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それでも少女たちは輝いている! 映画『女工哀歌』を観て

2008-11-23 13:55:31 | 映画評論
 『女工哀歌(えれじー)』 原題『CHINA BLUE』製作年度: 2005年

    

 予告編も観ましたし、それへの評価を活字で読んだりしていましたが、「ああ、そのてのドキュメンタリーか」とあまり触手が動きませんでした。
 そうした私を翻意させたのは、東アジア映画に詳しくて、それが嵩じて中国へ中国語の勉強に一年間留学してしまったTさんという女性の次のような一言でした。
 「あの映画って、監督のいわんとするところと映像とがしばしばずれてるように思う」

 ならば観ておかねばなるまいと、名古屋シネマティークへ・・。
 完全ドキュメンタリーというより、監督(監督マイケル・ペレド アメリカ人)の編集による物語性の強い作品ですから、その意味では、各シーンの繋がりが明確で分かりやすいとはいえます。

 カメラは、彼女たちの悲惨な労働条件を、その現場や経営者(元警察署長)、それに退職した人たちの証言で、これでもかこれでもかと綴ってゆきます。
 今やワールドな商品となったジーンズをめぐって、そのグローバリゼーション化された製造と流通過程を解明しながら、その最下請けとしての中国の生産現場、その中でいかに利潤を上げるかといろいろ画策する経営者、そして過酷な労働を迫られる少女や工員たち・・。

 労働基準に関する法律は形式的にあるとはいえ、その現実的適用は望めないまま、いわば資本の原始的蓄積段階ともいえる状況のもとで、新興資本家がのし上がるためにあの手この手の搾取強化を行っているというのがよく分かります。

 

 しかし、こうした状況は、歴史的に見れば中国特有のことではなく、ヨーロッパでは19世紀の終半から20世紀の前半にまで続いたことでした。
 というより、こうした資本の原始的蓄積というのはここで終わりという過程ではなくて、かつての粗暴な形は影をひそめたとはいえ、日常的に続いているともいえます。
 原始的蓄積段階というのは、生産手段を保持し、ますますそれを強固にしてしようとする資本家と、自らの肉体を労働力商品として売る以外何も持たない労働者群とが明確に分離される過程のことで、時には暴力や詐欺まがいの行為によっても遂行されます。スタインベックの『怒りの葡萄』はそうした過程を背景にしています。

 この過程は同時に、商品生産とその消費へと人々を駆りたて、早い話が、それまで自給自足を主にしながら若干の交換で補っていたような農村などの第一次生産層にまで「金がなくては生きて行けない」状況を作り出します。
 いわゆる出稼ぎはこうした状況を背景に登場するのです。

 

 日本でも例外ではありませんでした。
 明治以降の富国強兵策の経済強化の中で、まさに数々の「女工哀史」や「女工哀歌」があり、「蟹工船」がありました。
 わが岐阜県でも、かつて飛騨の少女たちは野麦峠を越えて信州は岡谷の製糸工場へと奉公に出たのですが、その労働条件はこの映画と変わるところはなかったし、さらに陰湿な上下関係の中で、少女たちがその労働以外でも傷つけられ泣かされるのはざらでした。しかも彼女たちは、その給与を直接手にすることはなかったのです。
 私は数年前、少女たちが岡谷へ行くときに集合し、また岡谷からまとまって帰ってくる場所(今は旅館となっている)を見学しましたが、給与はその場所で、しかも、迎えに来た親に対して払われるのでした。
 いわば短期間の、それも毎年繰り返される、人身売買に他ならなかったのです。

 日本でのそうした過程の第二の波は、1960年代に発する高度成長の中でやって来ました。
 集団就職の列車は、大勢の少年少女を全国の津々浦々からかき集め、都会や工場地帯に吐き出したものです。
 映画『三丁目の夕日』にはそうした背景があり、その中での自動車工場へ就職のつもりがなんと町の修理屋だったというエピソードは特異なものではなく一般的だったといえます。

 

 渡されたパンフと労働条件や寮などの施設が全く異なることは日常茶飯事で、さらには、劣悪な労働条件はまだまだ生きていました。しかも、いやだからといって簡単に故郷に帰ることが許されない時代でした。
 私にも、卒業時に大都市へ就職した中学での同級生から、仕事はつらいし、始めいわれていたのとは全く違うという嘆きの手紙を、しかも二人から貰った経験があります。
 それぞれが、「だけど、これは親にはいわないでくれ」と付記していたのが今でも胸に迫ります。
 
