私はほとんど梅干しを買ったことがない。食べないわけではない。いただきものなどはありがたく頂戴している。
しかし、これぞ梅干しという私の記憶の琴線に触れるようなものにはなかなかお目にかかれない。
スーパーのものがダメだといっているのではない。ただ私の抱く梅干しの「原」イメージとは離れているのだ。
私にとっての梅干しの原点は、疎開していた折、岐阜は西濃地方の母方の祖母、カギさんの作ったそれだ。特別なノウハウがあるわけではない。伝統的なそれを頑なに守り、その折々のTPOに応じて、というか長年の経験に応じて、梅の成熟具合、乾す天候などに応じほんの僅かなバリエーションを加えてはいたのだろう。
結果としてカギさんは、今年はやや酸っぱいかなとか、しょっぱいかななどと自己評価をしていたが、幼い私にはそんな微小な差異はわかるはずもなく、ただただうまかった。
当時、私のように田舎で育った人間にとって、梅干しが食生活に占める割合は遥かに大きかった。いまほど副食材に恵まれていない折には、梅干しのみがおかずであったこともしばしばであった。「日の丸弁当」というのがまさにそれであった。
梅干しは子どものおやつでもあった。私もまた、祖母の梅干しを、竹皮を三角にした中に入れ、それをチュウチュウ吸っておやつにしたことが何度もある。梅干しが出来上がった頃のこの夏のおやつは、塩分を補給して子どもたちを熱中症から守る役割を果たしていたのではあるまいか。
その後は、祖母のスキルを受け継いだ母、シズさんの梅干しを食べ続けた。それらの味こそが、「梅干し」のそれであった。そのシズさんが作らなくなって以降、私は自分から求めて梅干しを口にしなくなった。
ただし、その後も、いただきものの梅干しを何度も口にしたことはある。それらはブランドの梅を使用し、果皮はあくまでも薄くて自己主張などせず、果肉もまたとろけるように柔らかく、酸味や辛味は極限にまで抑えられているばかりか、ハニー味さえあって、そのままスイーツにでもなりそうなのだ。
それらがダメだとか、まずいと言ってるのではない。ただ、それらは、私の味覚に残る「原梅干し」のイメージと大きく異なるものであり、いってみれば、梅を材料にした別の加工食品なのだ。
前置きが長くなったが、久々に私のイメージに合った梅干しにお目にかかることができた。
かつて、同人誌「遊民」でご一緒した先達の大牧冨士夫さんお連れ合い、フサエさんの手作りの梅干しを送って頂いたのだ。これぞ、私が思い描く梅干しそのものなのだ。
果皮はあくまでもその存在を主張し、果肉はヘラヘラしないでちゃんとしっかりしている。問題はその味で、梅本来のそれを変な妥協で加工し、崩すのではなく、その酸味も、香りもちゃんと残しながら、梅と塩、梅酢と赤紫蘇の色合いと香り、天日に晒したその恵みなどがギュッと凝縮した味わいなのだ。
もちろん、酸っぱすぎたり塩辛すぎたりもしない。
フサエさんの梅干しが、その生粋の伝統によるものだというのにはわけがある。フサエさんが長年暮らしていたのは、いまはすべてがダム湖に飲み込まれ、全村、その姿を消した旧徳山村だったのだ。その山での暮らしの中で、この梅干しの伝統もフサエさんに伝えられたものであろう。
日本一の貯水量を誇りながら、ほとんど無用の長物といわれ、「ムダなダム」と回文による陰口を叩かれるこのダムは、縄文以来の歴史、平家の落人伝説の歴史、などなど、すべてを飲み込んでしまった。まさに一つの歴史と文化の消滅であった。
いくぶん大げさないい方をすれば、その中から救い出されたもののひとつがこのフサエさんの梅干しなのだ。
私のこの言い方は決してオーバーではない。フサエさんは、梅干しにとどまらず、かつての徳山村の食生活を彷彿とさせる書の著者でもあるのだ。
『フサヱさんのおいしい田舎料理 ー 岐阜・旧徳山村で作ってきたもの』(発行・発売 編集グループSURE 2014)がそれで、村では普通に食べていたものの紹介ということだが、やはりそこには山の民ならではの食文化の貴重な記録がある。
私が今、目前にしているのはそういう伝統を引き継ぐ梅干しなのだ。それは同時に、私の祖母、カギさんのそれや母シズさんのそれと通じるものでもある。
そして、その「口福」を味わうことができる私の舌もまた、カギさんやフサエさんが残してくれた伝統的な味覚に鍛えられた私独自の「味蕾」に支えられている。
梅干しの中に潜む歴史と伝統、それをいま一度蘇らせてくれるフサエさんの手になるそれを、感謝を込めていただきたいと思う。
フサエさん、ありがとう。
冨士夫さん共々、いつまでもお元気で。
【お連れ合い・冨士夫さんのこと】最後の写真は、旧徳山村と福井県鏡にそびえる冠山である。これはまた、フサエさんのお連れ合い、冨士夫さんが俳号にしていらっしゃる山でもある。この一事にも、大牧さんの捨てがたい故郷・徳山への思いがみてとれる。
なお、この冨士夫さんの方は、以下のような句集を出されている。
『大牧冨士夫句集 庭の朝』(風媒社 1,400円+税 2018)
私よりちょうど10歳上で、少年兵の経験もおもちの冨士夫さんの句には、俳句独特の言葉の軽妙な響きと同時に、生きてこられた時代の重みをどっしりと受け止められた言葉たちも散見できる。この時代の、この方にしかできない、句たちの趣がある
颱風のほしいままなる庭の朝
春めくや鯉はしずかに動きけり
わがために春日縁先ぬくめをり
花を見て人見て堤暮にけり
旨しかな雛にかづけて昼の酒
戯れてゐもりの腹をかへしみる
脚絆巻きし日風化などさせぬ
十二月八日庭木と話しをり
「故陸軍ーー」碑のある畑の梅白し
空耳の起床喇叭や敗戦忌
われらみな兵士であった敗戦忌