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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【油蝉】この豊かな色彩を持った虫。

2008-07-28 01:20:58 | フォトエッセイ
 アブラゼミです。
 夕方帰宅したら、玄関先に横たわっていました。
 死んでいるのかと思って手にしたら突然、手足をばたばたし始めたのです。
 う~ん、この色合いからすれば、殻を抜けて成虫になったところかなと思い、とりあえずは植木の幹にとまらせました。そして絶好のチャンスとばかり至近距離から撮影。

    

 パソにとりこんだその映像を見て驚きました。
 子供のころからもっともポピュラーなセミで、よく捕らえて手にもしましたが、その色彩がこんなに豊かであると思ったことはありませんでした。

 ジィ~イ、 ジィ~イ、と泣く様が揚げ物をしているようだからアブラゼミというのは本当でしょうか。それはともかく、その色彩がほんとうに豊かなんです。

    

 よくTVの番組などで、普段私たちが見慣れているものをお題として出し、それを描かせるというものがあります。
 それが結構違うのですね。色や形、それぞれの部分の大きさのバランスなどがいろいろ違ってきて、そうした違いの総和として現物とは似ても似つかなかったり、あるいは一見似ているようで微妙に違ったものになります。

 これらは、記憶力の問題や、表現能力の問題にも関連するのでしょうが、それ以上に当初の観察がちゃんとなされていないことによるのでしょう。
 今回、新たに観察する機会が与えられ、改めて、「へ~、アブラゼミってこんな色してたんだ」と再認識した次第です。
 
 同時に、単に虫の色合いにとどまらず、私の中には観察不十分による雑然とした思い込みがいっぱい詰まっているのではと自戒することしきりなのです。

    
 
 変に屈折してきましたが、いいたかったことはアブラゼミは実に美しいということであり、子供のころから何百回も手にしてきた私が、改めてそれに気づいたということです。

 夜半、夕刻にあのセミをとまらせた植木を見に行きました。
 彼or彼女はそこにはいませんでした。
 残された生の短い期間に向かって飛び立ったのでしょうか。
 
 アブラゼミは夜半に時折、一声だけ、「ジィーッ」と鳴くことがあります。
 先ほどそれを聞きました。
 しかし、その声が彼or彼女のものかどうかは分かりません。
 

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8 コメント

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Unknown (さんこ)
2008-07-28 08:42:05
こんなに美しい油蝉ははじめてです。今年の夏は、油蝉より、しゃあしゃあ鳴く熊蝉が、多いような気がするのは、気のせいでしょうか。羽の透き通った
大ぶりの黒いからだのくま蝉、と言うイメージが私の中にはあるのですが、もしかしたら、違っているかもしれませんね。思い込みかもしれませんね。
 私の住んでいるところ、蚊とムカデと蝉の多いことで、昔から、晩秋まで、虫害に悩ませられるのですが、蝉だけは、この頃のマンションブームで、夏の終わりとともに、姿を消します。
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Unknown (游氣)
2008-07-28 13:06:48
メスは啼きませんよ。
啼くなら彼でしょうね。
俳句では啼かないセミを唖し蝉などと言いました。
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Unknown (六文錢)
2008-07-28 14:36:34
>さんこさん
 私の子供のころ、アブラゼミとニイニイゼミが主流であったこの地方では、クマゼミは滅多に見ることができず、宝物のような存在でした。
 もともと耐寒性に弱い南方系のセミなのだそうですが、それが今では次第に北上し、関東平野を席巻し、今や東北にまで及んでいるそうです。
 温暖化の影響だともいわれています。

 夏の終わりに鳴くツクツクボウシのどこか哀愁に満ちた調べも面白いですね。
 山間部で聞く夕べのヒグラシの哀願に似た鳴き声も・・。

> 游氣さん
 そうですね。彼なんでしょうね。
 そういえば、俳句の世界でも使えなくなった季語がかなりありそうですね。
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Unknown (只今)
2008-07-28 15:38:34
「蝉いまだ鳴かず夏場所中日過ぎ」
 《七月十八日、千秋楽を待たずに平幕の水戸泉が優勝。それから三日後の二十一日、名古屋のアブラゼミは初鳴き、平年より十三日遅れと気象台は発表した。「な」と濁音の重なりと共に、1992年名古屋の夏の句として記憶しておきたい》
 という評は、故近藤芳朗。彼のおだてに乗って「朝日俳壇」に投稿したら、金子兜太が「正確には夏場所ではないが」と注付で採ってくれた。
 思えばあれから16年、茫々の思いではしたない自慢の一席まで。乞う寛容。
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Unknown (只今)
2008-07-29 10:51:37
はしたない自慢をしたついでに、今一席。
 気象台は、蝉の初鳴きは広報するのに、鳴き収めには関知しないようです。
 ならば今年こそ、その日を確認したい!
 昨年、「今年また蝉の終わりの日を知らず」という句を、これまで一句も採ってくれなかった稲畑汀子が巻頭で採ってくれました。その愛想にも応えるためにも、今年こそ、その終わりの日を確認したいと思うことや切。
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Unknown (冠山)
2008-07-29 14:32:39
蝉がなんと美しいこと。おどろきました。鳴き声は10年来の耳鳴りとごっちゃになってゆっくりとたのしめないですが、庭の金柑に抜け殻は幾つも。調べたら全国的に抜け殻の調査をしているようで、早速孫の夏休みの宿題のテーマに相談してみよう。孫がのってくれるかどうかが第一の関門。… さ庭にも蝉の仮宿みつふたつ… 
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Unknown (六文錢)
2008-08-01 02:21:24
>只今さん
 冒頭の句、コメントを読む前に、なんとリズム感がある句だろうと思いました。
 その後のコメントを読んで、なるほどだからリズム感が納得。
 金子兜太が採ったのもむべなるかなです。
 しかも「夏場所ではないが・・」の注釈つきというところで、思わず笑ってしまいました。

 物事の始まりの探索は、今までなかった事柄が始まるという意味で、「お、始まった」と確認しやすいのですが、終わりの確認は難しいように思います。
 私の場合、何ごともたいていは、「気がついたらいつの間にやら終わっていた」です。
 
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Unknown (六文錢)
2008-08-01 02:34:00
>冠山さん
 さんこさんがお書きになっているように、全国的にはクマゼミがアブラゼミを駆逐しつつあるようなのですが、どういう訳か、私の近辺ではあまりクマゼミは見かけません。

 岐阜はやはり、後進的で流行には遅れるのかななどと思ったりしています。

   さ庭にも蝉の仮宿みつふたつ

 のお作、「みつふたつ」と「ふたつみつ」ではどう違うのだろうかなどと些末なことを思いながら、舌の上を転がしています。

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