前日の日記には実は続きがあるのです。
スーパーで買い物をして、まさに稲刈り寸前の田圃ウオッチングなどしながら家路についたことは書きましたね。
それやこれやで道草をしながら、やっと家の近くに来たときです。背後でギギ~ッと自転車のブレーキの音がします。振り返るとひとりの老人がが声をかけてきました。
ご承知のように私自身がれっきとした老人ですから、私が老人という以上私よりも明らかに年配です。おそらく一回りは上で、下手すると九〇歳に近いかも知れません。
それはさほど珍しくもありません。私の父も85歳でなくなるまで、自転車に乗っていましたから。乗っていたどころではないのです。今から一五年前の年末、正月をベスト・コンディションで迎えたいと病院へ自転車で出かけ、その検査中に倒れ、年が明けてから亡くなったのでした。
というわけで、父が最後に乗った乗り物が自転車だったのです。
話を戻します。その老人が私に訊くのです。
「おにいさん、この近くの百貨店を知らんかなぁ?」
このばあいの「おにいさん」は、年上に向かってというより年下のものに「あんちゃん」というようなものです。
この突き当たりの辺に「百貨店」があります
それよりもその質問の内容です。
「百貨店ですか?」
「そう、百貨店」
今まさに稲刈りが始まろうとする田圃が点々とあるこの都市郊外に、そんなものがあるはずがありません。
でもこの都市にも百貨店はあり、自転車でなら行けないわけではありません。現に、私はいつも、四キロ弱のそこへは自転車で行っています。
「百貨店というと高島屋ですか?」
「いや、そんな名前じゃないな」
「あとはもっと近くに新岐阜百貨店というのがありましたが、もうやってませんが」
「いや、そこでもない」
「近鉄百貨店というのがあり、昔は丸物といいましたが、それももうありません」
そのほか、大昔にやめた山勝百貨店とか丸宮百貨店とかが念頭に浮かび、思わず岐阜の百貨店変遷史のようになりそうでした。
その折り、その老人は、私のぶら下げていたスーパーでの買い物に目をやり、
「そういうの売ってるとこや」
といいました。
え?あのこれって百貨店ではなく・・・・・と思っているうちに謎が解けました。
老人はスーパーのことを百貨店といっていたのです。だから、買い物をぶら下げた私に尋ねたのです。
「あ、それって V というスーパーですか?」
と訊くと、
「うん、何やらそんな横文字風のとこや」
とのことです。
早速、先ほど私が買い物をしてきたスーパーのありかを教えました。
「ホラ、今車が曲がったとこ、分かりますか?ホラ、今度は出てきた」
と指さして教えると、どうやら了解したようです。
それにしてもこのご老人、そのスーパー帰りの私の背後からやってくるなんて完全に方向が一八〇度違っています。
もし、私に会わなかったら、どんどん遠ざかってゆくところでした。
老人は「おにいさん、すまんかったな」と礼をいって自転車にひらり・・・といいたいところですがよたよたと乗って戻って行きました。
心配なので目で追っていましたが、時々ふらっと車道の方にはみ出ます。
そのたびに通りかかる車は大きく迂回して避けて行きます。
そんなことの繰り返しで遠ざかって行きました。
どうやら、私が教えた百貨店・・・ではなく、スーパーの場所も分かったようです。
このご婦人は別人です。でもこんな感じのところでふらついたら・・・
見送りながら私もいろいろ思いを巡らせました。
私も陽気のいい間はかなり遠くまで自転車で出かけます。
私の住んでいるような中都市では、自転車がけっこう手軽なのです。都心でも駐車場を探す手間などを考えると自転車の方が早いくらいです。
それに、自称「道草王子」の私にとっては自転車は実に都合がいいのです。
しかし、あの老人よりもはいいとしても、私も決してスイスイではないのだろうと思います。いつまでまともに乗れるのでしょう。車の運転手に気を遣わせることなく乗れるのでしょうか。
またいつまで、スーパーと百貨店の違いを了解していることができるのでしょう。
ここからご老人の姿が見えなくなるまで見送りました
自転車や百貨店だけではありません。
今の世の中、新しい情報や事物が幾何級数的に増殖し、現在でもとてもついては行けません。もちろん、百科事典のようにすべてに通じていなければなどとは思ってはいません。
人様に迷惑をかけず、出来ればオレオレ詐欺にもかかることなく、はた迷惑な老人にならず日常生活を過ごして行けるかどうかです。
まあ、結論から言って、そんなことは不可能でしょうね。
しかし、よくしたもので、そんな頃になると自分がはた迷惑な存在であることも分からなくなって、自己主張を続けるのではないでしょうか。
百貨店とスーパーの違いが分からなくて何が悪いっ。
自転車がふらついて何が悪いっ。
ようするに、ぼけるが勝ちじゃっ。
