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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ショウコウとホリエモン

2006-09-17 00:16:14 | 社会評論
 


 今から20年近い前だろうか、所用があって京都へ行き、タクシーに乗っていて、とある交差点で信号のために止められた。ふと傍らをみると、マイクロバスの屋上を改造した特設舞台で、白い衣装の若い数人の女性が軽やかに踊っていた。そしてその中央には、ひげ面の男がにこやかに立っていた。
 「あれは何ですか」と聞く私に、「なんや東京の方から来た新興宗教の宣伝で、オウムたらいうもんですわ」と運転手さんが教えてくれた。

 へー、「唱って踊って革命を」という一昔前の民青みたいな教団だなあと思った。
 その教祖の麻原彰晃(いいネーミングだと思う)こと松本智津夫の死刑が確定したという。

 手元に、『別冊太陽』の1992年春号、「輪廻転生」があり、ある高名な宗教学者(故人?)と麻原彰晃の対談が載っている。

 前半は神秘的なコンニャク問答のような話であるが、後半になると教団や麻原個人の現実的な話になる。
 既に、熊本県などの地元民と軋轢があった教団側が、法廷闘争を行っているとき、この宗教学者は、
 「・・・宗教集団としては、最後まで俗世間の法律は無視するという手もあると思うんですよ」
 と、まるで非合法活動を勧めるようなことをいっている。そして、麻原個人のカリスマ性と入信が結びつかないという愚痴に対しては、親鸞や道元を引き合いに出して「宗教運動の必然」を語っている。
 要するに、麻原と親鸞、道元を同列に論じているかのようなのである。

 改めて日付を確認してほしい。
 この1992年をさかのぼる3年前の1989年には、この教団は既に、男性信者一人を殺害し、さらには、坂本弁護士一家を殺害しているのである。
 1990年には、この教団は衆議院選挙に大挙立候補し、その自信に満ちた言動にもかかわらず、全員が泡沫候補として惨敗している。そしてその敗北が契機になって、「唯一の真理の具現者」である自らが合法的に受け入れられなければ、非合法活動によってでも権力をというテロルへの決意をますます固めたといわれている。

 その後の彼らの行為は周知の通りである。
 ここで問題は、この高名な宗教学者(日本の歴史風俗にも詳しい)が、まともな常識人なら誰しも眉唾だと思うようなカルト教団に、なぜあんなにまでしてエールを送り、まるでお先棒を担ぎのような言説に終始したのかである。
 彼ばかりではない。このオウムに何らかの可能性を見ていた言論人は他にも結構いた。

 確かに、異物としてのオウムバッシングには行き過ぎた面もあり、それへの批判はあって然るべきだが、しかし、それと彼らのカルト性を許容することとは一線を画すべきである。
 
 この間、背広とネクタイで入廷するホリエモンを見ていて、麻原への扱いとの同一性を見てしまうのは突飛な連想だろうか?
 ホリエモンはわが息子であり弟だといっていた某党の幹事長、やわらチャン顔で応援演説をぶっていた経済の専門家で今回参議院議員を辞職なさる大臣さんなどは、今のホリエモンをどう思っているのだろうか。
 まあ、既に利用価値の無くなったものには、何の思いのかけらも持ち合わせないというところが本当のところだろう。

 暗闇に彷徨う麻原と、どぶに落ちた者としてつつき回されるホリエモンを見ていて、つい、それをリンクしてしまう今日この頃であった。
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