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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

蝉の死ぬるやあわれ ひょんと死ぬるや

2013-08-04 00:42:12 | よしなしごと
 昨夕、わが家で珍しいものを見つけた。羽化しつつあるアブラゼミである。
 幼虫の背を割って、半分ぐらいは抜け出ているが、まだ羽は見えないしこれからだと思った。
 蝉は、その羽化の間がもっとも無防備で天敵などに狙われやすいため、夕方から朝にかけてそれを行い、明るくなった頃にはスッカリ飛翔能力を身につけて危険から逃れるのだという。
 写真を撮り、「おい、もう少しだ。頑張れよ」と胸の内で声をかけてその場を離れた。

         
               半分は抜け出せたのだが・・・

 で、今日の午前、無事に羽化を済ませたかどうか見に行った。
 昨夕しがみついていた枝にはもういない。
 無事に羽化し終えてどっかへ飛んでいったかこの樹の上にでもいるのだろうとひとまずは安堵した。さてその抜け殻は?と探してもその枝には残っていない。ならば地上にと思ったのだがそこにも見当たらない。
 
 その枝の下にナンテンが生えているのだが、ひょっとしてそこにと思って見たら、やはりその枝に引っかかっている。それを取ろうとして出した手を思わず「アッ」と引っ込めた。
 たしかにそこにあったのだが、それは抜け殻ではなく、昨日私が写真に収めたように半分抜けただけの姿でそのまま引っかかっていたのだ。
 ひょっとしてまだ脱皮中で生きているのではないかと思ったが、やはりダメなようでピクとも動かない。

                 
              う~ん、さぞかし無念だったろう

 地中での雌伏6年間(アブラゼミの場合)、やっと地上に出て相方を見つけ、これから短い青春を謳歌しようとする寸前で、そのための羽化に失敗して命を失うなんてあまりにも哀れではないか。
 今度は地上で横たわる姿を写真に収め、引っかかっていたナンテンの根もとに葬ってやった。

 そうこうしているうちに、三重県の伊勢市出身で若干23歳で戦死した竹内浩三(1921~45年)が21歳の頃に作ったという詩を思い出した。
 青春を奪われたその死がどこかで重なったのだろう。


 骨のうたう(1942年)
 
 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるや あわれ
 遠い他国で ひょんと死ぬるや
 だまって だれもいないところで
 ひょんと死ぬるや
 ふるさとの風や
 こいびとの眼や
 ひょんと消ゆるや
 国のため
 大君のため
 死んでしまうや
 その心や
  (以下略)


         
               これは羽化に成功した抜け殻

 考えてみれば、この竹内浩三は、私よりも17歳上にしか過ぎないのだ。
 この17年が示す差異の重みを考えながら、同時に現状を考えた。
 激動の昭和の重みを本当に知らない人たちによって、そこでの愚行や悲惨をなかったことにするかのような言動が横行している今日、哀しいかな私たちは、そうした無知に発する言動と、現政権のありようとを区別する指標をすらもはやもってはいないのだ。


       誰が罪を責めて夜半の蝉しぐれ   六

 

コメント (7)    この記事についてブログを書く
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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (六文錢)
2013-08-05 22:16:49
>漂着者さん
 穆木天(ムームーティエン)の詩、寡聞にして知りませんでした。
 早速ネットで検索し、全文を読みました。

  
  きみに聞かせるけれど、やつらはぼくを尋問したが
  ぼくはやはり口を割らなかった、「満州国人だ」とは。


 これが最後のフレーズですね。
 ついで解説を読み、この誇り高い詩人が、1971年、あの文革のなかで死亡したというのを読み、とても複雑な思いにとらわれました。
 ご教示いただき、ありがとうございました。
返信する
Unknown (漂着者)
2013-08-05 21:26:11
 竹内浩三の詩を知ったとき、戦時下の空気の中でこのような精神がまだ呼吸していたことに驚きました。同じ時代に、中国の穆木天(ムームーティエン)が書いた「おまえら叩くのを止めろ、おれは人間ではないんだ」(1936年)という詩も好きです。

 長い引用は控えますが、満州で日本人から「お前はなにびとだ」と訪ねられ「中国人」「日本人」「朝鮮人」と答えるたびに叩かれ、最後に「おまえら叩くのを止めろ、おれは人間ではないんだ」と叫ぶのです。そしてつぶやきます。「満州国人」とは口を割らなかったと。

 満州国人と名乗らされる屈辱より、人間ではないという屈辱を選ぶ男の詩です。あの時代の遠く隔たったふたつの国で、苦しいけれど一矢報いる精神があったことを思います。
返信する
Unknown (六文錢)
2013-08-05 17:46:42
>さんこさん
 ちゃんと思いは伝わっていますから大丈夫ですよ。
 私なんか、本文のなかでしょっちゅうやっていますが、ブログ主の特権であとから直せるため、こっそり直して素知らぬ顔をしています。
返信する
Unknown (さんこ)
2013-08-05 17:29:00
なんと恥ずかしい! 変換ミスで、配線となっていますが、もちろん敗戦記念日です。うっかりミス、ごめんなさい。
返信する
Unknown (六文錢)
2013-08-05 11:48:24
>只今さん
>さんこさん
 独特のリズム感をもった詩ですね。
 竹内浩三はとてもマンガが好きだったようで、その表現と似通っているのかもしれません。

http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

 というページに、彼についてのさまざまなデータが収録されていて、そこに彼が16歳のときに作った個人漫画誌「まんがのよろずや8月号」も載っています。そこをクリックし、順次「Next」を押してゆくと様々な作品が出てきます。

 その他、手紙など読んでも、詩と同様、に早熟で多彩であったことが伺えます。そんな青年の命を無残に奪う戦争をやはり許せないと思います。

 お姉さんへの手紙も収録されていますが、彼女も偉いですね。むしろ、戦時中にほとんど公にならず、お姉さんのもとにあったから今日に残ったのかもしれません。
 公になっていたら、発禁はもちろん、原稿類も没収されていたでしょうから。
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Unknown (さんこ)
2013-08-05 10:52:50
兵士の死は、無残だったことでしょう。

竹内浩三のお姉さんが、詩を保存していたのですよね。

幾つかの同じような詩が書かれ、それさえも人の目にも触れず、消えて行ったかもしれないですね。

もうじき配線記念日です。
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Unknown (只今)
2013-08-04 10:32:30
 「蝉」と竹内浩三といえば、
「12ヵ月」という詩の8月の章に蝉が・・・。
 =ウエハースがべとついて、クリームが溶け始めた
  その香をしった蟻が畳の間におちこんで
  蟻の世界に珍事が起り、
  蝉が松でジッーとないた=

 出征の日、チャイコフスキーの悲愴を聞いていた浩三は、見送りのため外で待つ人たちに、こう頼んだ。
 “すみません、最終楽章まで聞かせてください”

 今夜のNHK音楽館は、チャイコフスキー。
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