色と観念的なものとの繋がりのようなものをネットで調べていたら、以下の表のようなデータがありました。
それぞれ別の所からのものを抜粋したものですが、<資料1>はその色から「連想されるイメージ」、<資料2>はその色が示す「感情的なもの」だとのことです。
他にも、どの色が好きかで性格判断が出来るという資料もありましたが、血液型の性格判断よりは多少マシだとしても、さほど信憑性はないと判断しました。むかし、「紫が好きだ」というひとに、「あなたは盗癖がある」と指摘して殴られそうになったお利口さんがいたのを記憶しています。
それに比べると下のデータはかなり一般的で妥当なようにみえます。
<資料1> 色から連想される抽象的イメージ
赤 情熱、興奮、歓喜、危険、活動、刺激、行動
橙 健康、元気、活発、喜び、陽気、暖かい心、はしゃぎ、暖かい
黄 明朗、陽気、元気、楽しい、上機嫌、注意
緑 新鮮、平和、平静、若々しい、安全、有望、安らぎ
青 忠実、理想、清澄、沈着、寂しさ、涼しい、冷淡、さわやか
紫 高貴、神秘、優雅、心配、哀れ、女性的
白 清潔、純白、神聖、無邪気、公明
灰 陰うつ、不安、落ち着き、平凡、あいまい、憂鬱、哀れな、薄暗い
黒 厳粛、恐怖、悲哀、死滅、不安、中立、鈍い、陰うつ、大人っぽい
<資料2> 色と感情の相関関係
赤 激情・怒り・歓喜・活力的・興奮
橙 喜び・はしゃぎ・活発さ・元気
黄 快活・明朗・愉快・活動的・元気
緑 安らぎ・くつろぎ・平静・若々しさ
紫 厳粛・優えん(婉)・神秘・不安・やさしさ
青緑 安息・涼しさ・憂鬱
青 落ち着き・淋しさ・悲哀・深遠・沈静
青紫 神秘・崇高・孤独
白 純粋・清々しさ
灰 落ち着き・抑鬱
黒 陰鬱・不安・いかめしい
朱 熱烈・激しさ・情熱
ピンク 愛らしさ・やさしさ
茶 落ち着き
これらはおそらく、実験心理学などの応用として書かれているのでしょうが、暖色系が能動、寒色系が受動という傾向がある以外、ひとつひとつのそれは結構曖昧で揺らぎのうちにあるように思えます。
例えば、<資料1>の緑の「有望」というのはある種の価値基準を前提にしない限りよく分かりません。「平和」にしてもやはり状況との関連によるとしか言いようがないのではないでしょうか。
青はまた、「忠実」、「理想」であると共に「冷淡」であると書かれています。原理主義的な「理想」に「忠実」であることによって、リアルな現状に対して「冷淡」になると言うことでしょうか。まあ、これは私の深読みでしょうね。
紫の「心配、哀れ、女性的」というのも今ひとつよく分かりません。
白の「純白」については、そりゃあそうでしょうという他はないのですが、黒の「中立、鈍い」も私にとってはよく分からないところです。
<資料2>でも、例えば紫の「優しさ」は、<資料1>で見た「女性的」に関連しているのでしょうがどうなのでしょう。
青緑の「安息」と「憂鬱」の同居も今ひとつ分からず、むしろ矛盾しているのではと思えてしまいます。
同様のことは灰色にもあって、ここでは「落ち着き」と「抑鬱」が同居しています。
こうしてみてくると、一般的な傾向としてはそうなのかなとは思うものの、現実としてそう言い切れるのかどうかは大いに疑問とするところです。
ではどうしてそうした疑問に晒されるのかというと、上のデータは、「誰が、いつ、どこで、どんな状況下で色と対峙しているのか」が捨象された一般論、あるいは大まかな傾向を示すに過ぎないからだと思われます。
私たちの刺激に対する反応は、「パブロフの犬」*のように、刺激 即 対応といったストレートなものではないと思われます。もっといろんな仲立ちがあって、私たちはその刺激を受け止めます。従ってそのその受け止め方もまちまちで、必ずしも上のまとめの中には入りきることなく、様々にはみ出します。
「パブロフの犬」だって実際にはそんなにすんなり刺激に反応しているわけではないのです。
ですから、「赤い激情」、「青い哀しみ」、「白い純潔」、「灰色の不安」などという言葉を用いる文学者や詩人がいたら、それは凡庸であるといえるかも知れません。具体性を欠いた一般論を語っているからです。
私としては、「青い熱情」、「赤い純潔」、「緑の不安」、「黒い快活」などの表現に惹かれるのですが、これとて濫用されれば、それ自身がステレオタイプ化された言葉に堕しそうですね。
以上は「無色透明な憂鬱」に囚われた、私の「黄色い戯れ言」でした。
*「パブロフの犬」について(ネットから)… 3)が秀逸。
1)イワン・ペトロビッチ・パブロフ Ivan Petrovich Pavlov による条件反射の研究を指す。1902年にパブロフは犬の唾液腺の研究中に、飼育係の足音で犬が唾液を出すことを見つけ、条件反射についての研究をはじめる。その研究の過程で、ベルを用いての唾液分泌という実験方法を用いる。この条件反射で唾液を出す犬をパブロフの犬と称するようになる。
2)もし「君はパブロフの犬のような人だ」と他人に言われたら、その人は間違いなく君を侮蔑しています。つまり条件反射的な仕事はできるが創造的な仕事はできまない、というレッテルを貼られたことです。
3)条件反射の立証のため、犬がえさを食べるときにベルを鳴らすようにしていたパブロフ博士だが、続けるうちにパブロフ博士自身が犬を見るとベルを鳴らすようになった。
※写真は、青と緑のラプソディです。最後のもは青空と昼の月です。
やはり青は悲哀でしょうか?