なあ、おにいさん。
スーパーで買い物をして、まさに稲刈り寸前の田圃ウオッチングなどしながら家路についたことは書きましたね。
それやこれやで道草をしながら、やっと家の近くに来たときです。背後でギギ~ッと自転車のブレーキの音がします。振り返るとひとりの老人がが声をかけてきました。
ご承知のように私自身がれっきとした老人ですから、私が老人という以上私よりも明らかに年配です。おそらく一回りは上で、下手すると九〇歳に近いかも知れません。
それはさほど珍しくもありません。私の父も85歳でなくなるまで、自転車に乗っていましたから。乗っていたどころではないのです。今から一五年前の年末、正月をベスト・コンディションで迎えたいと病院へ自転車で出かけ、その検査中に倒れ、年が明けてから亡くなったのでした。
というわけで、父が最後に乗った乗り物が自転車だったのです。
話を戻します。その老人が私に訊くのです。
「おにいさん、この近くの百貨店を知らんかなぁ?」
このばあいの「おにいさん」は、年上に向かってというより年下のものに「あんちゃん」というようなものです。
この突き当たりの辺に「百貨店」があります
それよりもその質問の内容です。
「百貨店ですか?」
「そう、百貨店」
今まさに稲刈りが始まろうとする田圃が点々とあるこの都市郊外に、そんなものがあるはずがありません。
でもこの都市にも百貨店はあり、自転車でなら行けないわけではありません。現に、私はいつも、四キロ弱のそこへは自転車で行っています。
「百貨店というと高島屋ですか?」
「いや、そんな名前じゃないな」
「あとはもっと近くに新岐阜百貨店というのがありましたが、もうやってませんが」
「いや、そこでもない」
「近鉄百貨店というのがあり、昔は丸物といいましたが、それももうありません」
そのほか、大昔にやめた山勝百貨店とか丸宮百貨店とかが念頭に浮かび、思わず岐阜の百貨店変遷史のようになりそうでした。
その折り、その老人は、私のぶら下げていたスーパーでの買い物に目をやり、
「そういうの売ってるとこや」
といいました。
え?あのこれって百貨店ではなく・・・・・と思っているうちに謎が解けました。
老人はスーパーのことを百貨店といっていたのです。だから、買い物をぶら下げた私に尋ねたのです。
「あ、それって V というスーパーですか?」
と訊くと、
「うん、何やらそんな横文字風のとこや」
とのことです。
早速、先ほど私が買い物をしてきたスーパーのありかを教えました。
「ホラ、今車が曲がったとこ、分かりますか?ホラ、今度は出てきた」
と指さして教えると、どうやら了解したようです。
それにしてもこのご老人、そのスーパー帰りの私の背後からやってくるなんて完全に方向が一八〇度違っています。
もし、私に会わなかったら、どんどん遠ざかってゆくところでした。
老人は「おにいさん、すまんかったな」と礼をいって自転車にひらり・・・といいたいところですがよたよたと乗って戻って行きました。
心配なので目で追っていましたが、時々ふらっと車道の方にはみ出ます。
そのたびに通りかかる車は大きく迂回して避けて行きます。
そんなことの繰り返しで遠ざかって行きました。
どうやら、私が教えた百貨店・・・ではなく、スーパーの場所も分かったようです。
このご婦人は別人です。でもこんな感じのところでふらついたら・・・
見送りながら私もいろいろ思いを巡らせました。
私も陽気のいい間はかなり遠くまで自転車で出かけます。
私の住んでいるような中都市では、自転車がけっこう手軽なのです。都心でも駐車場を探す手間などを考えると自転車の方が早いくらいです。
それに、自称「道草王子」の私にとっては自転車は実に都合がいいのです。
しかし、あの老人よりもはいいとしても、私も決してスイスイではないのだろうと思います。いつまでまともに乗れるのでしょう。車の運転手に気を遣わせることなく乗れるのでしょうか。
またいつまで、スーパーと百貨店の違いを了解していることができるのでしょう。
ここからご老人の姿が見えなくなるまで見送りました
自転車や百貨店だけではありません。
今の世の中、新しい情報や事物が幾何級数的に増殖し、現在でもとてもついては行けません。もちろん、百科事典のようにすべてに通じていなければなどとは思ってはいません。
人様に迷惑をかけず、出来ればオレオレ詐欺にもかかることなく、はた迷惑な老人にならず日常生活を過ごして行けるかどうかです。
まあ、結論から言って、そんなことは不可能でしょうね。
しかし、よくしたもので、そんな頃になると自分がはた迷惑な存在であることも分からなくなって、自己主張を続けるのではないでしょうか。
百貨店とスーパーの違いが分からなくて何が悪いっ。
自転車がふらついて何が悪いっ。
ようするに、ぼけるが勝ちじゃっ。
なあ、おにいさん。