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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

鶴見俊輔と一介のディレッタント(好事家)の思い出

2015-10-08 11:56:10 | ひとを弔う
 写真は、青土社刊行の雑誌「現代思想」の10月臨時増刊号、「総特集 鶴見俊輔」です。鶴見さんは、新聞紙上などで報道されたように、この7月20日に永眠されました。

 ここでは改めて鶴見さんの業績などを書こうとは思いません。興味のある方はググッてWikiでもご覧ください。それだけでこの人の極めて独自性に満ちた生涯をたどることができると思います。

           

 私との個人的な接点はほとんどありません。ただ、2度ほど、私の書いたものを鶴見さんに褒められたことがあります。もちろんこれは、私の書いたものが優れていたというよりも、学者嫌い、官製嫌いの鶴見さんが、学問的なキャリアもないド素人の私が勉強しながらチマチマ書いていることを激励してくれたものです。

  

 一度は、私の関わる同人誌の編集長格であった故・伊藤幹彦さん宛の葉書でした。
 幹彦さんから、「オイ、鶴見さんがお前の書いたものを褒めているぞ」という連絡と同時に、FAXでそのはがきのコピーを送ってもらったのですが、さっぱり読めません。
 推測するに、鶴見さんの字はもともとわかりにくかったところへもってきて、その当時は90歳近いご高齢で、運筆も不如意だったのだろうと思います。

 結局二人で、メールや電話のやり取りで、2、3日かかってやっと判読できたのですが、それは過分な褒め言葉と励ましの意がこもったものでした。しばらく、そのコピーのFAXを持っていて、高校時代の同級生に見せて自慢していたりしたのですが、そのうちに紛失してしまいました。
 もとの葉書は幹彦さんのところにあるのですが、彼自身が昨年の今頃、先に逝ってしまったのでその所在はわかりません。

             

 鶴見さんの著作で、理論的なものは、「アメリカ哲学」を読んだっきりで、あとは対談や評論、随想などです。しかし、こうした現実との関わり、対話の中にこそ鶴見さんの真髄があったように思います。
 ですから、その逝去の報道に、「知の巨人」などとあるのを多少の違和感を持って読みました。鶴見さんの「知」は、いわば学問的な体系や学識などにではなく、極めて実践的な「智慧」と批判的判断力のようなものの中にこそあったのだと思うからです。

 とりわけ、他者との対談などにおいては、聞き上手であり、相手と自分の立場を表出する達人であったように思います。
 そんな感慨のもと、この書をゲットしました。手に入れたのは先週末ですが、昨日ぐらいから興に任せるままにアトランダムに読んでいます。ほかの書と並行しながらです。

           

 でも、しゃかりきに読むというより、こうした読み方のほうがなんとなく鶴見さんの性分にもあっているような気がするのです。
 決して、まなじりを決するという風ではないとしても、ちゃんとした基準をもって、生涯ぶれずに、事象と対峙したという意味で、思考し行動する人だったと思うのです。ですから、こちらもそうした軌跡に気ままに寄り添いながらゆっくりと読みたいと思うのです。

 そして、そうすることが、私にできる唯一の供養だと思っています。




コメント (1)
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