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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ピンチヒッターで観た『蒼(そらいろ)のシンフォニー』

2016-07-03 16:05:28 | 映画評論
 まったくどじな話である。
 2日(土)、夕刻からの所要の前に、せっかく名古屋へ出たのだから映画でもと思い、チェックしていた映画館へ向かった。しかし、チケット売り場にはそのお目当ての映画、(『ブロークバック・マウンテン』、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』でアカデミー賞をとったアン・リー監督の旧作『恋人たちの食卓』)は表示されていない。
 尋ねると、「それは昨日まででした」とのこと。そういえば、だいたい土曜日から映画は変わる。この日に名古屋へ出ることはわかっていたので、日付を確認せず事前にチェックしておいたのが間違いだった。
 
 折から、ほとんど真夏日というカンカン照り。これからトボトボと他の映画館を訪ねる元気もない。それに、どこかで何かを見つけても夕刻の用件に間に合う保証もない。
 そこで、その映画館で、もう頭の部分は始まっているという映画を題名も内容も確かめずに観ることとし飛び込んだ。
 上映していたのは『蒼(そらいろ)のシンフォニー』という朴英二監督のドキュメンタリー映画。

               

 内容は面倒なので解説に譲る。
 「日本で生まれ育った朝鮮学校生徒たちを取材したドキュメンタリー。在日コリアンの子どもたちが民族の言葉や歴史などを学ぶ朝鮮学校では、高校3年生になった生徒たちが「祖国」である朝鮮民主主義人民共和国を訪問する。自身も朝鮮学校出身の映画監督パク・ヨンイが茨城朝鮮初中高級学校の高校3年生の祖国訪問に同行し、全日程を生徒たちと共に過ごしながら撮影を敢行。日本のメディアでは見ることのできない朝鮮の人々の素顔や、現在も続く南北分断の悲劇を捉えるとともに、生まれ育った日本で様々な困難にさらされながらも明るく堂々と生きる生徒たちの姿を映し出していく。」

            

 これがけっこう面白くて、観ている内にどんどん引きこまれてゆく。どこが面白いかというと、この高校生一行がやたら元気で、なかにはとても面白いキャラの男の子もいて彼らの表情を観ているだけでこちらも浮き立つ感じがする。
 しかし、明るいだけではない。板門店の境界付近では、父祖の出身地が済州なのにもかかわらず、韓国籍がなく、決して踏めぬ韓国の地を複雑に眺めやり、言葉少ない感想しか漏らすことができない女学生の姿を映し出す。

 私もしばらく前に学んだのだが、在日の人の国籍は、朝鮮半島の南北の出身地によるものだと思っている人が多い。ようするに南部の人は韓国籍、北部の人は「北朝鮮籍」だろうぐらいに思っている。
 しかし、じつは「北朝鮮籍」という国籍はない。理由は日本が国として認めていないことによる。それに対し、南朝鮮は国交があるので「韓国」と呼ばれる。
 戦後、もともとは朝鮮籍しかなかったのだが、韓国が出来たあとにそこへと国籍を変えた人が韓国籍となった次第。したがって厳密にいうと、韓国籍か朝鮮(南北朝鮮民族)籍のいづれかになる。
 ついでながら、在日の人の出身地を見ると、日本に連行されたり自分の意志で来たりした人も含め、地理的な関係で南部出身の人がかなり多い。

            

 映画に戻ろう。朝鮮民主主義人民共和国側の歓迎は、いくぶん演出されたものがあるとはいえ、実際に彼らと接する人たち、とりわけ若い人たちはその「任務」を越えて明るく率直である。ほほえましい交流があちこちで起こる。先に述べた面白キャラの男子生徒が、出会った接待側の女性を手当たり次第口説きまくるのは、青春を謳歌していて実にほほえましい。
 それぞれのモニュメントの前で、そのポーズをまねて写真に入る彼らの姿も青春群像劇として絵になる。

 私は現実の朝鮮民主主義人民共和国の体制をやはり好きにはなれない(日本のいまの体制につても疑問符が一杯だ)。しかし、そのもとで懸命に生きている人たちをとやかくいおうとは全く思わない。それを踏み出してしまうのがヘイトの連中で、基本的には様々な問題を民族や人種に単純に還元してよしとするレイシストたちだ。
 どんな人びとの上にも、まさに「蒼(そらいろ)」が広がり、そのもとで人びとの織りなすシンフォニーが奏でられているのであり、私たちもまたその一員なのだ。

            

 映画の最後は、彼らが帰国して幾ばくかが過ぎた卒業式のシーンなのだが、そこで例の面白キャラの男の子が述べる謝辞がむちゃくちゃにおもしろい。ほろりとさせるかと思うと吹き出しそうなエピソードが混じり、泣き笑いが渦巻いている。

 映画の途中から入ったので気づかなかったが、終演後灯りがつくと、さほど広くはない映画館ではあったが、ほぼ満席の状態で、中央付近で笑い転げたりほろりとしていた中年女性の一団が、満ち足りた顔つきで席を立つのが印象的であった。

 お目当ての映画ではなかったが、とてもいい時間を過ごすことができた。


なお、現在、朝鮮学校は、無償化や各種補助からも完全に外されている。朝鮮民主主義人民共和国との外交関係がどうあれ、そこで学ぶ子らには関係のない話で、その両親などからも容赦なく税金のみは取っているのだから、これはある種の差別に他ならない。
 

コメント
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