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【読書ノート】『カウンターセックス宣言』ポール・B・プレシアド

2023-02-15 00:27:28 | 書評

 私は、フェミニズムやジェンダー、セクシュアリティについてきちんと学んだことがない。小説やドラマ、映画などを通じて感覚的に身につけてきた不確かなものしかもちあわせていない。
 ただし、1960年前後、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」を読んで、その逆、「人は男に生まれるのではなく、男になるのだ」もまた真かなと思ったことはある。

 だいたい、私は男らしさに欠けていると思っていたし、それを希求したこともない。ただし、性意識としては自分を男性だと思ってきたし、性的志向も異性愛的である。
 家父長制意識は希薄だと思ってきたが、希薄であろうが濃厚であろうが、部分的な逸脱はあれ、家族制度のうちで暮らしてきたことは間違いない。

           

 この書を手にしたのは、図書館の新着コーナーでけっこう特異な表紙を見かけたのと、「カウンターセックス宣言」に署名したというジャック・ハルバースタムの「前書き」冒頭に、
「 ポール・プレシアドのカウンターセックス契約に署名するとき、あなたは自然な男/女としての地位を放棄することに同意し、〈自然化された異性愛大勢の枠内で〉あなたに与えられるかもしれないすべての特権を放棄する」
 とあり、また著者自身の序論では、
「異性愛ー資本主義ー植民地主義という三つの近代的物語、すなわち、マルクス主義、精神分析、ダーウィン主義」を崩壊させるという精神のマニフェスト」
 と、刺激的な文章が並んでいたからである。

 またこの著者が、デリダ、フーコー、ドゥルースなどのいわゆる現代思想(前世紀後半のであるが)を経由しての論客であることから、それをどう適応しているかの興味、さらには、セックスにおいての補綴、義体であるディルド(いわゆる「大人のおもちゃ」として扱われてきたモノたち)に特権的な位置づけをしていることにも興味をそそられた。

 著者自身の経歴も気にかかる。1970年、スペインでベアトリスという女性として誕生するも性的違和を覚えるトランスとして育ち、2015年にはベアトリスからポールに名前を変え、16年には戸籍上の性も男性に変更したという。ラディカル・フェミニストからノンバイナリー(アンチ二項対立)なトランスジェンダーへという経歴らしい。

 このトランスジェンダーは、 単なる性同一「障害?」を超えて、中性、無性などなどあらゆるセクシュアリティやその自意識を含んだ多様なものを指し示し、 しかもそれらを、男性/女性という二項対立の間にあるマイノリティとするのではなく、全く同等なそれ自体の存在とすることにより、これまでの性的マイノリティの運動自体に内在していた男/女の性的二項対立そのものを止揚しようとする。
 要するに、ゲイやレズというマイノリティとされる内にもあった、男性/女性の役割分担などに残る二項対立(それらは結局の所、男根中心主義的家父長制支配に還元される)を拒否することによるセクシュアリティにおけるコミュニズムを目指す。

 これはまた、男性器、女性器による、ないしはそれに限定される快感の生産に対し、それらの補綴、義体とされたディルドの普及を推奨する。それは、男女の二元化されたセクシャリティを超えたあらゆる性的身体に共用されるものであり、その観点からすれば、むしろ男根自体が社会的通念によって工作されたディルド機能の代補であるに過ぎない。

 この論理は、性的営みを男/女の結合にある生殖行為を本来とし、それを自然なものとして特権化することに反対する。むしろ、この生殖のための性的行為の特権化こそ、多様であるべきセクシアリティを奇形であるとして抑圧し、排除する男根中心主義的家父長制、それに依拠した国家の実体だとする。

      

 ここに至ってプレシアドの理論は、性的マイノリティの権利の主張という消極的なものから、広く普遍的なセクシャリティのありようを媒介とした、コンミューン的展望という積極的な地平を見渡すこととなる。
 そのとき、ディルドは男/女の二元論に依拠した「自然的性行為」という正当化工作を乗り越え、性的権力を自分たちの手に取り戻すために連帯する新たな性のためのプロレタリアートを目指す特権的な用具として機能する。

 プレシアドは性におけるトランス化を目指すと同時に、世界のトランス化を目指す性的プロレタリアートを登場させる。彼ら/彼女らが世界を変え、世界をトランス化させるのに、巨大な権力闘争や革命的転覆は必要ない。必要なのは、今ここにある小さなディルドの潜在力をラディカルに肯定し、拡大することだとする。

 以上がすごく大雑把だが、私が読み取った限りでのこの書の概要である。
 残念ながら、それについての評価を記すことは出来ない。冒頭に述べたように、フェミニズムやジェンダー論、セクシュアリティに関する問題にもともと暗いからである。
 しかし、プレシアドの理論はじゅうぶん刺激的であった。彼女が集中的に攻撃する男/女二元論、それに依拠した現今の異性愛的男根中心主義的家父長制的ありようが性的マイノリティは無論、あらゆるセクシュアリティに及ぼしている抑圧的体制をなしていることは確かだろうと思う。

 問題はそれへの闘いの武器としてディルドを特権化することであるが、それへの判断は保留するしかない。この立場は、かつて精神分析を勉強した際、その異端とされたヴィルヘルム・ライヒ*を思わせるのだが、はからずも訳者あとがきにその名が出てきたのには驚いた。

 なお、岸田は国会答弁のなかで、「同性婚を認めると社会が変わる」と答弁したが、これは正しい。まさにいま、社会は変わろうとしているだ。
 その変化の一つの最先端が、この書で提示されている。

ヴィルヘルム・ライヒは、晩年、生命体(organism)とオーガズム(orgasm)を組み合わせた効能を持つという「オルゴンボックス」なるものを普及させようとした。

   『カウンターセックス宣言』
      ポール・B・プレシアド 藤本一勇:訳 法政大学出版


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