怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ゴミ箱を漁る

2016年09月27日 | カテゴリー分けするのに飽き
バスターミナルや人が大勢行き交う場所では、さまざまなニンゲン観察ができる。
田舎街のここはつまらないと思っていたのだけれど、だんだん面白さを発見できるようになった。

よく見かけるのはゴミ箱をあさっている人々。
これはデポジットつきのペットボトルや瓶を探しているんだ。
一本25セントも現金が返ってくるのだら馬鹿にできない。私でさえ、空きペットボトルが何気にベンチに置かれてあると、スーパーに持っていって換金したくなるもの。
 
そういうわけで、ゴミ箱をあさっている人たちは必ずしもとても貧しいというわけではないと期待している。
ときどき新聞には生活苦でこうしている人々のことを写真入りで載せている。

同じ場所でたばこの吸殻を拾って吸っている若者を見かけたことがあり、これはかなりショックだった。
様子を観察していると、どことなく通常の精神状態ではないような印象だったので、そういう人だから、と自分を納得させたものだ。

先週、派手な服装の女性が文具寄贈場所に入っていくのを見た。
文具無料配布は就学している子供がいる生活保護世帯対象だ。役所からの証明書類を持参して提示しなければならない。
見せている様子だったので、本当に生活保護を受けているのだと驚愕した。
私よりずっと高価そうな衣類やかばんを身につけていた印象だ。
また、こちらの人たちの体格・姿勢の良さ、態度のでかさは貧しさを感じさせるのが難しいんだ。

ゴミ箱をあさる人々は、文具受け取りに来る人たちより少々わびしげな様子がするのは、やはり、なんとなく気まずいからなのかしら。
どうせやるなら、堂々と!何も悪いことではないと思うのだけれど!
先週末も、ウチに訪問物乞いがやってきた。ドイツ語が不自由なのか、耳が不自由なフリをしているのか、物乞いの理由を書いた(不思議なことにコピーされたもの。いくつも同じものを作って分けて持っているのか?)紙片を見せた。
私がしばらく呆然としていると、夫がやってきて、
「帰ってください」
と語気荒く追い返した。
惨めな気持ちになるのはお互いさまだ。
効率の悪そうな訪問物乞いより、空きペットボトル集めの方が精神衛生にもよさそうな印象だ。

数年前まで母親と思われる女と一緒に物乞いをしていた少女をよく見かける。
いったい、どこへ行くのか、いつもバスを待っているんだ。
いろいろな場所で見かけるので、やることもないからバス定期を買って街をバス旅行する日々を過ごしているのだろうか。

物乞い家業から足を洗い、落ち着いた生活をしている様子がよく出ている。
このときは、やおら弁当箱をかばんから取り出した。
その中にはきちんと紙に包まれた、丁寧に作られたと遠目にもわかるサンドイッチが入っていたんだ。
びっくりした。
物乞いしていても、日々の生活はきちんとしていたのかと、想像してしまう弁当だった。
寄ってくるハトにパンをちぎって与えていた。
以前は逆の立場だったものねぇ、などと思った私。
彼女の今後の幸せを祈りたいところだけれど、いったい、学校に行ったことがあるのかしら、などと突き詰めて考えると将来のドイツ自体が心配になるので止めておいた。