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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「詩的な生へ」と「キャンセルカルチャーの恐怖」ここしばらくに読んだ書二冊から

2023-09-24 14:33:18 | フォトエッセイ
 読書のスピード、読解力の衰えは否めないが、でも細々となにがしかは読んでいる。
 以下は最近読んだものから。

            


1)エドガール・モラン『知識・無知・ミステリー』 訳:杉村昌昭  法政大学出版

 著者は現在102歳の社会学者・思想家。この書はその95歳の折のもの。
 そこに書かれたいたものは実に総合的なもので、その基本的な視点の展開(古来よりの哲学者の思惟の発端である対象への驚き)から始まり、ビッグバンによる宇宙の始まりへの考察、地球の誕生からその変遷の過程で生命が誕生し、さらには人間の登場を論じ、精神を考察した後、人間以後、つまりポストヒューマンに触れて終わる。

 200ページほどの書だからこれらが厳密に論じられているわけではない。その考察の視点はディアロジック(対話的論理)と称するように一つの固定した視点からのみならず、複眼的に語られる。
 
 この膨大な宇宙の始原から人類の行く末までの考察の行きつくところを簡潔に述べておこう。それは、19世紀以降の人間がそうであるような、「科学/技術/経済」の三位一体への信仰の轍を脱しなければならず、そのためには「散文的な生」から「詩的な生」への主体性の変換が必要だということである。
 そういえば、この書の展開する対話的論理も、論理的な=散文的なものと詩的なシャーマニズムやエクスタシーとの対話としてなされている。

            


2)アベル・カンタン『エタンプの預言者』 訳:中村佳子  KADOKAWA
 
 これはフランスの小説家。弁護士と作家という二足のわらじを履きこなしているようだ。これは二作目だという。
 このタイトルはこの小説の主人公で著述家でもあるジャン・ロスコフが著した著作の題名でもある。その対象とした人物は、戦後のアメリカのジャズミュージシャンであり、共産党員であり、黒人でもあったロバート・ウィローで、彼は40年代後半から始まった赤狩りのマッカーシズムを逃れて、1950年代はじめフランスへ亡命する。フランスのパリで彼が落ち着いたところがエタンプという街でありタイトルの「エタンプの」というのはそこから来ている。

 このウィロー、フランスではサルトルなどの周辺に居つきながら、その晩年にはフランス語で二篇の詩集を書いている。しかし、60年のはじめ、車の運転中にその操舵を誤り、街路樹に激突してその生を終えている。
 このウィローを伝記的にまとめて世に問うたのがこの書の主人公、ジャン・ロスコフであった。

 実はこのロスコフ、それ以前に原爆開発に関わったアメリカのローゼンバーク夫妻がソ連のスパイとして囚えられ、死刑に処されたのを対象にし、それがマッカーシズムのでっち上げで無罪であったとする書を著している。しかし、その出版後の1989年、ローゼンバーク夫妻が実際にソ連のスパイであったことが立証され、面目を潰した経歴がある。
 それだけに今回の書については慎重に慎重を重ねて著したといってよい。

 にも関わらずである、この書についてあるクレームが付き、それがネットで拡散されることとなる。ロスコフが描いたウィロー像において、彼が黒人であったこと、そしてそれによる彼の立ち位置などについての関心がとても希薄だという書評がそれだった。ロスコフは、たしかにそのとおりだが、それよりも、彼がコミュニストであり、音楽や詩においての表現者であったことが重要な要素だとして、その書評を退けた。

 しかし、その後の大勢は、最初の書評の線に沿って進み、ネットへの書き込みは白人中心主義の黒人差別であり、「レイシスト」とレッテルを貼るものまで現れた。こうした刺激的な言葉がネットを熱くする。それらは日を負うに連れて燃え上がり、いわゆる炎上状態に至る。いわゆる「キャンセルカルチャー」の荒波に囚われてしまったのだ。
 
 彼の書を読みもしない連中もが尻馬に乗り、彼を罵り、ついには住居のドアを壊されるに至る。さらには、別途居を構える彼の娘が襲われたりもする。彼への支援がもっとも必要なときなのだが、逆に、これまで彼に好意的であった人たちも離れてゆく。類焼を恐れたためである。
 彼は、なすすべもなく立ち尽くす以外にないのだが、やがて、彼の動向とは無関係に非難の波は弱まってゆく。

 決して彼が容認されたわけではない。彼がもはや瀕死の状況であることを見極めた連中が、新しい攻撃目標を見出し、そちらへと移行していったからだ。悪夢は去ったかのようだった。

 そんなロスコフのところへ、彼が書いたウィローの甥という男が現れる。そして、ウィローについての真相を明かし始める。それによれば、彼が黒人であったかどうかを超えて隠されていたある事情が明らかになってくる。そしてその死の真相も・・・・。
 このどんでん返しの詳細は述べないが、ロスコフは、ローゼンバーク夫妻を擁護したときと同様のしっぺ返しをされていたのだ。キャンセルカルチャ-の連中すら知らなかった事実によって。
 時代の変遷は残酷である。真実と思われたものが、ある日まったく違った様相へと逆転する。

 20世紀のそれはヒトラーとスターリンに代表されるかもしれない。しかし、ヒトラーの方がやや単純であるのに、スターリニズムの闇は深い。ロスコフの描いたウィローも、そして、それを描いたロスコフそのものも、その闇を見間違えたと言えるであろう。
 それにしてもキャンセルカルチャー趨勢は当分続きそうである。

キャンセルカルチャー
 典型的には、芸能人や政治家といった著名人、また一般の個人を対象に、過去の犯罪や不祥事、不適切な言動とその記録を掘り起こし、大衆に拡散して炎上を誘って社会的地位を失わせる運動や、それを良しとする風潮を指す 。 2010年代中頃からアメリカ合衆国を中心に全世界に拡大した。(wiki による)

私もこの書に描かられたローゼンバーク事件とはまったくの無縁ではない。
 1957年、大学入学後の演劇部で、最初にとりあげたのがこの夫妻の往復書簡を戯曲にした「愛は死をこえて」だったからだ。いわゆる正統左翼=日本共産党にいろいろ疑問を持ってはいたが、このローゼンバーク事件はアメリカCIA のでっち上げ事件だと思っていた。
 1989年前後に、彼らが実際にソ連のスパイであったことがソ連当局の資料によって公表された時、一瞬、目眩に似た衝撃を覚えた。
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