■うちの洗濯機の乾燥機能はまったくだめで3時間かけてもろくに乾かない。コインランドリーのものだと30分で乾く。
■仮設の仏壇に居る亡き連れ合いに正月用の仏花を飾る。
■わが家の墓はない。私が分家であり、わが子たちに子供はいないので墓守りが絶えることになるから。
豊橋へ行った。積極的な理由は何もない。
消極的なものとしては、この歳にして今年の暮は外出が多い方なのだが、どれも決められたりしたもので、自分で「よしっ、行こう!」というものがない。そこえへたまたま名鉄電車の切符があったので岐阜から一番遠いところということででかけた次第。この動機からだけみると徘徊老人と変わらない。
前に行ったことがある美術館でなにかやっていたらという気もあったが、予め調べたら改修工事中とのことでそれは断念。
としたら、何も慌ててゆくことはないと、昼間の日常の家事を済ませてから夕刻、豊橋に着くように出かける。
で、薄暮の始まる頃到着。
駅頭のブリッジではイルミネーションが点灯していて、それを眺めていたらちょっと奥まったところに花飾りに囲まれた白いベンチがあり、どうもそこでカップルなどが自撮りをする場所らしい。
その前に差し掛かったら陽気な女性に声をかけられた。彫りの深い表情はどこか日本人離れをしていて、言葉のイントネーションもやや異なる。
その女性いわく、あの白いベンチにかけるので魅力的に撮って欲しいとスマホを渡された。引き受けてスマホを構え、彼女がベンチに座った途端、悲鳴を上げて飛び上がった。何事が起こったか分からなかったが、私の近くまで水しぶきが飛んできた。
わぁ~、わぁ~、わぁ~と彼女の悲鳴は続く。よく見ると彼女のパンツは、おしりから下全体にしずくが垂れるほど濡れているではないか。何が起こったか分からず、ベンチに触れてみて初めてわかった。そのベンチは、座りやすいようにお尻の当たる部分が窪んでいるのだが、そのくぼみに、当日の午前中まで降っていた雨のせいで、2~3センチの深さで水が溜まっていたのだ。
そこへ彼女はまともにお尻を下ろしてしまったのだ。これは悲鳴を上げるのも無理はない。慰めようもなく立ち尽くす私からスマホを受け取った彼女は何処かへ私にはまったくわからない言語で声高にしかも早口にまくし立てた。
後で聞いたらタガログ語で彼女はフィッリッピン人だという。
なんか、責任を感じてしまってなにか手助けすることはと尋ねたら、いま電話したのは妹で、やや離れたところからだが車で迎えに来るとのこ、それまで本人は近くの衣料店で着替えが買えたらそれに履き替えるという。あのタガログ語の激しさに比べたら嘘のように笑顔が戻ってきて、かえって心配をかけて済まないといったのには気の毒というかなんというか複雑だった。
彼女と別れてからもモヤモヤしていたがあれは不慮の事故ではなくまったく人為的な不手際だと気づいた。普通ああした形状のベンチにも水が溜まったりはしないはずだ。それはどうしてかというと、一つには普通、短冊状の板で作られていて隙間があること、そして一枚板の場合にはところどころに丸い穴が空いていて決して水があんなに溜まったりはしないのだ。
ふとみたら、近くのイルミネーションを部分的にいじっている男性がいた。彼に近づき、あなたはこの装置のクリエーターかと尋ねた。いいえ、私はこの部分だけの担当ですと彼氏。
じゃあ、それはそれとして、ちょっとこちらへとベンチのところへ連れてゆく。そして水が溜まっているさまを示してこれをどう思うかと尋ねた。これはまずいですね。この長さだと3~4箇所に水抜きの穴を設けるべきですねと彼氏。
私は、先程の彼女の被害を話し、他にも犠牲者が出る可能性があることを告げ、早速注意書きを用意し、さらにはこの椅子を撤去し、新しいものと取り替えるよう要求した。わかりました、その旨責任を持って処理します、と彼の答え。
先程の彼女がまだいたら、その被害を弁償させたい思いであった。
変なアクシデントで時間をとったが、あとは飲食店で酒肴を味わい帰るのみだ。駅前の道路へ降りる。
ここへ来るといつも気になるのは精文館(Seibunkan)という大型書店が元気でやっているかということだ。ここで書を求めたこともあるが今回は前からの覗き見のみ。ちゃんとやっていて客も結構入っている。
その人たちを偲びながら、カウンターで静かに酒肴をというのが強いていうと今回のこの小旅行であった。
郷に入らば郷にで、この地区の酒「三河手筒」を頼む。手筒花火からのネーミングだろう。サラッとしていて結構うまい。カウンターは1人のみ、しばらくはしんみりと杯を傾ける。
