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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

瓦礫の前で立ち止まらない近代  小林敏明氏の評論から

2018-07-26 00:09:16 | 日記
 前回に続き、友人小林敏明氏の「文學界」(8月号)に連載し始めた評論読解の続きです。
 
 評論の後半、筆者は「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉を援用しながら、「フクシマの後に詩を書くこと」に言及します。
 アドルノの言葉は、あのような悲惨な現実があった後に、なおかつ詩など書いていられるかとという直接的な解釈も成り立つのですが、しかし、一方、詩そのものが人類が生み出してきた文明一般の換喩であるとするならば、そして、アウシュビッツそのものがそうした文明の行き着いたひとつの到達点であるとしたら、アウシュビッツ以後の、そしてフクシマ以後の詩というものは、そうした破壊的な文明そのものの双生児ともいえるものとして、やはり、野蛮のそしりから自由でありえないのではないだろうかということでもあります。

          

 しかし、一方、詩とはそうした文明の一端を担う存在でありながらも、科学技術やそれに支えられた産業を文明の中心とするならば、それらとは一定の距離を保ち、それ自体を相対的に反省を込めて見つめる作用ももっています。
 その意味では詩は、そうした文明の、とりわけ近代合理主義の申し子たるその最先端に対するお目付けのような機能を持ちうるのかもしれません。

 しかしながら筆者は、その「詩」というジャンルそのものが前回にも見た1980年代から目立って凋落し始めたのではないかと指摘するのです谷川雁は詩のペンを置き故郷を離れます。吉本隆明は完全に評論の世界へとシフトを替えます。

          

 さて、ついで引用されるベンヤミンの言葉の一節から瓦礫の話がはじまります。
 「彼(歴史の天使)は、絶えず瓦礫の上に瓦礫を積み重ね、それを自分の足元に投げつけてくるただ一つのカタストローフを見て取る」
 ようするに、私たちが進歩と呼び、飼いならしたつもりのものが挫折の憂き目を見るごとに、そこには膨大な瓦礫の山が出現するということなのです。

          

 これは単なる比喩を越えてとても良く分かります。
 かつて軍国幼年で国民学校一年生の私が、73年前のちょうど今頃、目前にしたのが、みごとに全焼した私の学校の焼けただれてくすぶる瓦礫の山でした。それは同時に軍国幼年の夢を打ち砕く一連の歴史の始まりでした。
 それからひと月経たないうちに、人類はこれまでに見たことのない広大で悲惨な瓦礫の広がりをヒロシマとナガサキで見たのでした。

            

 その後、私たちは朝鮮半島で、ヴェトナムで、中近東で、東欧諸国で、旧ユーゴスラビアの紛争で、幾度も瓦礫の山を見ています。
 戦争ばかりではありません。環境破壊によるほぼ人災ともいえる何度かの巨大災害で、そしてチェルノブイリで、フクシマで、私たちは瓦礫を見てきました。

 そうなのです。歴史とはまさにその句読点のように繰り返される瓦礫の風景にほかならないのです。そしてそれらは、ベンヤミンにいわせれば、「死者たちを呼び起こし、打ち壊されてしまったものをつなぎ合わせる」機会、つまり、そこで立ち止まってその瓦礫の堆積を生み出したものの腑分けをすべき機会なのですが、進歩といわれる烈風が立ち止まることを許さず、私たちを未来の方へと拉致してゆくのです。

            

 この進歩という強迫観念、そのためには瓦礫の記憶をまるでなかったことのように消し去る恐るべき健忘症、それが臆面もなき再稼働を許容してゆきます。
 フクシマの瓦礫は今なお引き取りてもないまま野ざらしの状態にあるのに、人々の記憶のなかではもはや古層に埋められてしまったかのようです。

          

 私たちの故郷喪失そのものの忘却を、まさに故郷そのものへと戻ることが叶わず、いまや猪や鹿、猿、熊の跳梁の地となった地域の存在が、まさに私たち自身が故郷喪失の忘却の時代を生きているのだということを如実に知らせてくれました。
 しかし、それでもなお、その瓦礫の前に立ち止まり、今一度思考を巡らす契機をも奪われたまま、私たちは「それを乗り越えて進め」と急かされているのです。
 そんな折から筆者は、ベンヤミンの言葉を借りて、失われた故郷へ向けての「虎の跳躍」を語ります。

          

 最後に筆者は、たまたまライプツィヒから日本を訪れ、東京郊外で東日本大震災に被災し、それらのパニックの中で、まずは岐阜の東濃地方にあるみずからの「実家」に思いを馳せたといいます。
 ここで、文明批評としての故郷の喪失に関する問題は、その実体としての彼自身の故郷へと結びつくのです。ハイデガーの故郷喪失が精神的なものとしてはギリシャでありながら、実体的にはメスキルヒやトートナウベルクであったように。
 これについては、私は敢えて言明しません。

          


以上はわが友、小林敏明氏の「文學界」(8月号)から連載し始めた評論「故郷喪失の時代 フクシマ以後を考える」を、ノート代わりに私なりになぞってみたものです。

最後の一節には私の僻みが入っています。生まれて以降、親戚をたらい回しにされ、やっと養父母に引き取られたかと思ったら、数箇所の小刻みの移動を余儀なくさせられたため、故郷といった折にすんなり浮かび上がる光景をもちあわせていないのです。まあ、長じてからのそれは岐阜なんでしょうが。

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