 それに耐えきれなかった少女たちは、もう少し華やかな世界を夢見て、繁華街へと飛び出しました。
 ひと頃、名古屋や岐阜のグランドキャバレー(今のような陰湿なものではなかったのですが)のホステスさんの間では、九州弁が飛び交っていました。
 それは、この地方の集団就職が、主に九州からの人たちによって占められていたことを示しています。

 この映画に描かれている状況は、現在のグローバルな生産や流通のありようと、資本の原始的蓄積を強力に推し進めつつある中国の現段階とが合流して生じたものといっていいでしょう。
 その特異性があるとすれば、映画の中でも登場する、「共産主義的資本主義」というグロテスクな言葉に代表されるようなあり方ですが、これとて、「挙国一致の富国強兵」の変奏曲のようなものでしょう。

 
 
 以上、延々と述べてきたように、ここで描かれている事態は歴史的スパンの中で見れば、きわめて普遍的なものだということです。
 もちろん、だからこれでいいのだということではありませんが、かつて私たちも通ってきた道であることを棚上げし、それを言いつのるとすればそれは片手落ちであり、単なる反中や嫌中の範囲に止まってしまうことでしょう。
 この映画では、グローバリズムの中での出来事という視点はあるのですが、現在、先進国としておさまりかえっている国が、こうした過程を経てきたという歴史的な事実への批判的視点が希薄なため、中国の特異なありようとしての面が強調されがちです。

 もうひとつ、冒頭で述べたTさんの指摘に戻れば、監督はその悲惨さをしきりに強調しているのですが、そしてそれは私たちから見れば確かに悲惨かも知れないのですが、ここに出てくる少女たちはその悲惨さの被害者という規定に止まることなく、わずかな機会に乗じて自らを表現し、その青春を謳歌するために行動します。
 彼女たちの生き生きとした表情は、悲惨の被害者としての枠を超えてそのエネルギーを発揮し、むしろ、生命の輝きすら感じさせるのです。
 そしてその面から見ると、高みにたって彼女たちに憐憫の視線を浴びせるのとは違った視線が生まれてきます。

 この辺がTさんのいう、「監督の意図とのズレ」ではないでしょうか。
 だいたい、現在の中国において、その悲惨さを恨み辛み(ルサンチマン)として受け止めていたのでは生きてはいけません。年齢を偽ろうが、労働量を誤魔化そうが、規則の裏をかこうが、そうしたものを総動員して生きてゆかねばならないのです。
 そうした逞しさこそが彼女たちのエネルギーなのです。

 もしあの映画が中国で公開されても、彼女たちは、「あ、私たちは悲惨なのね」とは思わないでしょう。
 啓蒙主義者は、彼女たちの権利意識の希薄さを指摘するかも知れません。しかし、抽象的な権利意識では生きては行けないのです。だから、権利意識などとは無縁のところで、給与の遅配には自然発生的なストライキで応じるのです。しかしそれらは、理念を掲げた組織としては形成されません。
 これを権利意識の理念のみが空回りし、自然発生的なストすら全く影をひそめてしまった私たちの国と対比してみることが必要です。

 

 ですから、この映画を反転すると、逆境を逆境としてではなく、それを自然的条件として生き切るという青春の物語ですらあるのだと思います。それが、この映画が監督の意図とは微妙にズレながらも、あるいはそうであるゆえに、魅力的である要因ではないでしょうか。

 確かに、ああした状況は今日の私たちにとっては悲惨に見えるかも知れませんが、しかもそれは、中国特有のものに見えるかも知れませんが、それに対して日本の雇用条件がほんとうに勝っているといえるかは疑問を残すところです
 リストラという横文字で、一方的に首を切られたり、不正規雇用が一般化し、この不況の中で真っ先に職から切り離されている状況下において、われらの方が勝っているとするのは不遜でしかありません。

 繰り返しますが、私はあの映画に描かれた状況を肯定はしません。確かにあってはならないことかも知れません。
 しかし、このグローバル化の構図が一般化しつつある中で、それへの代替案(アルタナティヴ)を持たないままにその末端のみを告発したり、憐憫を与えるのでは出口なしだと思います。
 だとするならば当面は、その状況を逞しく乗り切ろうという少女たちへの応援歌を歌うしかないのではないでしょうか。
 
 加油! ジャスミンたち!


中国でのそうした労働強化のはじまりに、その労賃の安さに目を付けていち早く進出した日本企業が一役買っているという事実も見逃せません。
 私は、そうした中国で工場を持っていた経営者とよく話す機会があったですが、彼は、映画の中の経営者と寸分違わない言葉で中国人労働者のことを話していました。
 「厳しく躾けないと、主人の手を噛む」と。







コメント (1)
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