私にはひとりの姪がいます。私の妹の娘です。
この姪とは仲がいいと思っています。むこうにとっては年老いた叔父をいたわってくれているだけかも知れませんが、私はこの姪に感謝しています。
それは彼女が、私の母がまだ入院する前にも、その介護に積極的に関与してくれたのと、入院後も見舞いなどを厭わずしてくれるからです。
若いのによくやってくれます。あ、もうそれほど若くはないか・・(この一言が余分じゃ)。
その姪が、なにやら石についてこだわっているのをしばらく前にききました。
私もいっとき、いわゆる自然石に魅力を感じ、それらを撮った写真を「石の微笑」と名付けて密かにアルバムをこしらえたことがありますが、どうもそれとは違うようです。
様々な天然石を用いて装身具などの小物を作るのですが、ただ、マテリアルとしてのそれにとどまらず、それらの石が本来持っているといわれる力の組み合わせにより、それを身につける人の願いを実現しようとするものらしいのです。こうしたムーブメントを和製英語で「パワー・ストーン」というようです。ちょっと、風水に似ていますね。
それを勉強するために、あちこちへ行っていると聞きました。そしてついに、アメリカにまで石の買い付けに行くと聞いて、病膏肓に入ったなと思いました。
果たせるかな彼女はついに、それらの石を組み合わせ、クライアントの「望み」にかなったものを作製し頒布するに至りました。これまでにも、口コミでけっこう受注があったようですが、この度、ネット上のホームページで改めてデビューすることになったようなのです。
私のために作ってくれたストラップ
それを祝って、私も携帯のストラップを注文いたしました。
でも、「では作りましょう」とはいいません。
「おじさんの願いはなんですか?」と訊かれます。しかもその願いは、呪詛やネガティヴなものではなく、ポジティヴなものにしろと言います。
で、私は、ただ健康であるのみではなく、能う限り他者と触れ合い、それに感化されるものであり続けたいといいました。
こんな可愛いパッケージで・・
それでやっと「口頭諮問」が終了し、その願いを込めた石の組み合わせを受け取ることが出来ました。身につけるものと言うことで、私の場合は携帯のストラップを選びました。
私の年齢に合わせてくれたのか、とびきり目立つ石はなく、全体にシックで、満足しています。
こんな小物でも、8ミリが一個、6ミリが三個、4ミリが四個と、それぞれ違った八個の石で構成されています。
人の願いが、石で表象されるというのは、もちろん、幾分オカルティックなものを含みます。
ただし、人が石に託してきた思いは古く普遍的です。
古代よりの巨石信仰は、オーストラリアのエアーズロックが原住民アボリジニとって聖地であったように、また古代大和に残る巨石の遺跡が示すごとく、あるいは、イギリスをはじめ北欧諸国に残るストーン・サークルが古代人の祈りの場であったように、世界中にくまなく普遍的です。
ドイツの哲学者が言う、人間の想像力を越えた存在を崇高さとしてあがめる意識に共通するのかも知れません。
使用上のマニュアルが付いています
パワー・ストーンはこうした巨石に比べればむろん規模を異にします。
しかし、こちらも、本朝で勾玉が珍重されたように、また、西洋でも王の印が宝石に飾られた王冠授受(戴冠式)であったように、あるいはまた、今日でも宝石がその人の誕生石として意味付与されるように、石への思いやそのの痕跡は明らかなようです。
なぜでしょうね。確かに石は美しいのですが、その段で行けば、動物も植物も美しいわけです。
それを分かつものがあるとしたら、動植物に比べて、鉱物はより恒常性をもつと言うことではないでしょうか。
確かに、その鉱物がもつ耐性を越えた物理的、化学的攻撃があったとき、さしもの鉱物もそれに屈します。しかし、それらの鉱物のもつ恒常性は、人の無常観をも越えて存続し続ける可能性をもちます。
確かにすべてのものは有限ですが、人のもつたかだか百年の生命、しかもその中でも変転著しい人生に比して、石はなんというストイックなことでしょう。
人はその願いを、より確かなものに託します。
星に願いをの星は、また鉱物の塊に過ぎません。
マニュアルに即したイニシェーションのあと早速携帯に取り付けました
この対比にこそ、人が石に惹かれる要因があるのではないでしょうか。
石は、地球の生誕や変転とともに生まれたものです。
従って、石への憧憬は、あと四五億年の寿命をもつという地球と、あと何年かの猶予しかない私を繋ぐ原始からの因縁の表象であるのかも知れません。
いずれにしても、私のために、そして私の願いのために、これを作ってくれた姪に感謝しつつ、これらの石を大切にしたいと思います。
姪のホームページを以下に記します。
興味のある方は覗いてみてください。
http://www.garbo-deco.com
この姪とは仲がいいと思っています。むこうにとっては年老いた叔父をいたわってくれているだけかも知れませんが、私はこの姪に感謝しています。
それは彼女が、私の母がまだ入院する前にも、その介護に積極的に関与してくれたのと、入院後も見舞いなどを厭わずしてくれるからです。
若いのによくやってくれます。あ、もうそれほど若くはないか・・(この一言が余分じゃ)。
その姪が、なにやら石についてこだわっているのをしばらく前にききました。
私もいっとき、いわゆる自然石に魅力を感じ、それらを撮った写真を「石の微笑」と名付けて密かにアルバムをこしらえたことがありますが、どうもそれとは違うようです。
