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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

半世紀以上前の山の記憶とBLM

2020-08-05 01:28:25 | よしなしごと

 梅雨が明けたらやたら暑い日が続いている。
 コロナは相変わらず猛威をふるい、政府は認めようとはしないが、いくつかの都道府県の首長は第二派の到来を公然と語り、独自の非常事態宣言を出している。わが岐阜県もそのひとつで、不要不急の外出、とりわけ名古屋を名指してそこへは近寄るなと言っている。
 私はといえば、住まいは岐阜だが、長年、名古屋を活動の場としてきたので、まるで翼をもがれた小鳥のように、ひたすら蟄居の毎日だ。
 だから、ブログに書くべきこともさしてない。超ローカルな、10m半径内の話題しか書くことはないのだ。

        

 わが家と、隣接する材木屋の敷地は、半世紀以上前、ここにあった田んぼ一反(300坪=990㎡)をどこかかからの山土で埋め立てたものである。
 その事実を記憶しているのはこの私ではない。私はそんなことはとっくに忘れているのに、この土地そのものがそれをしっかり記憶しているのだ。

 私がここに住み始めたのは20代の終わり頃で、最初は掘り起こしていまは庭石に使っているでかい岩も混じった山土の土壌で、これではぺんぺん草も生えないのではと思っていたが、やがて近くからやってきたであろういわゆる雑草のたぐいが生えてきた。
 私は私で、殺風景なままではと、もらってきた樹や、買ってきた樹々を植えたりした。

 やがて、それらの木に、蔓状の植物が絡まるようになった。山芋の蔓だ。近くにそんなものは生えてはいないので、明らかに山土の中に潜んでいたものの顕現であるとみた。
 面白がってそのままにしておいたら、どんどん伸びて、やがてムカゴが収穫できるほどになった。根っこの山芋は年々大きくなるときいたので、ある年の秋、苦労をして掘り出したら、けっこうなボリュームの芋で、粘りっ気の強いうまいトロロを堪能することができた。

 それで味をしめて放置したのがいけなかった。それらは、電話の引き込み線に絡んで上昇し、ついには本線に達しようとしたところで、電話局からこっぴどく叱られた。
 それで、山芋遊びは諦めて、いまでは見つけ次第除去しているのだが、それでもなお、毎年、敷地内のここかしこで見かけない年はない。

 もうひとつ、山芋ほど生命力が旺盛ではないが、やはり半世紀以上にわたって、その勢力を少しづつ広げているのは写真のワラビによく似たシダ類の植物だ。
 これは隣接する材木屋の敷地に生えているのだが、年々、そのエリアを拡大している。よその敷地なので、あまりよく見てこなかったが、もしこれがワラビなら、春先にその新芽のワラビを収穫できるかもしれない。
 さらには、その根っこを掘り返し、ワラビ粉をとり、正真正銘のワラビ餅を作ることができるかもしれない、などと、連想が膨らむ。

 しかし、それはよした方が良さそうだ。
 彼ら山の植物たちは、言ってみれば、アフリカ大陸から強制的にアメリカ大陸に連れてこられた黒人の人々のようなものだ。そこでの苦難の歴史を乗り越えて、やっとその土地に根付き、新たな生の営みをはじめた相手を、痛めつけることはあってはならないのだ。
 やはりここは、Black Lives Matterといったところか。

コメント
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