魔人の鉞

時事、歴史、宗教など、社会通念を独断と偏見のマサカリでスッキリ解決!  検索は左窓から、1単語だけで。

司馬史観など、幻想にすぎない

2022-06-16 14:29:41 | 日本史

私は以前から、明治維新というものには不思議な所が多日下ある、と感じていました。桜田門外の変とか維新前夜の京都の混乱とか、ようするにテロが横行し、薩長はテロで政権を取ったのではないか? 孝明天皇の信任篤かった会津・松平容保はなぜ朝敵とされ、恭順するというのに追討されなければならなかったのか? 明治政府は尊王攘夷を主張していながら、政権を取ったとたんになぜ攘夷などかなぐり捨てて西洋化を図ったのか? 

「明治維新という過ち」 原田伊織著、毎日ワンズ 2015年。

著者は、明治維新崇拝者で国民の歴史観に多大な影響を及ぼした作家・司馬遼太郎の史観を切って捨てます。

テロを全否定する司馬氏は、しかし「桜田門外の変だけは歴史を進展させた珍しい例外であると断じ、と高く評価します。驚くべき稚拙な詭弁だと言わざるを得ない。」(186p)  

まったくその通りです。安政の大獄といっても刑死・獄死は14人で、たいして多くありません。旧時代の弾圧としてはおとなしいと思いますし、藩主が永蟄居の処分を受けたから大老を暗殺する、というのでは話になりません。尊王攘夷派では、気に入らないから殺すということが当たり前のように行われ、数え切れないほどの暗殺がありました。どちらがひどいでしょうか。

また司馬氏は人物で言えば3つの過ちがある、として3人の名を挙げています。 ①坂本龍馬はグラバー商会のパシリに過ぎず、薩長盟約の立役者などではない。盟約ではないが提携は半年も前に内定していたということです。船中八策はどこの記録にも出てこない、出所不明のシロモノだということ。②吉田松陰は松下村塾の設立者でも何でもなかったのに、長州の山県有朋が自分の下級士族出身の経歴を飾るために吉田松陰を持ち上げ、その偉人の下で学んだという伝説を触れ回っただけの事。③ 勝海舟は自分を大物に見せたがる。江戸城無血開城は会談の前に打ち合わせができていたものを、活が西郷と談判して決まっ、たという話を拵えた。

 

私の常識はまったく否定されましたが、納得できる内容です。尊王攘夷と言いながらそれは名分だけで、中身はどうでも良かった。要するに権力が欲しかったのです。そのためにテロをしまくった人たちでした。徳川慶喜が逃げ出した鳥羽伏見の戦い、その発端は、西郷が浪士を使って江戸市中で乱暴狼藉を働かせ (西郷の指示と云うのは異説もあるようですが) 、江戸取り締まりの庄内藩が業を煮やして幕府了解のもとに薩摩藩江戸屋敷を攻撃したのが発端です。西郷も大人物ではなく、相当の悪党という面を持っているようです。

 

自国の歴史が悪党だらけ、というのは気持ちいいものではないですが、司馬遼太郎氏のように日露戦争までは良かったが、そのあとが悪かった、というのでは歴史を語ることになりません。結果オーライにすぎない。そうではなく、テロリスト体質、空虚な思想しか持っていないことが昭和の亡国につながったということをシッカリと確認することが必要です。

司馬史観などというものは幻想です。彼はあくまで作家、物書きであり、面白いように歴史的な読み物を書いただけです。史観などと呼んで奉っては間違いだ、と思いました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 知床遊覧船事故、行政とツア... | トップ | 核兵器は使えない兵器になっ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本史」カテゴリの最新記事