで久々にスズメの大群に出会いました。私が歩を進めるとおおよそ二百羽ほどはいいたそれがさっと二手に分かれました。それでも私の周辺には百羽ほどのスズメが残ってかしましく鳴き立てます。
 一般にも報じられていますが、近年、スズメが減っていて、私のような片田舎でもこれほどの群れを見かけることはまれなのです。
 「おう、お前たち健在であったか」と歓迎はするものの、農家の方は大変です。集まれば集まるほど被害も大きくなるわけですから。

         

 ということで、これだけスズメたちがはしゃぐということは稲も一回り成長したのだろうと足元を見やると、果たせるかな入院前はまだ突っ立っていたような稲穂が完全に頭を垂れています。熟してきた証拠です。穂の色も黄金色に近づきつつあります。

         

 しかし、これでもう刈り取りかと思われる向きがあるとするとまだまだといわねばなりません。この地区のお米は遅場米の代表格「はつしも」で、文字通り、霜が降りるような頃になってやっと刈り取られるのです。
 一番下の写真が3年ほど前の10月12日のものですが、現状との違いはおわかりいただけるでしょう。おそらくこれから一週間か10日後に刈り取られたはずです。ということは今年も10月の第二週か第三週の週末まではこうした黄金色の風景を楽しむことが出来るわけです。

         
               これは3年ほど前の10月12日

 岐阜の「はつしも」美味しいお米ですよ。
 米粒一粒一粒がしっかりしていて、歯ごたえと適度な粘度があって、寿司に用いても好適米とされています。

 さて、入院というアクシデントに見舞われたものの、なんとかシャバへ戻ってきました。これからも身辺雑記や観念的なことなど取り混ぜて記してゆく所存ですゆえ、何卒よろしく。
 



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2 コメント

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Unknown (只今)
2013-09-26 16:30:18
 「政治の幅は常に生活の幅より狭い」
個々の人間にやってくる個々のしんどい事案は
 「政治」よりも重いけれど
 にもかかわらず、
 政治に関わらざるを得ない
 この「コンチクショウ」の情況・・・
 なんとかするために、
 いや、なんともならないかもしれないが、
 書くことしか、ない!
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Unknown (六文錢)
2013-09-27 11:09:05
>只今さん
 私に出来うることは、再認識、再解釈、再記述だろうと思っています。この「再」は時間的な前後関係も示しますが、同時に私以外の他者の存在も示します。
 誰かが認識したもの、誰かが解釈したもの、誰かが記述したもの、それらを新たに私のなかで咀嚼しながら、さらにほかの誰かに向かって記述してゆくということです。
返信する

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