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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

12年前の遺産と今年の早春賦の味

2023-03-13 02:30:07 | フォトエッセイ

【12年前】地震に驚き、津波に驚き、原発事故に驚いた。膨大な被災者に対し、お上の援護もだんだん形式だけになってきている。とくに原発事故。
 「除染してやったぞ、さあ、帰れ」と言われたって「ヘイ、それじゃぁ」というわけにはゆかないのだ。TBS系のレポートでは、被爆地出身の人たちは、そこが故郷故、帰りたい気持ちはあっても、実際には帰らない、帰れないという人が圧倒的に多いという。
 その理由は、帰っても生活できないということだ。働く場所もないし、生活物資を売る商店もない。ではそうした工場などを誘致し、スーパーなどを出店させればということになるのだが、工場主やスーパー経営者にとしては働き手や買い物客のいないところへの進出は考えられないという。このマイナスのスパイラル、もっともな話だ。

       
 
 これらの話は、人々が共同生活をする場所は、「せ~の~」で一斉に立ち上がったり、放射線量が落ち着き、電気、ガス、水道などのインフラが整えばそれでじゅうぶんということではなく、そこに住まいする人たちの有機的な繋がりがなければならないということ示して余りある。そしてそれは、長い年月をかけて作られてきたものだ。
 それを一瞬にして破壊し尽くしたものこそがあの原発事故だったということを今一度確認しよう。
 にもかかわらず、お上はまったくそれを反省などしていない。それどころか、半世紀前に作った原発の再稼働を画策したり、新規原発の建設すら目論んでいる。
 この12年間、彼等にとっては冷却期間でしかなかったのだ。私たちは改めて、「喉元過ぎれば」で忘れやすい者たちの群れになるか、それとも、執念深く被災者の立場に立ち続けるかという選択を、突きつけられているのだ。

【思い出したが遅かった】今月の初めころからだろうか、なにかしなければという思いが募るのだがそれがなんだかわからなくてもどかしい思いをしていた。
 10日を過ぎて、突然それを思い出した。そう、土筆だ。今年はまだ土筆にお目にかかっていない。毎年、3月はじめに、自分の採取場と決めているところへ出かけてチェックするのだが、今年はすっかり忘れていた。

        
 ひとつには、今年の3月はじめはまだ寒かったのと、さらには毎年この時期、TVや新聞などで土筆の話題が報じられ、それに接してオッと反応するのだが、今年はその機会にも恵まれなかったことによる。
 ハッと気づいたのは10日過ぎ、ああ、今年はもうだめだと絶望的な気分に襲われた。それでも・・・・と気を取り直していつもの場所へ。結果は惨憺たるものだった。
 ないっ、もうないのだ。それでも目を凝らすと、多少は残っているものもあるのだが、もう傘がひらききっていたりして、これぞ土筆という平均的なものすら全くない。それでも我慢をして、これならと思う一握りをなんとかと持ち帰った。

       

 命あるものを摘んで来た以上、それにちゃんと向き合い、その生命をありがたくいただかねばならない。面倒がらずに掃除をした。採った折には、何だこんなモノとも思ったが、きれいに掃除をしてみると満更でもない。なんとか調理できそうだ。
 結局、作ったのはあっさり味の煮付け。今日は休日で娘もいるので、写真の小皿料理を二皿作った。

       

 何やかやといいながら口にすると、土筆特有のほろ苦さと茎のシャッキリ感があって、早春の味を堪能することが出来た。
 そして、誓った。来年は3月の頭に絶対に採りにゆこうと。ただし、生きていられたらの話だが・・・・。

コメント
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