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ノーベル文学賞の栄枯盛衰 バール・バックの遺作を読む

2020-02-25 15:02:00 | 書評

 『終わりなき探求 The Eternal Wonder』 (パール・S・バック)がそれである。
 今の若い人たちには、パール・バックといってもピンとこないかもしれない。しかし、私の少年時代、読書好きの若者にとってはその作品(といってもその全てではないが)、とりわけ、1938年、私の生まれた年にノーベル文学賞をとった彼女の主著『大地』は、必読書扱いといっても過言ではないほどだった。
 四分冊ほどに分かれていた中国大陸を舞台とした四世代にわたるまさに大河小説を、高校生の私は貪るように読みふけった。

 しかし、まことに申しわけないが、六十数年前のその読書は、いまやその内容についての残滓すら記憶の中に残っていない。ただただ、ものすごい小説だったという漠然とした印象のみがかすかに残っている。
 そのくせ、昨年、習作的に書いた一二〇枚ほどの私自身の小説には、ちゃっかりとその小説を読んだ体験に触れているのだからたちが悪い。

       

 パール・バックが記憶の彼方に去っていった事情について言い訳をするならば、それは私の記憶から去ったのみならず、世間一般から忘れ去られていったという事情があると思う。いまや、彼女の作品を書店や図書館の書架で見かけることはない。

 そんな彼女の遺作に接する機会があった。岐阜県図書館の新著到着コーナーでそれを見つけたとき、当初は名前のよく似た人の別の作品だと思った。もっぱら、パール・バックで済ませていたその著作名が、パール・S・バックになっていたことにもよる。

 しかし、それを手にとり、その息子(養子)が書いた序文を読むに至って、間違いなくあの『大地』のパール・バックの遺作であることが確認でき、躊躇することなく借りてきた。
 その序文によれば、一九七三年に八〇歳で生涯を終えた彼女の晩年は経済的には破綻状態で、その遺物や遺構も、遺族がわからないほどに散逸したのだという。

          

 この遺作の原稿も、実に四〇年にわたって行方不明になっていて、数年前、やっと所在が明らかになって出版に至ったのだとのことだ。

 ネタバレにならないほどにその内容に触れると、母胎にあるうちから、すでにして自意識をもっていたような天才少年の自分探しのロード・ストーリーのような話である。
 彼女らしくそのスケールは大きく、アメリカの片田舎から始まり、ニューヨーク、イギリス、フランス、朝鮮戦争休戦下の韓国にも及ぶ。
 『大地』にみられるように中国へは足を踏み入れてはいないが、中国系やそれに関わりのある人物が登場し、それが全体の大きな要素となっている。

          

 当初の、SFではないかと思わせるようなシュールな描写は後半では影を潜め、ある種リアルな状況へと収まってゆく。むしろ、その現実への対応は、前半の彼の言動に比べると凡庸ですらあり、ひたすらその推移に流されるものでしかない。
 これを、幼き折、天才と呼ばれた者の辿る末路一般とみるか、それとも、パール・バックその人の想像力の衰退ないしは枯渇とみるか、その辺りは微妙なところである。

 私の評価では、小説全体が尻つぼまりな感があるのだが、主人公が遭遇する各エピソードにはとても面白いものがある。
 なお、最後に主人公が関わることが明言されている「混血」という問題、その権利の保証の問題は、著者、パール・バックもまた生涯関わり続けた問題であることをいい添えておこう。
 

 


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