この歳になって免許をもち続けることに批判はあるかもしれない。
しかし、公の交通機関に恵まれていない地方都市郊外にあって、買い物弱者にはなりたくないし、蔵書数の多い県の図書館へゆく手段も確保しておきたい。
そんなことで、昨秋免許を更新したし、今春は車検に応じることとなった。
荒田川から岐阜のランドマーク金華山を臨む
しかし、公の交通機関に恵まれていない地方都市郊外にあって、買い物弱者にはなりたくないし、蔵書数の多い県の図書館へゆく手段も確保しておきたい。
そんなことで、昨秋免許を更新したし、今春は車検に応じることとなった。
荒田川から岐阜のランドマーク金華山を臨む
とはいえ、車の使用頻度は若い人たちのそれに比べれば極端に少ない。だから車検にそれほど高額を支払いたくはない。
その旨を業者に伝え、安全に関わる最低限の措置にとどめてほしいと依頼するとともに、その業者の割引システム、早期予約、早期入庫などをフル活用し、おまけに代車なしなどで7,700円の値引きが実現。
その結果、自賠責、重量税、などなどすべてを含み、50,000円で収めることができた(軽自動車)。
鯉の恋?
ということで、代車なしのため、車検のための持ち込みと出来上がったものの引取りは自分の足で行わねばならない。自宅から広い通りを行くとけっこう遠いが、「三角形の二辺の和は他の一辺よりも長い」という幾何学の法則に従い、斜めの道を選ぶと約一キロの距離になる。しかもこの道、荒田川、新荒田川に面していて、傍らを車がビュンビュン通る道路よりも歩いていて遥かに快適で風情もある。
何故か川べりに一本あるバナナの立ち枯れ
去年から頑張っている枯尾花
ここに載せた写真はすべてその往復に撮ったものである。
途中、桜の咲く校舎など二枚は、私の出身校、加納中学校のものである。校舎はもちろん、舟田町という地名が示すように、往時は学校の周りは泥田ばかりで家もまばらだったのが、住宅街や病院、公の施設などに囲まれてしまって、その面影の片鱗も残ってはいない。
だから、懐かしさがこみ上げるようなことは一切ないのだが、卒業間際に担任のM先生が私の耳元で諭すように、あるいは囁くように
「君、人間にとって必要なのは、真・善・美なんだよ」
いったのが、今更のように思い出される。
いま思えば、あの真・善・美は、カントの三批判(「純粋理性批判」・「実践理性批判」・「判断力批判」)を指していたことがわかる。そしてそれが、私が形而上学的なものに多少なりとも興味をもつきっかけになったとしたら、やはり教師の影響というのは大きいというべきだろうか。
いずれにしても、はるか遠い七〇年前の思い出である。