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飛行機への恐怖と憧れ 中部国際空港訪問終篇

2022-07-07 00:18:22 | 写真とおしゃべり
 
          
       ビールを飲みながらスカイデッキを 午後の日差しはさらに強力

 親しくしていただいている方から、名鉄のフリーきっぷを頂いて、猛暑日の中部国際空港へやってきた話の続きである。
 空港のスカイデッキで地上の航空機や、離着陸のそれを狙ってシャターを押したが、あまりうまく行かず、折からの猛暑で、警備員さんの案内で窓際で生ビールなど飲める場所にひとまず落ち着いたところまで書いた。その続きである。

      
           スカイデッキ手前から離陸するのを捉えた

 心身ともにリフレッシュしたところで、ウエイトレスさんや店長風の人に丁重に礼をいって、店を出たのだが、再びスカイデッキの先端へ向かう気にはなれない。近場で何枚か撮したあと、もうひとつの目的に向かう。
 空港内に作られた「FLIGHT OF DREAMS (フライト・オブ・ドリームズ)」がそれで、「ボーイング787型旅客機の展示を主体とした複合施設」とある。

 まあ、一度見ておくのもと思ったが、これがまた空港施設の中心部から遠いんだなぁ。地図で確認しても一キロはある。もっとも、動く歩道がついているのでまるまる歩行しなくてもいいのだが、100m弱で一区切りのあるこの歩道に、ぽーっと乗ってるのも退屈なものだ。ゆっくりでいいから歩きたいのだが、私の前方に3人ほどの男の子がいて、ランダムな歩行や後戻りなどをして遊んでいて追い越すこともできない。

 我慢の上でやっと着いた。この子たち、やはり、「FLIGHT OF DREAMS 」へ行くのかと思ったら、そうではなくてこの空港の第2ターミナルの航空機発着場所の方に進んで行った。なんか既視感があると思ったら、そういえば、この長~い動く歩道、19年に沖縄へ行った際の到着がこの第2ターミナルで、この歩道も通っていたのだった。ただし、その際は確かもう日が落ちていたので、今回、それと気づくのが遅れたのだった。

           
               約一キロに及ぶ長~い長~い動く歩道

 やっと着いた「FLIGHT OF DREAMS 」、たしかに、屋内に置かれたB787は、だだっ広い野外の空港で見るのとは違って圧倒的にでかい。改めて、こんなでかいものが空を飛べるはずはないと思う。
 この飛行機を中心とした「複合施設」とあったが、その施設とは、この航空機を眺める場所に設えられたスタバなどの飲食店や土産店のようであった。一定の金額を支払えば機内に入れ、コックピットで操縦桿を握ったりもできるようだが、それほどの好奇心もない。

      

      

      
 
 だいたいにおいて私は、航空機というものに対して、恐怖と憧憬というアンビバレンツ(二律背反的)な感覚を持っている。
 
 恐怖の方は別に「墜落するかも」といったものではなく、まさに実体験に根ざしたものだ。第2次世界大戦中の1945年に、大垣市に住まいをしていた私は、6回の空襲を経験している。そのうちいちばん激しかったのは7月29日のそれで、飛来機数は90機、投下された焼夷弾は約20,000発であり、そのうちの一発が疎開先の掘っ立て小屋をかすめ、半焼という被害を受けている。
 そんな被害より、もっともっと怖かったのは、あのB29の臓腑をえぐるような重奏音だった。加えて、親戚の叔母が、何とか逃れたものの、グラマンの機銃掃射の標的にされたなどの事実もあって、ともかくその前後は、そして敗戦後も、飛行機の音は怖かった。

      

 私の今の住まいは、航空自衛隊の各務ヶ原飛行場から、戦闘機などが訓練飛行する際のその進路の下にある。それが通過する際は、ラジオやTVの音声は全く聞こえず、薄いガラス窓が振動するほどだ。やはり、こうした戦争につながる航空機の飛行音は恐怖の対象である。

 憧憬の方は矛盾するようだが、戦時中の絵本などで見たゼロ戦乗りの航空兵だ。彼らの未来に、とりわけ特攻攻撃しか手段がなくなった折に、彼らがどのような気持ちで操縦桿を握ったかをまったく知らなかった当時の私は、彼らが自由に大空を飛翔することに憧れた。
 だから私の飛行機へのあこがれは、グローバルなシステムの中で、ビジネスライクに運行する航空機にはまったくなく、むしろ、複葉機の時代へと差し向けられるのかもしれない。

      

 話がまったく逸れてしまった。「FLIGHT OF DREAMS 」をひと通り見て帰路につく。帰りの1キロに及ぶ歩く歩道は、ほとんど無人だったのでゆっくりと歩く。それでも結構長い。
 帰途、名古屋の神宮前駅で降り、コロナ禍などで久しく逢っていなかった友人と夕食をともにする。いろいろ事情のある友人だが、私がそのためにできる余地は少ない。老齢に伴う厳しい現実、これも致し方ないのだろう。

           
               中部国際空港駅から名鉄で帰途へ

 神宮前から名鉄岐阜へ。これで、頂いた三枚の切符は使い果たした。私としては、最も有意義に利用させていただいたと思う。
 ご恵贈頂いた I さんに感謝、感謝だ!

 

コメント
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