それぞれ別の所からのものを抜粋したものですが、<資料1>はその色から「連想されるイメージ」、<資料2>はその色が示す「感情的なもの」だとのことです。
他にも、どの色が好きかで性格判断が出来るという資料もありましたが、血液型の性格判断よりは多少マシだとしても、さほど信憑性はないと判断しました。むかし、「紫が好きだ」というひとに、「あなたは盗癖がある」と指摘して殴られそうになったお利口さんがいたのを記憶しています。
それに比べると下のデータはかなり一般的で妥当なようにみえます。
<資料1> 色から連想される抽象的イメージ
赤 情熱、興奮、歓喜、危険、活動、刺激、行動
橙 健康、元気、活発、喜び、陽気、暖かい心、はしゃぎ、暖かい
黄 明朗、陽気、元気、楽しい、上機嫌、注意
緑 新鮮、平和、平静、若々しい、安全、有望、安らぎ
青 忠実、理想、清澄、沈着、寂しさ、涼しい、冷淡、さわやか
紫 高貴、神秘、優雅、心配、哀れ、女性的
白 清潔、純白、神聖、無邪気、公明
灰 陰うつ、不安、落ち着き、平凡、あいまい、憂鬱、哀れな、薄暗い
黒 厳粛、恐怖、悲哀、死滅、不安、中立、鈍い、陰うつ、大人っぽい
<資料2> 色と感情の相関関係
赤 激情・怒り・歓喜・活力的・興奮
橙 喜び・はしゃぎ・活発さ・元気
黄 快活・明朗・愉快・活動的・元気
緑 安らぎ・くつろぎ・平静・若々しさ
紫 厳粛・優えん(婉)・神秘・不安・やさしさ
青緑 安息・涼しさ・憂鬱
青 落ち着き・淋しさ・悲哀・深遠・沈静
青紫 神秘・崇高・孤独
白 純粋・清々しさ
灰 落ち着き・抑鬱
黒 陰鬱・不安・いかめしい
朱 熱烈・激しさ・情熱
ピンク 愛らしさ・やさしさ
茶 落ち着き
これらはおそらく、実験心理学などの応用として書かれているのでしょうが、暖色系が能動、寒色系が受動という傾向がある以外、ひとつひとつのそれは結構曖昧で揺らぎのうちにあるように思えます。
例えば、<資料1>の緑の「有望」というのはある種の価値基準を前提にしない限りよく分かりません。「平和」にしてもやはり状況との関連によるとしか言いようがないのではないでしょうか。
青はまた、「忠実」、「理想」であると共に「冷淡」であると書かれています。原理主義的な「理想」に「忠実」であることによって、リアルな現状に対して「冷淡」になると言うことでしょうか。まあ、これは私の深読みでしょうね。
紫の「心配、哀れ、女性的」というのも今ひとつよく分かりません。
白の「純白」については、そりゃあそうでしょうという他はないのですが、黒の「中立、鈍い」も私にとってはよく分からないところです。
<資料2>でも、例えば紫の「優しさ」は、<資料1>で見た「女性的」に関連しているのでしょうがどうなのでしょう。
青緑の「安息」と「憂鬱」の同居も今ひとつ分からず、むしろ矛盾しているのではと思えてしまいます。
同様のことは灰色にもあって、ここでは「落ち着き」と「抑鬱」が同居しています。
こうしてみてくると、一般的な傾向としてはそうなのかなとは思うものの、現実としてそう言い切れるのかどうかは大いに疑問とするところです。
ではどうしてそうした疑問に晒されるのかというと、上のデータは、「誰が、いつ、どこで、どんな状況下で色と対峙しているのか」が捨象された一般論、あるいは大まかな傾向を示すに過ぎないからだと思われます。
私たちの刺激に対する反応は、「パブロフの犬」*のように、刺激 即 対応といったストレートなものではないと思われます。もっといろんな仲立ちがあって、私たちはその刺激を受け止めます。従ってそのその受け止め方もまちまちで、必ずしも上のまとめの中には入りきることなく、様々にはみ出します。