が、しばらくすると女性が1人、カウンターにやってきた。オーダーなどのぎこちなさからみて、土地の人ではなく旅の人だとわかる。
どちらからともなく話を交わすことになる。はやはり一人旅の女性で、神奈川県から青春18切符で訪れたという。今日は豊橋の吉田城跡と豊川稲荷、宿は豊川だが夕食はネットで検索してここにしたらしい。
明日は飯田線で長篠の古戦場跡、そして浜松城などが予定という。どうやら、社寺仏閣、城址、古戦場跡など広い意味での歴女に相当するのだろうか。
そうした観点から岐阜についていろいろ問われる。岐阜と言っても南部の県都岐阜を含む美濃地方はどちらかというと太平洋性気候に属するし、飛騨や奥美濃は日本海側の気候で、風俗習慣も異なる。さらには美濃地方も西濃と東濃はあまり交流もない。それらをうまく説明できない。
そんなこんなで、しんみりした感傷旅行の仕上げとしてのしんみり酒は、すっかり友好酒に転じてしまった。
野暮な自己紹介はやめにして、私のブログのアドレスのみ教え、土産を買い豊川の宿へ帰るという彼女と豊橋駅頭で別れた。
行きには軽い本一冊をやや斜め読みに読んだのだが、酒と疲れの後ではそうは行かない。まぶたが閉じがちになる。しかし、岐阜が終点だから安心できる。しかも、岐阜へ着く手前で目が醒め、いつも東海道線から見る夜景と、名鉄線のそれとを比較しながら最終行程を終えることができた。
寒々としたわが家の日常の中では、今日半日の出来事がなにか夢幻の如くであった。そしてそれが、ぶらっと出かける、旅や小旅行が変哲のない日常にもたらす異化作用なのだろう。
これからも、特に目的もない土地にふらりと出かけてみたい。
弁当のおかずは、豆腐入りほうれん草青菜炒め、じゃがいもカレー煮、ちくわ煮付け、鶏胸肉そぎ切りソティと卵焼き。
ところで、こうしたご飯になにか具を入れて炊くのを、私の子供の頃の疎開先では、まぜめめしとかまぜご飯、あるいは、五目入っていなくとも五目めしとか五目ごはんといったりした。
関東や、いわゆる共通語では炊き込みご飯というらしい。
一方、関西では「かやくご飯」とか「かやく飯」とかいうようで、なんか口に入れたら爆発しそうなイメージをもっていたが、実はこれ、「火薬」ではなく「加薬」だという。
元はというと、室町時代、白飯の上に味付けした野菜などを乗せ、すまし汁をかけた食べ方が流行し、それが庶民にまで広がったものだという。それがなぜ「加薬」になるかというと、大阪に道修町という薬問屋の多い街があり、そこでは主成分の薬に補助的に混ぜるものを「加薬」といったが、そのうちに「混ぜる」という行為そのものを「かやく」というようになり、ご飯になにかを混ぜたもののことをかやくご飯とかかやく飯とかいうようになったのだという。
こんなことを書いていて、ふと道修町に引っかかるものを感じた。というのは子供の頃、疎開先が大垣だったせいで、やはり大垣に住んでいた仲のいい従兄弟がいて、彼は中学卒業とともに大阪は道修町のけっこう大手の薬問屋に就職した。就職当初は寂しかったのか頻繁に私宛に手紙が来て、私もこまめに返事を書いた。
そのうちに大阪に慣れたのか、そのやり取りも少なくなったが、何年かして出会う機会があり、一緒に飲んだりしたが、その際にはもうコテコテの大阪弁で、その顔つきまで関西人といった風貌になっていて驚いたことがある。
その彼の一家は、親が亡くなったあと、その相続を巡って実家にいた長男とその他の兄弟姉妹との間でシビアーな闘争があり、それを機に、長男以外は実家とは縁切り状態になり、もう帰郷しない彼とも会えなくなってしまった。
風のうわさでは、生来真面目だった彼は、その問屋が発展して薬メーカーになってからも重役クラスになったとのことだが、ほぼ私と同年代、健在だとしても、どこでどうしているかさっぱりわからない。
でも、こうして思い出すと、どこか人懐っこいところがあった彼、そしてそのコテコテの大阪弁が懐かしく思える。
この歳になると、すっかり忘却庫にしまわれてきたこと共が、ふとしたことで蘇る。
ぎんなんご飯 かやくご飯 道修町 そして半世紀も会っていない従兄弟・・・・。
- 同人誌の畏友・津田正夫氏参加の水彩画展の告知が10日に発せられ、11日から25日までという。これはぜひ観なければと23日、会場に足を運んだ。
過去、3,4度観てるので会場も熟知。いざと勇んで到着。オープンな会場なので入口付近から見渡せる。今年はF6以下の小さな作品ばかりだなぁと言うのが感想。
近づいてみて驚いた。え?え?え?水彩画のはずがみんな写真。医療や介護現場のせいぜいA5版ぐらいの写真。これは違う!
