魔人の鉞

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明智氏の 「本能寺家康謀殺」 仕掛け説

2021-05-03 12:07:52 | 日本史

本能寺の変について、光秀の末裔と自称する明智憲三郎氏の本、「織田信長 433年目の真実」 幻冬舎 2015年。

明智氏は信長が孫氏・呉氏をはじめとする兵法に精通した「信長脳」を持ち、余人の及ばぬ戦略家であったとします。これについては異論がありますが、本能寺の変を「歴史捜査」し、このような推論を導いています。

それは、信長が徳川家康を暗殺しようとして、わざと数十人という小勢で本能寺に宿泊した。それは家康が謀反を起こしたので逆に誅殺した、と説明するためだった。そのことは明智光秀だけに知らせ、軍勢を本能寺に向かわせるよう指示した。光秀は信長のシナ征服構想を聞いており、このままでは自分がシナ征服戦争に投入され日本に帰れず、一族の将来は破滅だと考えて、謀反を考えたが、機会がなかった。しかし家康謀殺は信長がその舞台装置を仕組んでくれたわけで、千載一遇のチャンスになった。光秀は家康が本能寺を訪問するより半日早く、早朝に本能寺を襲えばよかった。こうして首尾よく信長を殺害した。

というわけです。

明智氏は、シナ征服構想は信長脳を継承した豊臣秀吉の実例をみればわかるとして、征服したシナに送り込む予定の者は光秀や秀吉らであったろう、としています。みな先見の明、未萌に見ることのできるすぐれた戦略家で、光秀はそこまで見通したと言います。

もしそうだとすれば、私の疑問だったこと、なぜ秀吉はクビも晒されていない本能寺の第一報だけで信長が死んだと確信できたのか、ということに答えが出ます。とうぜん秀吉も信長脳であったとすれば、秀吉は光秀がいつか謀反するということを薄々感づいていた、ということです。

 

しかしまったく根拠はありません。信長が天才的軍略家だった、ということには大いに疑問があります。信長の楽市楽座はいろいろ先例があるし、長篠の鉄砲3段打ちは史実ではなさそう。もし天才軍略家なら、桶狭間で大敵今川を破ってからもなぜ四苦八苦していたのでしょうか。また妹婿・浅井長政の反逆も見抜けなかった。独断専行の超ワンマンで失敗もたくさんあった、部下は戦々恐々だったというのが実態ではないでしょうか。

信長が家康を誅殺しようと考えたことは、難敵武田氏を亡ぼした直後だからかえっていいタイミングだった、という明智氏の分析は面白い。しかし証拠がない。光秀の意図も、何ら証拠がない。そして、織田の家督継承者信忠が本能寺近くの二条城にいたのはまったく偶然で、信長だけを殺しても信忠が生き残れば織田家は盤石だというのは明智氏が自ら指摘している通りです。信忠は逃走せず急報で本能寺に向かったが、そのご二条城に籠って、結局殺された。とすると光秀の謀反はやはり、それほど計画的ではなかった、ということになるでしょうか。

いずれにせよ、小説が何本も書けるような、すばらしい明智氏の推理です。

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