「パブロフの犬」だって実際にはそんなにすんなり刺激に反応しているわけではないのです。
ですから、「赤い激情」、「青い哀しみ」、「白い純潔」、「灰色の不安」などという言葉を用いる文学者や詩人がいたら、それは凡庸であるといえるかも知れません。具体性を欠いた一般論を語っているからです。
私としては、「青い熱情」、「赤い純潔」、「緑の不安」、「黒い快活」などの表現に惹かれるのですが、これとて濫用されれば、それ自身がステレオタイプ化された言葉に堕しそうですね。
以上は「無色透明な憂鬱」に囚われた、私の「黄色い戯れ言」でした。
*「パブロフの犬」について(ネットから)… 3)が秀逸。
1)イワン・ペトロビッチ・パブロフ Ivan Petrovich Pavlov による条件反射の研究を指す。1902年にパブロフは犬の唾液腺の研究中に、飼育係の足音で犬が唾液を出すことを見つけ、条件反射についての研究をはじめる。その研究の過程で、ベルを用いての唾液分泌という実験方法を用いる。この条件反射で唾液を出す犬をパブロフの犬と称するようになる。
2)もし「君はパブロフの犬のような人だ」と他人に言われたら、その人は間違いなく君を侮蔑しています。つまり条件反射的な仕事はできるが創造的な仕事はできまない、というレッテルを貼られたことです。
3)条件反射の立証のため、犬がえさを食べるときにベルを鳴らすようにしていたパブロフ博士だが、続けるうちにパブロフ博士自身が犬を見るとベルを鳴らすようになった。
※写真は、青と緑のラプソディです。最後のもは青空と昼の月です。
やはり青は悲哀でしょうか?
川柳があるそうで。川柳の先生に、おこがましいですね。ごめんください。
認識できる色彩は、動物によって大差があるようなので、人間でも同じ認識ではないのかもしれませんね。
仕事上、色については少し学んだこともありますし、油絵を習っていたこともあります。
光の三原色の赤・青・緑を混ぜると白に、絵の具の三原色の赤・青・黄色を混ぜると黒に。即ち、光混色では黒が作れないし、インク混色では白を作れない。
また、太陽の反射光は青みががり、透過光は赤みがかるのも、面白いです。青空と夕焼けの差になります。
色は、摩訶不思議ですね。
私は青が好きなので、最後の青空写真の色などは最高です。
俳句は季語もそうですがそうした色の名前もそれだけでさっくりと状況を醸し出してしまうようで、言葉の力を感じさせますね。
川柳では例にお引きになっている「浅葱」が転じて「浅黄」になり、さらに浅黄色の裏地の着物をまとった江戸勤番の下級地方武士を「浅黄裏」で表現する句がかなりあります。
ただし、この浅黄裏、野暮で意地汚くて、もてないくせに女性に迫るという性格を付与され、徹頭徹尾馬鹿にされています。
引用がはばかられる品のない句が多いのですが、その中からまだマシなものを引くと以下のようです。
女には御縁つたなき浅黄裏
ふられてもしゃにむに浅黄かかるなり
あまっ子のようなにはまる浅黄裏
これらは、江戸っ子が自らの粋を誇る反面、田舎者を徹底して笑いのめす残酷さを秘めているようであまり好きになれません。
色彩についてお詳しいですね。
春望さんがお書きになっているのを読ませていただくだけで、色の不思議が分かるようです。
まあ、そうした色の不思議さを一義的に決めつけるのはどうかというのが私の文意でした。
青がお好きとか、でも青って単に悲哀でもないし、青のお好きな春望さんはしかじかの性格であるとは言われたくありませんよね。
青にもいろいろあって、それぞれの青が折々の味わいを持つというのがリアルなところだと思います。