これは本当は書きたくなかったことなのだが、すでに2、3回書いたことの続報でであり、これを書かずにいては推理小説の前編だけでやめてしまった感があるので、やはり書こうと思う。
書きたくなかった理由はそれ自体が不幸でどうしようもないことだったからだが、書くのを伸ばしてきた理由は他にもある。
ひとつには、関東地方で痛ましい水害が発生し、そのことが幾分関連するからだし、もうひとつは安保法案が山場に差し掛かっている折から、何をセンチメンタルなことをいわれそうだからである。
そう、こんな時期に、たかがキジバトごときのためにという思いがあったからである。
しかしこれまでこれについて書いてきた以上、ひとつの結末を迎えたという事実は報告せねばなるまい。
台風がこの地区の真上を通過し、さいわい、その割に大した被害はなかったものの、断続的な激しい雨に見舞われ、わが家のキジバトの雛が孵ったばかりの時期とあって、気が気ではなかった。しかし、キジバトの親たちはよく耐えて、そのヒナたちを守り通した。
在りし日の姿 今はもう・・・
台風一過、彼ら親子が無事であったと私自身の喜びとともに、その記事を載せようと思った矢先、鬼怒川の堤防決壊の報に接し、浮かれたことを書くべきではないと自粛したのだった。
翌日もこの好天は続き、真夏日を思わせる暑さであった。
そして異変はこの日にあった。
私の家の南側には、帯状の庭があり、そこに草木があり、その木の上にキジバトは巣をかけていた。そしてさらにその南側には、材木屋の倉庫が連なっている。
その倉庫の、さらには、キジバトの巣の至近距離で材木の積み下ろしが始まったのだった。
賑やかな労働の掛け声、トラックの荷台に材木が積まれる鋭い音、それらがおおよそ小一時間続いたのだ。
親鳥(たぶん雄)はこの間、体を膨らませるようにして雛を隠し続け、時折威嚇するように体を震わせるのだが、下で労働している人たちはその存在すらも知らないのだった。
私はよほど、出て行って、このすぐ上にはキジバトの巣があって雛を育てているのだから、静かにしてほしいといおうかと思ったが、炎天下、汗みどろで仕事をしているひとにそれをいう権利は私にはない。
ただひたすら、キジバトがこの喧騒に耐えてくれることを祈るばかりであった。
というのは、危険を察知した場合、キジバトは巣を放棄したり、育児そのものをやめてしまうということを知っていたからである。だから、この喧騒が一時的なものであることを理解し、耐えてほしいと切に願ったのだった。
材木の作業は午前で終わり、静寂が戻った。
キジバトも落ち着いたかに見えた。
午後1時、私が確認したところでは、変わりなく雛を抱いているようだった。
安堵して自分の部屋にこもり、読書などをして午後3時、下へ降りて巣を見たら親鳥がいない。ノーテンキな私は、しめた、雛を撮影するチャンスだと思い、カメラを用意した。
しかし、何だか様子が変だ。動くものの気配が全くない。
今度は2階のベランダから巣を見下ろしてみた。
この角度からの見下ろしは、彼らが上空の天敵を恐れることを知っているのであまり覗かないようにしてきたのだった。
なにもいないもぬけの殻は虚しい
しかし、巣はもぬけの殻で何も見当たらない。雛か親鳥の腹の毛か、わずかに羽毛が見えるだけだ。
やはりさっきの刺激が応えたとみえて、巣を放棄したようだ。
しかし雛たちはどうしたのだろう。
ひょっとしてと思って、巣の下あたりを丹念に探して見たがそれらしいものが落ちている様子がない。
ということは、親鳥が運び去ったということであろう。
あの小さいくちばしでは無理だろうから、脚に掴んで運んだのだろう。しかし、そうして運べる距離に予備の巣があったのだろうか。あったとして、無事そこへの転居はできたのだろうか。
不安は残る。
念の為にうちにある他の木を丹念に見て回ったが新しい巣があるようには見えなかった。
巣立ちまで見届けたいと思っていたので大変残念だ。
しかし、それが悲惨に終わったのを確認したわけでもないので、どこか転居先で、雛たちが無事で巣立つことを祈るばかりだ。
しかし、午後1時から2時間の間に、跡形もなく消え失せるなんて、まったくミステリアスであるし、なにか虚しい思いを残す結末ではある。
彼らを思い続ける不安はなくなったが、同時に、新し生命の巣立ちを間近に見るという楽しみも、跡形もなく消え失せた。
書きたくなかった理由はそれ自体が不幸でどうしようもないことだったからだが、書くのを伸ばしてきた理由は他にもある。
ひとつには、関東地方で痛ましい水害が発生し、そのことが幾分関連するからだし、もうひとつは安保法案が山場に差し掛かっている折から、何をセンチメンタルなことをいわれそうだからである。
