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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

義弟が逝った!

2021-12-13 01:12:04 | ひとを弔う
 義弟が逝った。
 恩義がある人だった。
 家業の材木商を継がせるために養子に引き取られたはずの私が、ワガママでそれを放棄したあと、妹と一緒になって見事にその任をやりおおせてくれた。
 私が、なんやかや曲折がありながら、やりたい放題の人生を過ごせたのも彼のおかげである。

           
 父母の実家も、義弟の家も、そしてわが家も近かったため、正月はむろん、何かがあると集まり、喋り、よく飲んだ。父も彼も、そして私も結構飲むタイプだったので、正月などは、ビールの大瓶が1ケース空き、さらに一升瓶が2、3本転がる始末だった。

 父は、こと木材にかけては、どこからどう挽いたらどこにどんな節や木目が出るかがちゃんと分かる、その点ではどんな大学の偉い先生にも負けはしないと豪語していた。そうした目利きは、こと銘木店に関しては欠かせない能力である。
 義弟はそれをよく学び、父を凌駕するほどであった。事実、晩年の彼は、しばしば木材に関する講義の講師に招かれた程であった。

 よく喋り、よく飲んだ。ともに飲むといささかせわしなかった。というのは、彼は勧め上手で、私の盃が空くか空かないかに、「さ、お兄さんどうぞ」と注ぎはじめるのだ。
 なんやかや振り返ってみても、彼との想い出のなかに不快な事柄はない。

 そんな彼に思わぬ厄災が取り付いたのは10年ほど前だろうか。
 アルツハイマー型の認知症がやってきたのだ。
 最初は自身が混乱して苦しんだようだ。しかし、やがてそれが常態になり進行していゆくのだが、そうした頭脳の損傷は彼の健康を維持すべきバランスをも崩すものだった。
 
 背も高く、私より遥かに頑強な身体をもっていたのだが、次第に衰弱に侵されていった。
 栄養吸収能力も失われ、身体はやせ衰えた。そして力尽きるように、静かに息を引きとった。
 その日が近いことを知った妹の家族が、入院先から自宅へと引き取り、最後の10日近くを住み慣れた家で過ごせたのはよかった。

          

 しばらく逢えなくて、お棺に入ってからの再会であったが、やせ衰えてはいたが、どこか穏やかに落ち着いた顔つきで、ちゃんと着くべきところへ着いたといった自負のようなものを感じさせた。
 「長い間ご苦労さん」は自然に口をついて出た言葉だ。家族たちがお棺に花を入れる際、私はなによりも紙コップに移されてはいたが、吟醸酒を彼の口元近くに置いた。
 
 「さ、お兄さんどうぞ」と私に注いでくれたお返しだ。
 もうすぐ、私もそちらへ逝くから、その際また飲もう。それまでは先に逝っている親父とよろしく飲んでくれ。

 

 
 

 

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