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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

犬や馬はどのように世界を見ているのか パノラマ写真との関連で

2021-02-13 17:47:35 | よしなしごと

 私たちは、自分の置かれた環境を知るためにいわゆる五感を働かせるが、視覚障害がない場合、そのもっとも力を発揮するのは視覚ではあるまいか。他の感覚が働いている場合でも、暗闇の中では私たちはその環境を認知できず大きな不安に襲われたりする。
 逆に言うと、私たちは今この目で見ている情景が世界の実際の在りようなのだと思い込んでいる。それが間違いであるというわけではないが、しかし、私たちが現にこのように見えているのは目の構造によるものであろう。

         
 
 こんなことを言い出すと、瞳孔があって水晶体があって角膜があって視神経が云々という見え方の問題を言ってるようだが(それにはそれで人の固有性があるのだろう)、私の言いたいことはもっと単純なことである。
 ようするに、人間の目は、両眼ともに正面を向いて平面に並んでいるということである。こういう並び方は猿やネコ科の一部、それに鳥類ではフクロウなどに限定されるのではないだろうか。

 昆虫など複眼のものもあるが、両眼をもつ生物をみた場合、圧倒的多数が頭部の左右に分離していて、人のように並行して前を向いてはいない。
 だとするならば、当然ものの見え方も違うのではないか、つまり、犬や馬が見ている世界の像は違うのではないかと思うのだ。

         

 なぜこんなことを言いだしたかというと、最近はスマホで写真を撮ることが多いのだが、そのうちのパノラマ機能というのをまったく使っていないことに気づき、それを使用してみた結果なのだ。
 スマホのパノラマ写真は、かつてのように、違う角度の写真を何枚もつなぎ合わせたり、あるいは魚眼などの広角レンズを用いて撮るのとは違い、撮る側が、身体軸を中心に、カメラを構えて好きな角度だけ廻るのである。そうすると、回った先にある光景が連続のものとして表示されるという仕掛けになっている。

         

 こうしてできあがった写真は、私たちが頭部を巡らすことなく見る風景よりも、明らかに横へ長い。そして、対象との距離によって大して不自然でなかったりする場合もあるが、やはり中央部が不自然に見える場合が多い。

 いま、「不自然」といった。ここでこの雑文の書き出しとが結びつくのだ。
 たしかに、パノラマで撮った写真は「私たちの」日常の視線から見ると不自然な見え方をしている。ここで、「私たちの」とカッコに入れたのは、私たちのように眼が平面で並行して前を向いている生物の視線にとってという意味である。

         

 で、何がいいたいかというと、犬や馬のように頭部の両側に眼を持つ生物にとっては、私たちがパノラマ写真で見る風景が、そして、通常とはやや不自然に感じる風景が、実は通常で自然なのではなかろうかということである。
 もちろん、犬や馬の目は、その構造や機能、能力が私たちの眼と異なるから、このように見えていると強弁はしにくいが、人と同じように見えているわけではないだろう。

         

 まあ、いずれにしても、私たちの眼前に広がる風景は、人間特有の見え方によって規定されたものに過ぎないことは事実であろう。
 この事実から、その人の立ち位置、経験や教育、先入観、などなどによって見えてくる世界が違ってくるのだというように一般化、普遍化したい誘惑に駆られるのだが、それはまたずさんな飛躍を含むことになってしまいそうで、やめておいたほうが良さそうだ。

         

写真の題材は、お隣りの材木屋さんを撮ったものと、散歩道、神社の境内であるが、最後のものはパノラマではなく、普通に写したものをトリミングしたもの。左のバス通りから前庭の木々を経て我が家の玄関に至るもの。紅葉した南天、その隣りの早咲きの桜は、もう蕾がかなり大きくなってきた。


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