怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ツィゴイネルワイゼンとフラメンコ

2016年09月30日 | カテゴリー分けするのに飽き
バスが停まると、何人かの乗客が乗り込んできた。
そのなかに、いつものように元物乞いの女性がいた。この曲がぴったりの彼女だ。


まとめた髪、浅黒い肌。フラメンコの衣装も似合いそうだ。
どういうわけか、その日は娘を連れていなくて一人だった。
私が座っている横を通りかかろうとしたとき、私は一秒の数分の一の間考えて、彼女のために席を空けた。
彼女は何のためらいもなく、私の隣に座って「ダンケ」と言った。
私は数秒考えた。話しかけるか否か。
ロマの人々とはかかわらないほうがいい、というネット日本人友人たちのアドバイスを思い出したりしていた。
彼らは日本人留学生とのかかわりも面倒なことになりがちなので、気をつけなくてはならないと報告していた。
私も留学生数人世話をしたことがあり、助言が当たっていることも外れていることもあったのを考えた。
では、この隣の女も当たりかはずれかの双方の可能性があると、試してみることにした。
「こんにちは。今日はお一人ですか?」
私は、彼女の娘のことは既知であることを前提に初めての会話を始めた。
さて、ドイツ語できるのか・・・
「ええ、今、彼女を送ってきたところです。あそこにある授産施設に行っているのです」
と、すらすらと話し始め、驚いたことにその話が途切れることなく続いたのだ。
容貌から察していただけのときは、きっとものの言い方のきついとっつきにくい人だろうと思っていた。
柔らかい語り方は不似合いなほどだった。
娘は22歳。身体の発達具合と顔の表情の不釣合いさからちょいと感じていたとおり、知的障害があるのだそう。
二人で物乞いをしていたときは、どんな風に暮していたのだろう。そんなことを尋ねるわけにはいかないので、彼女が話すままにしておいた。
娘は施設で毎日三時間いる。排泄のコントロールができないので、迎えに行くときはいつも着替えを持参しているとか、一ヶ月に及ぶ入院、障害者認定されたこと、など。
おそらく、日頃会話を交わす人もいないのだろう。初対面の私に個人的な話を一気にまくし立てていた。

さらに驚いたのは・・・
彼女、日に数時間掃除の仕事をしているらしい。
ふむ。私より稼いでいるってことだな。

完全に物乞いを脱して善良な一般市民に昇格したわけだ。
「国の援助だけで生きているんだな」
と思っていたのはちょいと外れていた。
なにより、障害を持つ娘を抱えての人生は、仕事があろうと援助があっても大変だろう。
未知の人物にその大変さを語るのだから、日頃のストレスは凄まじいだろう。

街中をしばらく彼女と一緒に歩いた。
目立つ人だから、街の人たちはいつもは娘といるのに変な東洋人と一緒にいることに驚いただろうな。
これ以上の関係は難しいだろうから、今後は出会ったときに挨拶を交わす程度にしておこう。
彼女に知人友人ができて、カフェにいるところなどを見かけることになったら、次の段階だろう。



九月も終わりだというのに、気温の高い日々が続いている。

庭の作物を見ていると、夏はすでに終わったことを知ることができるんだ。

小バエがやたら繁殖しているのは、気温が高いせいだろうか。

屋根裏部屋のハエを私はここのところ毎日掃除機で吸い込んでいる。

義母お手製のこの小ハエ取りもちゃんと機能している。