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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

亡くなっていた旧友の遺作写真作品を観る。

2024-04-17 15:54:45 | ひとを弔う

 ネットの黎明期、90年代の中頃に「パソコン通信」というものがあった。今のSNSの走りのようなもので、私はそのうちの「東海フォーラム」に参加し、いろいろな人と知り合い、情報の交換などをした。
 時折、ネットを通じないオフ会という飲み会などもあって、当時まだ居酒屋をやっていた私の店がその会場になるなど、営業上の恩恵を受けたこともある。

 その折の会員の交流はけっこう濃密で、パソコン通信がなくなり、MIXIやFB、Xの時代になってからも交流が続いている人がいまなお数名以上いる。ほぼ30年のつながりだ。

      

 そのうちの一人に、大垣市在住のTさんがいた。元国鉄の機関士で組合は国労(国鉄労働組合)に所属していた。国鉄が民営化しJRになる折、JR当局は国労から離脱し、より穏健なJRの労組へ鞍替えすることを求めた。組合の骨抜きを警戒し、それに応じない人たちもいた。そうした人たちにJRは露骨に差別待遇を行い、JRへの移行に際し、役職やこれまでの職場を取り上げたりした。

 Tさんもその一人で、かつて関西線の機関士として並走する近鉄特急とスピードを競い合ったという彼は、キオスク勤務という命を受けた。
 私が居酒屋を辞めて以後も、名古屋でのオフ会の帰りなど、大垣の彼と岐阜の私は岐路をともにし、よく話をしたものだった。
 その後、新たなSNSの時代では、そこでは合わなかったものの、彼の勤務地が岐阜駅ということで、そこで顔を合わせ、よく近況を語り合ったりした。

 彼が退職してからはそうした機会もなくなったが、つい先日、当時からの共通の友人から大垣でのある写真展の案内が送られてきて、それにはTさんの名もあったので、その写真を観ながら、うまくゆけば彼と久々の出会いを楽しめるかもと思い出かけた。

 車で出かけた。市内以外へと出るのは久しぶりだ。大垣は近い。駅まで出てJRで行き、そこからバスなどを探していいる間に着いてしまう。久々の郊外だから安全運転には心がけたが、道路も広く、ほぼ一本道で混雑もなく、あっという間に着いた。

 スイトピアセンターにある展示会場を見つけ、まず入口にいた会員とおぼしき人に、「今日は高木さんはいらっしゃいますか」と尋ねた。途端に三人いた人たちの顔に、驚きと暗い表情が走った。

       

 「ご存じなかったですか?」と逆に問い直される。「は?なにをですか?」と私。「先月、16日にお亡くなりになりました。今回のご出品はそのご遺作です」とのこと。
 驚いてその事実を確認し、私自身の自己紹介をし、個人との関係を話す。そのうえで、心を鎮め、写真を鑑賞する。もう35回の展示会を重ねるところからかなり伝統ある写真クラブだと思われる。それぞれのレベルも高そうだ。

 写真の対象やジャンルなどには統一した方向性はなさそうだから、作風については会員個人の自由な選択に任されているようだ。中にはPCでの処理を最大限に活用した抽象画風のものもある一方、あくまでもリアルな対象を明瞭に表現しようとするものもある。

 目指すTさんの作品は猛禽類を中心とした動物写真だった(他にもう一人、同様の作品を寄せている人も)。タイトルは「イヌワシ」、「琵琶湖のオオワシ」、「ハヤブサの空中餌渡し」、「ツキノワグマ母さんの授乳中」、「イヌワシ幼鳥」、「草原の貴公子ハイイロチュウヒ」の6点で、これら対象はどこにでもいるものではなく、その生態や居住区域、季節ごとの行動など、あらかじめのリサーチとそれに基づく粘り強い追跡行が必要なことはいうまでもない。加えて相手は動くもの、それを確実に、しかも鮮明にキャッチする技能が伴わないと作品として対象化しうるものではない。

 生前のTさんの、とことん対象に粘り強くこだわる性格が見て取れるようであった。とりわけ、「ハヤブサの空中餌渡し」や「ツキノワグマ母さんの授乳中」などは、珍しい瞬間をキャッチしたものとして、撮影者、つまりTさんの「やったぜ!」という表情がみえるようであった。
 見終わってから残っていた会員の方と再び多少の言葉をかわし、会場をあとにした。

          

 ところで、このスイトピアセンター、なかなか大きな施設で、他にも展示会などがありそうなのでついでにそれも観てきた。
 まずは同じ階でかなり広い空間を使って行われていた「清雅会書展」という書道展。この会は1950年代後半に発足したとあるから西濃一体を地盤とした大きな団体らしい。書は全くのド素人だから作品の評価などは出来ないが、どれも堂々としたものが多かった。むろん書体はいろいろ。
 
 特別な催しとして、太い竹に書いた文字の部分をくり抜き、中からライトを照らす書行灯のコーナーがあり、竹の内側に好みの色の紙を巡らすと、光の文字の色が浮き出すという優雅な試みだ。

 一階下では二つの絵画展をやっていて、それぞれ、絵画教室の発表会のようであった。同じモデルや同じ風景を対象とした作品もあって、作品の良し悪しというより、その習熟度が見られるということだろう。なかには、やや面白い表現というか個性的な筆使いをしている人もいる。

 それらを駆け足程度に見て回り、Tさんの訃報とその遺作のイメージを抱いたまま大垣の地を離れた。
 来月、5月の11・12日は大垣祭りでからくりの山車も出る。近所のサークルで行くことになっている。1944年に大垣に疎開して以来6年間住み続け、そのうち何回かは大垣祭りを観ている。山車では「瓢箪鯰」をよく覚えている。今回実に久々だが、その瓢箪鯰に逢えるだろうか。Tさんも何度か見ているはずだ。

 最後に改めて、Tさんの御冥福を祈りたい。Tさん、あなたの写真、観たよ。素晴らしかったよ。

 写真はいずれも大垣スイトピアセンターの庭で。

コメント
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