様々な天然石を用いて装身具などの小物を作るのですが、ただ、マテリアルとしてのそれにとどまらず、それらの石が本来持っているといわれる力の組み合わせにより、それを身につける人の願いを実現しようとするものらしいのです。こうしたムーブメントを和製英語で「パワー・ストーン」というようです。ちょっと、風水に似ていますね。
それを勉強するために、あちこちへ行っていると聞きました。そしてついに、アメリカにまで石の買い付けに行くと聞いて、病膏肓に入ったなと思いました。
果たせるかな彼女はついに、それらの石を組み合わせ、クライアントの「望み」にかなったものを作製し頒布するに至りました。これまでにも、口コミでけっこう受注があったようですが、この度、ネット上のホームページで改めてデビューすることになったようなのです。
私のために作ってくれたストラップ
それを祝って、私も携帯のストラップを注文いたしました。
でも、「では作りましょう」とはいいません。
「おじさんの願いはなんですか?」と訊かれます。しかもその願いは、呪詛やネガティヴなものではなく、ポジティヴなものにしろと言います。
で、私は、ただ健康であるのみではなく、能う限り他者と触れ合い、それに感化されるものであり続けたいといいました。
こんな可愛いパッケージで・・
それでやっと「口頭諮問」が終了し、その願いを込めた石の組み合わせを受け取ることが出来ました。身につけるものと言うことで、私の場合は携帯のストラップを選びました。
私の年齢に合わせてくれたのか、とびきり目立つ石はなく、全体にシックで、満足しています。
こんな小物でも、8ミリが一個、6ミリが三個、4ミリが四個と、それぞれ違った八個の石で構成されています。
人の願いが、石で表象されるというのは、もちろん、幾分オカルティックなものを含みます。
ただし、人が石に託してきた思いは古く普遍的です。
古代よりの巨石信仰は、オーストラリアのエアーズロックが原住民アボリジニとって聖地であったように、また古代大和に残る巨石の遺跡が示すごとく、あるいは、イギリスをはじめ北欧諸国に残るストーン・サークルが古代人の祈りの場であったように、世界中にくまなく普遍的です。
ドイツの哲学者が言う、人間の想像力を越えた存在を崇高さとしてあがめる意識に共通するのかも知れません。
使用上のマニュアルが付いています
パワー・ストーンはこうした巨石に比べればむろん規模を異にします。
しかし、こちらも、本朝で勾玉が珍重されたように、また、西洋でも王の印が宝石に飾られた王冠授受(戴冠式)であったように、あるいはまた、今日でも宝石がその人の誕生石として意味付与されるように、石への思いやそのの痕跡は明らかなようです。
なぜでしょうね。確かに石は美しいのですが、その段で行けば、動物も植物も美しいわけです。
それを分かつものがあるとしたら、動植物に比べて、鉱物はより恒常性をもつと言うことではないでしょうか。
確かに、その鉱物がもつ耐性を越えた物理的、化学的攻撃があったとき、さしもの鉱物もそれに屈します。しかし、それらの鉱物のもつ恒常性は、人の無常観をも越えて存続し続ける可能性をもちます。
確かにすべてのものは有限ですが、人のもつたかだか百年の生命、しかもその中でも変転著しい人生に比して、石はなんというストイックなことでしょう。
人はその願いを、より確かなものに託します。
星に願いをの星は、また鉱物の塊に過ぎません。
マニュアルに即したイニシェーションのあと早速携帯に取り付けました
この対比にこそ、人が石に惹かれる要因があるのではないでしょうか。
石は、地球の生誕や変転とともに生まれたものです。
従って、石への憧憬は、あと四五億年の寿命をもつという地球と、あと何年かの猶予しかない私を繋ぐ原始からの因縁の表象であるのかも知れません。
いずれにしても、私のために、そして私の願いのために、これを作ってくれた姪に感謝しつつ、これらの石を大切にしたいと思います。
姪のホームページを以下に記します。
興味のある方は覗いてみてください。
http://www.garbo-deco.com
粉にして食べると健康になるという石は、ないでしょうか・・・。
『石の声」という下手な短編を書いたことを、思い出しました。
早々にブログでのストラップお披露目 そしてご愛用を頂けて感激です♪ この記事を拝見して 新たにひとつ私の中の扉が開き始めた感触です(謝謝)
おじさんは私の“歩く脳活性剤(笑)”なので またコーヒー飲みに来てね & 色々お話ご一緒させて下さいませ!
砕いて食べる石としては、岩塩が密かなブームのようですよ。
特にヒマラヤ岩塩は三億五千年前の無垢な海水の結晶といわれ、ピンクやレッドの美しいものがあります。
NaClのほか、カルシウム、マグネシウム、カリウム、鉄、硫黄 などを含んでいるそうです。
調味料としてより削って飲む人もいるようです。
ご承知のザルツブルクも、かつてはヨーロッパ岩塩の集積地でしたよね。
>sannkoさん
私、何年か前、やはりイギリスのストーンリングかなんかを舞台にした幻想的な映画を観たのですが、題名もストーリーも思い出せません。
それらの石たちが、ただ背景としてではなく、いろんな意味を暗示していたように思うのですが・・。
う~ん、口惜しい。
>decoさん
いらっしゃい。
これを機会にこのページへも遊びに来てください。
あることないこと書き殴っていますから・・。
また、珈琲飲みに行きます。