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「戦争画リターンズ」と藤田嗣治の「アッツ島玉砕」

2015-10-24 01:11:48 | 書評
 『戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々』(平山周吉 芸術新聞社)を読了した。ほとんど、藤田が描いた一枚の絵、「アッツ島玉砕」をめぐる話なのだが、絵画というジャンルにとどまらず、とても広い領域と奥行きをもった書で、最後まで一気に読み進むことができた。

               

 会田誠の「戦争画RETURNS」から藤田嗣治の「アッツ島玉砕」に向かって一本の補助線が引かれる。会田のこの「戦争画RETURNS」は藤田へのオマージュであったことが、会田の「わだばフジタになる!?」(これは棟方志功の「わだばゴッホになる」のパクリ)という言葉の紹介とともに示される。
 
 しかし、著者が会田の作品のうちに真にフジタへのオマージュとしてと観るのは、むしろそれ以後の作品、「ジューサーミキサー」や「灰色の山」の方である。前者は、無数の裸の少女たちが文字通りミキサーにかけられている図で、その下方は、鋭い刃物で粉砕される少女たちの血潮で赤く染まっている。
 
 後者は遠目には文字通り「灰色の山」(見方によっては富士山に見える)だが、近づいてみると無数のサラリーマンたちの死体からなる山であることがわかる。
 実はこの絵、私はこの5月、岐阜県立美術館での《てくてく「現代芸術」世界一周》で
直接ご対面しているのだ。だから、著者がこれらの絵こそ藤田へのオマージュではないかというのはわかる気がする。
 もっとも、肝心の「戦争画RETURNS」シリーズは図鑑やネットでしか観ていないので断定的なことはいえない。
 なお、この二つの絵画は以下の会田の活動を紹介した記録映画の予告編でそれぞれ見ることができる。
   https://www.youtube.com/watch?v=mNDgduQAq_U

 導入部だけでこんなに長くなってしまった。
 事ほどさようにこの書は、藤田の「アッツ島玉砕」という絵画をめぐるさまざまな背景、さまざまな人物(美術界に限らず、文学者や写真家、軍人、生物学者、皇室にまで実に多岐にわたる)、そしてさまざまな情景、状況が曼荼羅図のように描かれてゆく。そしてそれらは、昭和の前半史をほとんどカバーするほどの広がりをもって展開される。

 同時に、それらの関連のなかから、想像で描かれた「アッツ島玉砕」が、藤田の周到な取材によるものであることが、そこに描かれた地形、死者の傍らで咲いている花々などの観察、並びに彼が参照したであろう資料などによって明らかになってゆくのも面白い。
 
 そうした実証的な見聞も含め、これを読むと、一篇の一大大河小説を読んだような気分になる。そして、それを可能にした著者の好奇心と足で稼いだ取材ぶりに感嘆させられる。
 なお、後半に集中して現れる著者の皇室や靖国へのスタンスには同意しかねる点もあるが(かといっていわゆる右翼ではなさそう)、それを差し引いてもこの書の切り拓いたことどもを知ることは十分価値があるので、この際、それは不問にしたい。

           

 この著者の平山周吉という名前、小津安二郎のコアなファンならどこか思い当たることがあろうと思う。そう、あの小津の『東京物語』で、笠智衆が演じた主人公の名前がまさに平山周吉だったのだ。もちろん、その人物とは関係ないが、この書にも、小津の名前はチラッと出てくる(黒澤明も)。それくらい守備範囲の広い著作だとだけいっておこう。

 なお、私は書になったものを読んだが、なんとネットで検索したら、この書の全48回のエピソードの積み重ねのうち、32回までは以下の芸術新聞社のブログで読むことができる。それもそのはず、この書は、もともとそのブログの連載であったものを、それ以降の回を書き下ろして単行本にしたものだとその「あとがき」で知った。
 それらは以下で読むことができる。興味のある方はどうぞ。
  http://www.gei-shin.co.jp/comunity/24/index.html

 アッツ島玉砕は、双方にとってさして戦略的価値もない箇所を相互の死闘によって争ったもので、日本軍の守備隊2,600余名は、圧倒的にまさる装備をもったおよそ5倍の米軍の包囲のなか、徹底的に追い詰められ、最後は、大本営からの「全員玉砕せよ」の打電命令を受けて敢行されたもので、結果は惨憺たる無数の屍を残し、日本軍は全滅した。負傷などで捕虜になったりして生き残ったものはわずか27名で、その生存率は1%であった。
 テーマになっている藤田の「アッツ島玉砕」は、この死屍累々を実現させる日本兵の最後の突撃の模様を描写したものである。
 その最後の戦闘(1943年5月29日)の翌日、この島へ上陸し、日本兵の屍の山を目撃した米軍兵のなかに、東北大震災後、日本に帰化したあのドナルド・キーン氏がいた。

 
コメント
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