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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

百均の優れものと中国製品・2

2008-02-20 03:44:39 | 社会評論
 食を中心に従前からくすぶっていた中国製品に関する問題がいっそう注目を集めている。当然であろう。
 ただし、親中派であれ嫌中派であれ、この問題に政治的バイアスをかけて論ずることは現実性を欠いた無効な言説に過ぎないであろう。

 例えば、この問題を正面から取り上げることを抑制しようとする親中的態度があるとしたら、それはひいきの引き倒しというものである。
 何よりも、具体的に犠牲者が出ていること、今後ともその可能性があることを無視することは許されない。

 逆に、これをもって鬼の首をとったように言い立てる嫌中的態度も解せない。中には、まるで、犠牲者が出たことを喜んでいるような言説すらある。また、これをもって中国製品のボイコットを呼びかけるのも早急というべきだろう。

 この二つの言い分は、基本的なところを見落としている。
 それは、日本の食糧自給率が40%を切っていること、食材輸入量のうち30%以上を中国に依存しているという現実である。
 そして後述するように、その様相が基本的に変わらないとしたら、この二つの言説はともに現実逃避であり、問題と正面から向き合っていないというべきであろう。

    

 中国の食材を避けたいと思うのはもちろん理解できる。そして、実は親中派の人たちにもそうしている人が結構多いはずなのだ(逆に嫌中派でありながらそれに無神経で、現実には消費している人もいるはずだ)。
 しかしながら、中国製品のボイコットには現実性がないし、そればかりか不可能ですらあり、むしろ困るのはこちらの方だということだ。

 先に、食の自給率について述べたが、今度は外食率についてみてみよう。これが30%を超えていて、私たちの生活スタイルの変化などによりいっそうその率が高まる可能性が指摘されている。
 ということは、私たちがいくら自分で買うものから中国製品を外しても、それを口にする機会はいくらでもあるということだ。

 各種大手の外食産業は、当初こそ、「中国製品は使用しません」と大見得を切っていたが、「すかいらーく」をはじめ、各チェーンが続々と使用を再開しつつある。おおかたの社員食堂などでもそうである。スーパー銭湯の軽食部門なども、もともとそれなくしてはやってゆけないコスト構成なのだ(私はその現場にいたことがある)。
 要するに、コスト面で中国製品の使用は半ば前提となってしまっているのだ。原油高や穀物高が続く中で、この上、安い中国の製品を仕入れリストから外すわけにはゆかないのだ。

 それでは危険承知でそれらを食えというのかと追求されそうだが、前提になっている現実は、自給自足によるものやお墨付き国産品のみを用いた自炊を行っていない限り、それらは「常に既に」食わされてしまっているということなのだ。
 また、それを拒否することは、高級料亭、あるいは専門店並みの価格で食をとらなければならないことを意味する。そしてそれは、大部分の日本人にとって不可能なことなのだ。

      

 こうした事情の背後には、日本が食料生産を手放し、中国との間に分業体制を作ってきたという歴史的経緯がある。食のみにかかわらず、いわゆる労働集約産業を海外に依託してきた経緯がある。それらは、いわゆるグローバリゼーションの内実をなすものであり、今後、ますます進行してゆくことは必至であろう。

 ではどうすればいいのか。
 中国が安全なものを作るようにし向けてゆくしかない。製造体制や管理体制、検査基準についての技術供与を強化し、そのための情報交換を緻密にしてゆくしかない。その意味では今回のような事件は(犠牲者の方には申し訳ないが)チャンスなのである。
 中国にとっても日本市場を失うわけには行くまい。だからこそ、この機に彼らの安全基準のレベルアップを図るべくいっそうの情報提供や技術供与を強化すべきなのである。

 この問題は、親中派のように、出来るだけそれに触れずにいても、また、嫌中派のように中国にそっぽを向いていても、何とかなるようなものではない。
 これが冒頭に述べた、政治的バイアスをかけて論じることの非現実性と非有効性の意味である。
 
 繰り返すが、むしろ、日本の食の将来にとって避けて通れない問題としてちゃんと問題に向き合うことが大事なのである。そして、中国との間に、官民を問わず、現実的な問題解決の措置が計られるべきである。
 これが不可能なら、東京を始めとする大都市の都心にブルドーザーを入れてすべてを撤去し、昔ながらの田園地帯に戻す他はないのだ。

      

 問題を拡散させないために、食に限定してきたが、その他の中国製品の氾濫にしても、労働集約型の産業や付加価値性の低い産業を海外に追いやった結果なのである。
 この論は、そもそも百均について触れた前回の日記の続きなのだが、百均という形態が可能になったのもそれらの結果である。
 
 嘘だと思ったら、中国製品の全面輸入禁止に踏み切ることを想像してみればいい。百均の売り場はがらがらになり、それ自体が成立しなくなるであろう。
 そんなことになったら、必要なものはまず百均を覗き、無ければ専門店をというパターンで生活をしている私は、たちまち路頭に迷うのである。


日本人は、物忘れが早い
 かつて大メーカーの粉ミルクにヒ素が混入し、それを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出したことや、食用油にPCB(ポリ塩化ビフェニル)が混入し、それを摂取した人々に、肌の異常、頭痛、肝機能障害などを引き起こし、その赤ちゃんにまで母乳を介して影響を与えた(いわゆる「黒い赤ちゃん事件})ことをすっかり忘れている。
 また、わずか数十年前、日本の製品は「安かろう悪かろう」だと、当時の先進諸国から非難やボイコットをされてきた事実があることもすっかり忘れている。
 
 それらの試練の中で鍛えられ、日本の製造業は今日にまで至ったのである。
 それらの製造業や建設業の幾つかが、そうした経過を忘れ、近年、偽装や詐欺まがいのことをはじめだしたことは憂うべきことである。

 むろん、これをもって中国製品の安全性を甘く見てやれということでは決してない。
 逆に、これらの経験の中で掴み取ってきたスキルを分け与えることが、まさに今必要だと思われるのだ。

 

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