そう、こんな時期に、たかがキジバトごときのためにという思いがあったからである。
しかしこれまでこれについて書いてきた以上、ひとつの結末を迎えたという事実は報告せねばなるまい。
台風がこの地区の真上を通過し、さいわい、その割に大した被害はなかったものの、断続的な激しい雨に見舞われ、わが家のキジバトの雛が孵ったばかりの時期とあって、気が気ではなかった。しかし、キジバトの親たちはよく耐えて、そのヒナたちを守り通した。
在りし日の姿 今はもう・・・
台風一過、彼ら親子が無事であったと私自身の喜びとともに、その記事を載せようと思った矢先、鬼怒川の堤防決壊の報に接し、浮かれたことを書くべきではないと自粛したのだった。
翌日もこの好天は続き、真夏日を思わせる暑さであった。
そして異変はこの日にあった。
私の家の南側には、帯状の庭があり、そこに草木があり、その木の上にキジバトは巣をかけていた。そしてさらにその南側には、材木屋の倉庫が連なっている。
その倉庫の、さらには、キジバトの巣の至近距離で材木の積み下ろしが始まったのだった。
賑やかな労働の掛け声、トラックの荷台に材木が積まれる鋭い音、それらがおおよそ小一時間続いたのだ。
親鳥(たぶん雄)はこの間、体を膨らませるようにして雛を隠し続け、時折威嚇するように体を震わせるのだが、下で労働している人たちはその存在すらも知らないのだった。
私はよほど、出て行って、このすぐ上にはキジバトの巣があって雛を育てているのだから、静かにしてほしいといおうかと思ったが、炎天下、汗みどろで仕事をしているひとにそれをいう権利は私にはない。
ただひたすら、キジバトがこの喧騒に耐えてくれることを祈るばかりであった。
というのは、危険を察知した場合、キジバトは巣を放棄したり、育児そのものをやめてしまうということを知っていたからである。だから、この喧騒が一時的なものであることを理解し、耐えてほしいと切に願ったのだった。
材木の作業は午前で終わり、静寂が戻った。
キジバトも落ち着いたかに見えた。
午後1時、私が確認したところでは、変わりなく雛を抱いているようだった。
安堵して自分の部屋にこもり、読書などをして午後3時、下へ降りて巣を見たら親鳥がいない。ノーテンキな私は、しめた、雛を撮影するチャンスだと思い、カメラを用意した。
しかし、何だか様子が変だ。動くものの気配が全くない。
今度は2階のベランダから巣を見下ろしてみた。
この角度からの見下ろしは、彼らが上空の天敵を恐れることを知っているのであまり覗かないようにしてきたのだった。
なにもいないもぬけの殻は虚しい
しかし、巣はもぬけの殻で何も見当たらない。雛か親鳥の腹の毛か、わずかに羽毛が見えるだけだ。
やはりさっきの刺激が応えたとみえて、巣を放棄したようだ。
しかし雛たちはどうしたのだろう。
ひょっとしてと思って、巣の下あたりを丹念に探して見たがそれらしいものが落ちている様子がない。
ということは、親鳥が運び去ったということであろう。
あの小さいくちばしでは無理だろうから、脚に掴んで運んだのだろう。しかし、そうして運べる距離に予備の巣があったのだろうか。あったとして、無事そこへの転居はできたのだろうか。
不安は残る。
念の為にうちにある他の木を丹念に見て回ったが新しい巣があるようには見えなかった。
巣立ちまで見届けたいと思っていたので大変残念だ。
しかし、それが悲惨に終わったのを確認したわけでもないので、どこか転居先で、雛たちが無事で巣立つことを祈るばかりだ。
しかし、午後1時から2時間の間に、跡形もなく消え失せるなんて、まったくミステリアスであるし、なにか虚しい思いを残す結末ではある。
彼らを思い続ける不安はなくなったが、同時に、新し生命の巣立ちを間近に見るという楽しみも、跡形もなく消え失せた。
子育てに夢中になっていた(ならざるをえなか った)女性が、その空しさを抱えて、アルコール依存症になったり、
カルチャーセンターを渡り歩いたりすることを、かって、からの巣症候群となずけた人がいました。
たかがキジバトとは私は思いません。本当に可哀想なことでしたね。
巣立ちの写真を観たかったです。小さな命に心を傾けてこそ、人間の命にも、敏感になれるのですから。
ありがとうございます。
そうした一見些細なものへの関心を能う限り失いたくはないと思っています。
あれから数日、ひょっとして戻ってくるのではと毎日、巣の方に視線をやるのは、軽い症候かも知れません。
巣の跡はそのままにしておくつもりっです。また来年にでもそこへやってくる可能性があるからです。