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栴檀(せんだん)は毒にも薬にもなる千団子?

2016-01-02 18:08:50 | 写真とおしゃべり
 初詣にも登場したわが家の近くの鎮守様の一隅に、やや黒く沈んだ鎮守の森をバックに、ひときわ輝いでいる木立の一群がある。
 写真でご覧になるようにそれらは、黄金色の実がびっしり熟している数本の栴檀(せんだん)の木々である。

 栴檀といえば、「栴檀は双葉より薫じ、梅花は蕾めるに香あり」といわれるように、その香をもって珍重されるのかと長年思い込んでいたが、ここでいう栴檀とは実は白檀のことであり、通常私たちが栴檀と呼んでいる樹木とは関係がないことをつい最近になって知るに及び、目から鱗ものであった。

           

 なぜそんなことになったのかを調べてみたら、この木が文字として現れるのは万葉の頃からだが、ただし、その名は栴檀ではなく、楝(あうち)としてであり、その後に文献に登場する際にもそれはずっと楝であり、栴檀と呼ばれるようになったのはたかだか江戸時代からだとのことらしい。
 そしてそれは、三井寺で行われている千団子祭と関わるというのだ。
 ではその千団子祭とはどのような祭りなのかを三井寺のHPから引用してみよう。

           
 
 「三井寺の守護神である鬼子母神の祭礼。千個の団子を供えることから「千団子祭り」と呼ばれ、600年以上続く伝統的な祭礼として大津の人々に親しまれています。鬼子母神は訶梨帝母と称する女神で、自らは千人の子供を持ちながら、人間の子供を奪って食べる鬼神でしたが、お釈迦様の説法を聞き、懺悔して仏法を守護する神となりました。
 わが国では、子供の無事成長を守護し、また婦人の無事安産をかなえる女神として信仰されている。祭礼では、子供の無事成長にちなんで植木市、苗市が開催されます。
 また、堂前の放生池では、生きとし生きるものすべての命を大切にする「放生会」が行われます。これは子供の無事成長の願いをこめて、その子の名前と年齢を亀の甲羅に書いて池に放す行事です。」

           

 では、それと栴檀の由来とがどう関わるのかは、その形状の類似にあるというのだ。
 ようするに、楝の木には千団子に似た実が鈴なりになる。この木は千団子の木である。それが三井寺の千団子祭(または千団子講)と関連付けられ、千団講から音が同じ栴檀講になり、さらにそれが千団子の木=栴檀の木になったというのだ。
 なんだか語呂合わせのような話だが、これ以上に信憑性のある説にはお目にかかれなかったし、上に載せた千団子祭の団子の写真はかなりの説得力をもつ。

           
  
 栴檀の木に関してもう一つ。この木の樹皮や果肉は漢方の材料となることである。その効能は、腹痛、しもやけ、ひび・あかぎれ、腸管寄生虫症などとある。ただし、この実を食べ過ぎると死にも至るという。
 ようするに、薬にも毒にもなるのだ。こうした「毒」と「薬」の両義をもつ語としてよく知られているのはギリシャ語の「パルマコン」という言葉である。いわゆる「両義性」をもつということであろうが、現代思想などではもう少し含意のある言葉として用いられている。

           

 このパルマコンは、既成秩序から排除されるものや観念(思想)がもつ性格をいい,それらの観念やその持ち主は毒として排除される。しかし、同時に新たな社会と共同体の結束の媒体ともなり、ソクラテスやイエスがその代表例とされる。
 いってみれば、既存の社会に対しては毒と言えるような人間こそが、その社会の更新にとって薬となり得るというところだろうか。
 もっと突っ込んで勉強したい方は、J・デリダに、ずばり『パルマコン』という書があるので参照されたい(私は未見)。

           

 私が疎開先で入学した国民学校(1947年=昭和22年からは小学校)の校庭には、栴檀の大木がどんとそびえていてなかなかの偉容であった。それにもまた懐かしい思い出があるが、長くなるのでそれはまた。

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