驚いて事務所のようなところで尋ねる。「あのう、水彩画展はもう終わったのですか?」「はあ~?」と今度はその女性が驚く。「いや、11日から25日までやってるはずですが・・・・」と粘る私。
それを聞いていたのかやや年配の女性がでてきてとりなす。「ちょっとお待ち下さい。スケジュール表を確認しますから・・・・」と。
しばらくしてその女性、「あ、たしかに11日から25日の水彩画展入っています。ただし、これは来月、11月です。
ガ~ン!何タルチア、惨タルチア!。私はわざわざ、自分がボケ老人であることをあまねく知らすべく、ここへとやってきたのだった。
「お、お騒がせしました」としょんぼり立ち去る私の背を、憐憫の眼差しが追うのであった。
*写真は、まったく違う展示で埋められた会場。
農協の朝市へ。ここ一週間ぐらいの間に並んである野菜に変化が。しばらく姿を見せなかった葉物が出始めた。その代わり、胡瓜やとうもろこしなどは姿を消した。この地区で今採れるものというコンセプトに従っているからだ。
スーパーでは切れることのない小松菜もここではやっとだ。スーパーのものほど茎が太かったり葉が硬いものではなく、むかしの餅菜風で柔らかくてこちらの方が美味しい。
万願寺とうがらしも掘り出し物だ。半分に割って種などを取り出したものをさっと熱い油にくぐらせる。この時、天ぷらや唐揚げほどに揚げすぎないことが肝要だ。生ではないが完全にへたってもいない状態、固くはないがやや歯ざわりが残ってる状態。予熱も計算して、この状態で揚げる。それを味醂と醤油の出汁でさっと絡めたら出来上がり。万願寺の甘さと唐辛子類の癖とが相まってとても美味しい。
掘り出し物はミョウガ。もうないと諦めていたが、あったのだ。スーパーなどで売ってるものよりやや小さいが、10個入って93円(税込み100円)はありがたい。二ケースをゲットした。
帰宅し、洗濯物を乾す。秋の爽やかな天候、湿気も少なそうでパリッと乾くであろう。
午後から、予め予約してあった歯科医へ。若い頃は葉が丈夫なのが自慢だったが、ここへ来ていろいろ故障が。歯磨きに気を付けているせいで虫歯にはならないが、思わぬところがポロリと欠けてきたりするのだ。今回もその治療。
途中で、でっかい実をつけたかりんに出くわす。余分な枝葉をカットしてあるので、裸ん坊の実が、恥ずかしげに露出している。
こちら側は稲刈りが終わったが、これはこの地区では早い方。向こう側はまだ。今日から来週末にかけてが刈り取りのピークになる。霜が降りる頃に熟すという県産米「ハツシモ」の収穫時は遅いのだ。
「ああ、おかえりなさい。気をつけてね」と私。
ちょっと爽やかな秋の午後。
私自身40年ほど付き合いのある人の一区切りを期してのそれであったが、ちょっと全体に上わっ滑りの感があってかなりの欲求不満。
だからそれには触れないで、往復の風景から。
JR岐阜駅の歩行者デッキから見かけたネムノキの現状。もう茶色くなった実から、まだ緑色の実、それに花さえ残っている。繊細そうに見えて生命力が強いのだろう。
子供の頃、この葉っぱを撫でながら、「ネムネム眠れ」と唱えて遊んだりした。
帰りはJR東海道線大垣行快速。シートの色がいつもより淡くて緑に近い青色。なにげに車内を見ると、ドア付近に「整理券」が出る装置がついている。
よく路線バスなど均一料金以外の路線で見かける料金の目安となるカードが出るあの装置だ。へ~、東海道線でねぇと思ってしまう。他の路線で走っていた車輌の転用なのだろうか。
そういえば降車してみたら、やはりドア付近の外側に、ドアオープン用のボタンも付いていた。どうもかなりのローカル線を走っていたもののようだ。
もちろん現在は、ドアはすべて車掌席からのコントロールで開閉している。
ようするに、私の目撃した装置はもはや痕跡に過ぎないが、ちょっと想像力をくすぐり、対象も明らかでないノスタルジーをも感じさせるものだった。
その方からの電話で、「越前釣行の帰途だが、おすそ分けを」とのこと。え、え、三陸では?しばらくしてチャイムが。紛れもなくその方が。「三陸では?」とお尋ねすると、帰ってからとんぼ返りで越前の海へ}とのこと。なんという神出鬼没!
ところで頂いたのは40センチ超えの真鯛と鯖。間違いなく今日獲れの文字通りの鮮魚。鯖なんか、死後硬直状態。
さてどうするか?鯛半身は刺しであとの半身は巧いレシピを考えよう。鯖も半身は〆鯖でとその用意。まずは三枚におろしたっぷりの塩で塩じめ。出てきた水を捨て、さっと水洗いしてキッチンペーパーで拭き、そのままくるんで24時間の冷凍。
これはアニサキスによる中毒防止対策。このアニサキス、近年とくに増え、昨年の日本での中毒は2万件という。
それにこれ、地球温暖化と関連があるといわれる。かつてはそんなこと気にせず、刺し身や〆料理を楽しめたのに、ヤナ世の中!
ぐちはともかく、お陰でわが家は、今夜は鯛刺しをメインとしたご馳走、そして明日は、白茶けていない赤身が残る〆鯖の大ごちそう!
何はともあれ、神出鬼没のアングラーさんに感謝を!