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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

きらめく冬野菜 そして「大きなカブ」のお話

2018-12-16 10:25:54 | 写真とおしゃべり
 野菜というとなんだか春先のイメージが強いかも知れませんが、私は冬の野菜が美味しくて好きです。

          
 私の近くでは水田の埋め立てと宅地化がどんどん進んでいることはたびたび述べていますが、どういうわけか、畑の方はあまり変わりがないのです。おそらく、出荷用というより自家消費用の小規模路地裏生産なので、農家の敷地周りに残されたままなのだと思います。

          
 ですから、好きな冬野菜がまさに畑で栽培されているのを目のあたりにすることができます。
 スーパーの野菜売り場にきれいに並べられたものも美しいのですが、畑に生えたままというのもまたワイルドな美しさがあります。これは街中に住んでいる人にはわからない野趣あふれる美しさですね。

          
         サラダ用の野菜がまとめて植えられています。
 
 ところで、童話で、大きなカブを抜くことができない時、いろんな人や動物までもが協力し、やっとそれを抜くことができるという話がありますね。もともとはロシアの童話で、ソ連時代に世界中に広まったようなのです。
 あの話に、前々から違和感を覚えていました。子供の頃、田舎で育ったせいもあって、カブがどのように生えているか知っていたからです。

          
 写真を見てください。カブはこのように生えています。もう少し土をかぶっているものもあるかも知れませんが基本的にはこれです。ですから、その大小にかかわらず、それを抜くのにそれほど力が要るとは思えないのです。

       
 にもかかわらずこの童話が広く伝わったのはなぜかについて、多少うがった見方かもしれませんが、それは社会主義の祖国・ソ連という思い込みと関連していたかもしれないと思うのです。ようするに、ひとつの目的に向かって全体が動員される、そしてそれによって成果を得ることができるという政治的(イデオロギー的?)教訓です。

          
 これを「自主的な協力」と読めばうるわしい和の力になります。逆に、「動員された力」と読むと全体主義的な匂いもあることになります。
 まあ、一般的には、何かをなすには人々の協力が必要だと受け取っておくべきでしょうが、私のようなへそ曲がりは、この話の別の側面をつい考えてしまうのです。

          
     小松菜の仲間だがこの辺では正月菜とか餅菜と呼ばれお雑煮に入れる

          
          大根の葉だが大根葉として葉を食用にする
 
 甚だしく脱線しました。
 いいたかったことは冬野菜の生きた美しさ、そのワイルドな姿が秘める瑞々しい美味しさです。冬の陽光を浴びて光る露地物の野菜は、工場生産にも似たハウス栽培(それらを全面的に否定はしません)とはまた違った様相を見せています。

       
 冬野菜は美味しい、その一点がいいたかったのです。
 
コメント (2)
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