イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

女性・女系の是非 ~血よりも重い思い~

2019-12-15 23:24:21 | 世相

 新天皇陛下御即位のセレモニーが一段落して、頃合いをうかがっていたようにまたまた俎上にのぼってきたもう一つのテーマが“女性天皇・女系天皇の可能性”です。

 新天皇陛下の実子はいまのところ女子である愛子内親王おひとりですから、次期天皇=皇嗣(こうし)は五つ年下の弟君・秋篠宮殿下、続いてそのご長男悠仁親王、さらには一世代戻って、上皇陛下の弟君常陸宮殿下、という皇位継承順になりますが、さてその先がいない。

 二代三代先まで継承候補者が途絶えることが無いよう、女性皇族、さらには女系(=お母さんの親ないし先祖が天皇)皇族まで継承順のパドックに加える制度にしてはどうか?「どう思う?」「ダメ?オッケ?」ってな具合に、政府は有識者集めて議論させたり、ときどき閣僚級に個人的所感をチラ言いさせたりして、国民世論の動向を探り、そこに合わせて落としどころを模索しているように見えます。是か非か互いに譲らぬ「国論を二分する」構図になる事だけは避けたく、国民の「どっちかといえばこっちかな」を掴んで、そちらのほうにじんわり誘導して、頃合いを見て全体をまとめて着地、とさせたいのでしょう。 

 月河に言わせれば、日本という国のシンボル=象徴の継承をどうするかという、国にとって根源的な問題が、そこらの選挙民がよく考えもしないで投票したらなんでか当選しちゃったみたいな国会議員、なんでか大臣任命されちゃったみたいな大臣閣僚のわちゃわちゃガヤガヤで論考される自体、どうにも僭越な気がしてしっくりこないのですが、まぁ、誰も何も論じず考えずの放置プレイで、後継者が途絶えるに任せるよりはマシだと思うことにしましょう。

 さて、いまさらですが皇位継承において大事なのは、“誰”と“誰々”を継承可能の順に組み入れるか、ではなく、“何”を継承するかです。

 煎じ詰めれば“魂”“時間”だと月河は思います。なんたって生きながらにして“象徴”なのです。自分は日本国の象徴であり、日本が日本としてまとまって存在し存続していくことのシンボルであるという自覚を日々持ち続け、たゆまず国を思い、国の歴史に思いをいたし、国の未来を考え、国民の安らかな生活と希望のある未来を願う。戦争の惨禍、平和の価値、現在および将来における日本の立場やあるべき姿を思索し、よそ見せず邪念を持たずひたすらに祈念し続ける、この精神こそが天皇という地位の本質です。どんな博学者や聖人でもできない、天皇しか持ち得ない精神の様態です。これを伝承、継承せずして何の皇位でしょうか。

 逆に言えば、この“魂”さえ十全に継承できれば、男系だの女系だのはまったくどうでもよろしいと月河は思います。極論すれば皇統と鐚一文係累のない赤の他人だって少しも構わないとさえ思います。

 同列に論じるのは不謹慎かもしれませんが(この記事を書き始めた時点でコレ相当不謹慎になるぞという自覚はあるので、ここまできたら押し通します)、歌舞伎、能狂言、邦楽音曲、古典落語など、世襲を前提とした伝統芸能の世界にも“芸養子”という習慣があります。幼い頃から内弟子として日常の起居、箸の上げ下ろしまで細やかにして厳しい指導をし修練を重ねて“芸”の本質から末節に至るまで教え尽くし習い尽くせば、血縁はなくとももう実子同様に名跡を譲ったり継がせたりしても構わないし周囲も認めます。継ぐべきは“芸”、芸を保存し、質を維持し、発展させ次代につなげることが継承の目的であって、血縁それ自体が本質ではないからです。

 皇室、皇統が継ぐべきもの、伝統芸能における“芸”に相当するものは、国を思い国民の幸福を祈る“魂”にほかなりません。再び逆に言えば、この“魂”をとことん教え込み、習い覚え、日々刻々考え抜き祈り通すという修練、作業ができていないならば、男系だろうが女系だろうが、血縁血縁、直系直系、○○天皇から数えて何代めとなんぼ強調したところで、皇位継承者候補としては要らない子です。

 「チョット待て、それにしても、赤の他人でもいいは言い過ぎじゃないか」「“血は水よりも濃し”って言うぞ」と、ここまで読んで(読んでる人いるのか)ヤキモキされている皆様、ご安心召されよ。

 ここにもうひとつの不可欠要素=“時間”の存在意義があるのです。“魂”の伝承が思い残すところなく存分におこなわれたか、自他ともに検証し得る最もシンプルで説得力ある条件こそ“時間”つまりは何年、ともに暮らし、同じ卓で食事をし、同じ情景を見て互いの所感を共有し合い、同じものを見て笑い同じ書物を読んで涙し、同じ部屋の空気を吸いながら思索と共感を誘い導き、導かれ合って来たかの積み重ねなのです。

 要するに、家族として同じ“時間”をどれだけ共有してきたかです。

 “魂”の伝承にどれだけの“時間”が注ぎ込まれたかを、最も良く、わかりやすく保証してくれるのが“家族”です。思想や思考、精神のありようを教育指導し鍛錬することを目標とする他の主体、たとえば学校や教室やセミナー、あるいは宗教団体、政治イデオロギー団体などでは、いくら頑張っても、偉そうに広報宣伝しても、“家族”の教育力、伝承力にかなわない。物心つく前からずっと、あるいはいっそオギャーと産声を上げる前からの、親たち、祖父母たち、年長親族たちの希望、期待という形で重層されてきた“時間”の総量には到底およばないからです。

 私たちが皇位継承を考えるとき“血”“血統”を外して考えることができないのは、この圧倒的な“家族”の時間パワー、精神的熱量パワーに、いまなお全幅の信頼をおく人が多いからだと思います。「男系でなきゃ」「いや女系だって」と言い合いながらも、どちらの意見の人たちも本当にこだわって譲れないものは万世一系の神話でも、なんちゃら染色体でもない。国を思い国を考え国民のために祈る“魂”と、それを教えはぐくむために家族としてともに積み重ねた“時間”の継承です。

 女性天皇・女系天皇の是非も堂々と論じられ白黒つけられるべきではありますが、大切なのはどこまで行っても“魂”“時間”。この二つが、国民の頷けるかたち、モヤモヤと不足不満をのこさないかたちで継承し切れるものでなければ、“皇位の安定的継承”なんて、絵に描いた餅どころか、クソ食らえです。あー言っちゃった。

 女性・女系オッケーにして、あるいは何代も前に皇族から降りた中からひょっこり男系末裔探し出してきて、継承候補順位の列のアタマカズばっかり増やして「これで先行する順位のかたに、二~三人モシモのことがあっても、次が何人もいるから安心だ」なんてのはごめんだよ。国の象徴をなめるな、ってことです。

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