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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

車たちは成仏できるのだろうか?

2008-11-06 17:16:16 | 写真とおしゃべり
 私が自転車でいつも通る道を少し変えたところでぶつかった風景です。
 まさに「ぶつかった」車の墓場とも言えるところです。
最後のものはいわゆる放置されているもの(道路などではなく私有地)ですが、他は全て、解体待ちの在庫です。
 中には、私が今乗っているものよりも遙かに年式が新しく、程度のいいものもあります。

 

 いろいろ感じるところがありますが、ひとつは事故の怖さです。
 あまり偉そうなことは言えません。
 私も若い頃は、というかかなり歳とってからも、結構無茶な運転をしていました。
 今となっては恥ずかしいのでその内容は言いませんが、その割に、自分が加害者となる大きな事故に遭遇しなかったのはまさに悪運という他はなく、振り返って考えると、ぞっとすることも結構ありました。

 

 最近は、あまり車に乗らないようにしています。
 それだけに今度は、たまに遠出をしたり、高速を走ったりする場合の自分の運転技術に自信が持てず、逆に慎重になりすぎてもたつく結果になりはしないかと恐れています。
 まあ、過信するよりはいいのですが・・。

 
 
 もうひとつは、これらの車の来し方行く末を見るとき、消費社会の行き着くところがあからさまなように思うのです。  
 これらの車も新車として届けられた折りには、それぞれの消費者にワクワクして迎えられたはずです。
 ドアを開けたときのあの独特な匂い、どの部品もぴかぴかまぶしいこの車が、今日から私の足となって地上を支配するのだという満足感。
 しかし、いったん事故ったりすると、そのフェティシズム的、物心崇拝的愛着は一瞬にしてすっ飛びます。

 

 そんなとき、ディラーの甘いささやきが襲うのです。
 「これは修理にだいぶかかりますよ。それにこれだけの損傷を一度は負った車に乗り続けるなんて気分も良くないでしょう。いかがですか、この際、気分一新して新しいものにお取り替えになっては・・」
 それに呼応するように、TVは些細な差異を針小棒大に並べ立て、新車の効用をのべつ幕なしにしゃべり立てます。
 かくして、昨日までの愛車は弊履のごとくあっさりと捨てられてしまうのです。

 

 そうしてみると、こうして積み上げられた車たちは、まこと人間の業の堆積のようにも見えます。
 あなたが捨てたかつての愛車が、この中にあるかも知れませんよ。
 せめてそれらが、解体され新たな資源として、再び日の目を見ることが出来るよう祈ってやって下さい。





コメント
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