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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

コロナ太りの私の散歩道 ジリジリと閉塞感が

2020-04-29 11:43:22 | フォトエッセイ

            
 コロナ太りといっても、この際のどさくさで稼いだということではない。
 この間、一ヶ月ほど、自宅近辺からほとんど動かず、歩数計も一日数百歩もあればいいところ。歳の割には出しゃばりであちこち出歩いていたから、その落差は大きい。
 そのくせ、食事の量は変わらないし、家飲みは帰途の都合を考える必要がないから、「ん?いま何杯目だっけ」といったことになってしまう。結果として体重が増える。

          
 頑固な腰痛に参って、ここんところコルセットを巻いているので、ズボンの腰回りがきつくなってきた。といってもそんなに太ったわけでもない。60キロ手前で踏みとどまってはいる。ただ、ズボンの方が55キロほどの頃に腰回りを合わせたものがあって、それらがきつい。

       
 ならば運動するしかないだろうと、普段は「歩くために歩く」なんてとウォーキングなど無視しているくせに、やはり歩くしかあるまいと、クリニックへいって常備の薬をもらってきたついでに少しばかり歩く。

          
 この前歩いたときの近くの川辺は、桜が満開後期を迎えていて、花筏がきれいだったが、もはやすっかり新緑になっている。ただし、遅咲きの八重桜が上流にあるせいで、その小規模な花筏ができていて、そこへまた、赤いビニールのカーニバルハットのようなものが流れ着いて、妙なコラボを形成していた。上方にみえるのはヒメツルソバで、その繁殖力は実に旺盛である。

       
 よし、次はあそこへいってみようという気力も湧かず、その辺をツル~ッと廻ったのみで、さして歩数を稼ぐこともできないまま帰宅。
 だからあまり書くこともないのだが、オマケにわが家でことどもをすこし記しておこう。
 
       
 玄関先の赤ツツジだが、白に遅れること一週間ぐらいで、いまが満開だろうか。通行人の目を多少は和ませているのではと思う。
 ツツジをドアップで撮るなんて、あまりいい趣味ではないかもしれないが、なんとなく吸い込まれそうな気もする。

 

       

          
 そういえば子供の頃、花をとって、反対側から蜜を吸ったっけ。

       

       
 玄関へのイントロを挟んで、このツツジと反対側の桜桃のなる樹、そろそろ実が色付いてきた。このまま放置すると、ヒヨドリやムクドリの餌食になってしまう。
 そこで例年のごとく、要らなくなったCDを何枚か吊るした。あと一週間もしたら、第一回目の収穫ができそうだ。

          
 突然だが、私はネギが好きで、不可欠な野菜だ。毎回、農協で買ってくるが、切れた場合の予備としてネギを植えている。そのネギたちに、ネギ坊主ができ始めた。

 このコロナ騒ぎ、もともと蟄居に近い生活をしていた老いの身にはさして変わりがないようにみえて、実際にはジリジリと閉塞感が忍び寄ってきて、過剰な重力のように感じられるようになった。
 コンサートも映画もダメ、図書館は完全閉館、飲食店はアウト。
 
 どこかで、大声で「ワ~ッ」と叫びたい気もする。

 

 

 

 

 

 

コメント
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