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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

戦後のスタートを象徴する「リンゴの唄」とは何だったのか?その正体は?

2021-11-18 11:20:20 | 想い出を掘り起こす

 今月のはじめのことだが、親しい方からリンゴ二個を頂いた。
 
 赤いのと黄色いの。それぞれ名前を教えてもらったのだが、忘れてしまった。名前は忘れたが、リンゴはおいしかった。一人で全部食べきれなかったので、八切れに切ったうち二切れほど残し、夕食時、おろし金で摺り、それに塩、粗挽き胡椒、オリーブオイルなどを加えてサラダ用のドレッシングにした。リンゴのほのかな香りがアクセントになり美味しいサラダができた。
 
           

 こうしてリンゴを味わっていて、ふと思ったことがあった。それは、戦中戦後を見直すようなものを同人誌に書いている私が最近学んだある事実についてである。
 
 ある程度の年配の方なら、「リンゴの唄」(1945年=昭和20年=敗戦の年の12月吹き込み 46年1月発売 オリジナル版は霧島昇とのデュエット)をご存知だろう。それが、敗戦後最初に流行った流行歌であり、荒みきった焼け跡に響き渡り復興の後押しをしたこと、敗戦後の不安に怯える人々にひとときの希望をもたらしたこと、あるいは戦時中の重っ苦しい雰囲気を吹き飛ばす、いってみれば戦後民主主義発進の象徴のような歌だったということも。私自身も、ず~っとそう思ってきた。

           
 
 では、私が新しく知った事実というのはなんだろう。
 作詞家のサトウハチローはこう証言している。
 「これは戦時中に作った詞で、悲壮感あふれるものばかりだったので、少し明るいものをと思って・・・・。リンゴを題材にしたのは、父が青森県は弘前の出身だったから」

 続いて作曲家の万城目正の証言を聞こう。
 「もともとは、兵士を鼓舞し、激励慰問のための映画の挿入歌として書いた曲だ」

 ようするに、戦後の発表時、前述したようにおそらく日本の歌謡曲の歴史のなか、全国民に与えた影響は他に類を見ないようなこの歌は、もともとは玉砕や特攻の悲惨のなか、敗走に次ぐ敗走というまさに泥沼の敗戦直前の状況下で、今一度戦意を新たにするためのカンフル注射のような役割を担うはずのものだったのだ。それが、発表がずれ込むことによって、まったく違う機能や効果をもたらしたのだった。

           
       https://www.youtube.com/watch?v=Gf0jDTOyF4U

 それがいけないといっているわけではない。当時、国民学校一年生だった私も、この歌を耳にして、あゝ、戦争は終わったのだ、もう警報の度に防空壕に駆け込まなくても・・・・という感慨をもったはずだ。

 ただし、この事実は、私が最近考えているように、この国は、あの敗戦を契機に、戦前と戦後にそれほど大きな断絶ををもったのではないということのひとつのエピソードではないかと考えている。ようするに、戦後民主主義の出発点を象徴するようなこの歌にも、戦前からの継承性が確固として貼り付いていたということである。

 やや抽象的にいうならば、この国の「戦後」がなかなか終わらないのは、実は「戦前・戦中」が終わってはいないからではないかとも考えている。

           

 せっかく美味しいリンゴを頂いて、それを味わいながらの感想としてはいささか無粋で、呉れた方にはまことに申し訳けないが、しかし、そうした思いが念頭に浮かぶのを抑えきることはできないのだから許してほしい。
 
 しかし、これだけは言っておこう。こんな事を考えたのは一個目だけで、二個目は雑念を振り払い、名前を忘れた赤い方のリンゴの方を存分に味あわせていただいたのだった。

コメント (2)
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