イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ジ、ムショ帰り ~やみやみ闇営業止まず~

2019-07-12 13:51:50 | 芸能ネタ

 ざっくり先月後半からは吉本興業所属お笑い芸人の“闇営業”と反社勢力との関係問題、今月に入ってからはジャニー喜多川さん緊急入院と容態情報(フライングもあり)に続く先日の逝去の報で、ここのところの芸能ネタは、ドラマや楽曲、或いは俳優さんアーティスト単体のリアルな話題より、“事務所(じむしょ)”なるものの存在に主役を持って行かれた感があります。

 いつの頃からでしょうかね。一般人シロウトがTVやネットや雑誌で拾った芸能ネタを日常の世間話にするときに「この人やたらCM出てんな、事務所が押してるから」「あの役者は前の事務所辞めるとき揉めたから仕事来なくなったらしいよ」「あの子、ちょっと前誰某と熱愛じゃなかった?続報ないけど事務所に別れさせられたんかな」・・等々、普通にクチにのぼせるようになった。

 月河がTVの芸能番組を大人のマネして、あるいは目を盗んで見はじめた頃、昭和40年代前半~中盤は、“事務所”ではなく“プロダクション”とよく称されていました。

 日曜夜の『シャボン玉ホリデー』をはじめいろんな番組を「押さえて」いたナベプロこと渡辺プロダクションが斯界随一の勢力で、クレージーキャッツや後輩のドリフターズ、クレージーの付け人からピンになった小松政夫さんやなべおさみさん、“三人娘”こと伊東ゆかりさん中尾ミエさん園まりさん、もちろんザ・ピーナッツ等、当時の歌謡曲や洋楽カバー、コントにコミックバンド、およそ「歌とオケと喋りとダンス」でカバーできるエンタメ界全般の有力どころをほとんど傘下に入れていて、まー、こう言っちゃなんだが、概して評判悪かった。

 歌手やタレントの誰某さん単体、もしくは全体的な芸風が嫌いだというのではなく、プロダクション=「タレントに歌わせ働かせて、彼らの才能や人気を商品にしてカネ吸い上げて、タレント本人にはちょっぴりの給料しか払わずピンハネしてる」=人のフンドシで相撲を取って儲けてるヤツらの集まりで「タレントたちは寝る間もなく酷使されて気の毒」という文脈でした。

 素質ありそげな若い子をリスクとってスカウトして、寝る所食費交通費支給してレッスンさせギャラのとれるタレントに育て上げ、大枚の宣伝費つぎ込んで売り出してやる“芸能人・芸能ソフト育成システム”としてのプラスの部分は、残念ながらシロウトの一般視聴者には評価されていなかった模様。

 当時の月河周辺の大人たちの会話を思い出すにつけ、ざっくり第二次大戦以前生まれの、特に女性は、“芸能”“プロダクション”という言葉と概念に、往年の“芸者置屋”、あるいはさらに“巡回サーカスの団長”、いっそ“角兵衛獅子の親方”に近いイメージを重ね合わせて眉をひそめていたのではないかと思います。ふっるーーい!とお笑いめさるな。だいたい東京オリンピック(1964)のちょっと後~大阪万博(1970)の前後の話ですから、団塊世代のおにいさんおねえさんたちがハタチそこそこの若者で、その親世代がまだバリ現役、矍鑠たるおジイちゃんおバアちゃんたちは明治中葉、ヘタすりゃ(しなくても)19世紀の生まれです。戦争が終わって(正確には敗けて)からニョキニョキ俄かに出現して流行り出した、特にカタカナ名前のモノは“ちょっと昔にあった〇〇と同じようなもの”というタームで脳内翻訳しないと受け入れられなかったのでしょう。

 当時はいまほどTVエンタメ番組がお笑い芸人に占有されておらず、月河一家が日本の東~北半分から出なかったこともあって、吉本興業、もしくはその前身の存在感はあまり意識されていませんでしたが、今般の“闇営業”騒動を連日見せられていると、当時の大人たちが(個々の番組やタレントには興じながら)揶揄していた“プロダクションなるもの”のマイナス部分がどうもそのまんま刷新もモデルチェンジもせずに平成~令和と持ち越されてきていたような印象です。

 喜劇の事務所だから喜劇人、お笑い芸人を抱えていろんな舞台や放送番組やイベントに派遣して、芸を披露させてウケさせギャラを取らせるのが主力業務でしょう。それはわかるわ。しかしだよ、抱えるに事欠いて6000人って。絶対、ギャラ取れるレベルの芸に達してないほうが多いわ。シロウトが想像してもわかる。通りすがりの横目立ち聞きじゃなく、わっざわざおカネを払ってでも観たい芸、観たい芸人なんて、そうそう居ないし見かけないもの。

 芸がないんだから食えないのは当たり前で、「自前で食える芸のレベルに、努力して達するまで食わせてやる」という奇特なシステムでもない限り、“闇”を頼りにしなきゃ人として生きてすらいけないのもまた当然。今回は、雨上がり宮迫やロンドンブーツ亮といった、闇じゃなく“オモテ”で十分食えてる面子まで反社への闇営業に加わっていたことが特に問題視されましたが、依然徒弟制度の昔とかわらず“入門が先の先輩から声かかったら義理上断れない”という前近代的な人間関係まで白日の下にさらされました。

 ♪義理がすたれりゃ この世は闇(やみ)だ~  という歌もあります。“義理”の気配がちらつくと、“闇”も闇と認識されなくなってくるのかもしれない。“事務所”を通さないかわり、“義理”をつたって「何日何時にドコソコの店に顔出してくれ」と来たら、なんか、二つ返事で引き受けるほうが人の道にかなっているような気がしてしまうのかも。

 「義理」を辞書で引くと「自身の利害にかかわりなく、人として行うべき道。」「特に、交際上、いやでも他人に対してしなければならないこと。」(三省堂『新明解国語辞典』第七版)と出てきます。

 とりあえず、抱える芸人の数絞ったらどうでしょう。このニュース、続報、何回か聞いた人なら皆言ってると思うのでいまさらですが。引っ張りだこまでいかなくても、月に何本かでも吉本の名前でちゃんと仕事がもらえるレベルの人だけ所属させて、食うに足りない分はバイト世話してやる。努力が実ってお笑いの仕事が増えてきたら、徐々にバイトを縮小させていけるような勤め先を開拓してキープしておくのも事務所の仕事じゃないでしょうか。大阪なら、喜劇演芸好きで若手芸人のサポート引き受けてくれる社長さんも少なくないはず。なんなら傘下の売店や事務員や配達員だっていいと思う。「会社は自分を買って、芽が出ると信じてるからここまでやってくれるんだ」と若手くんも奮い立つはずです。

 あと、言葉の正しい意味通り“manage”できるマネージャーも育てなければいけませんね。芸人と一緒に現場について行って見張ったり監督ディレクターに挨拶顔つなぎだけじゃなく、事務所と芸人と現場=仕事先との回し役になれる、気働きとフットワークのある人。不規則だし激務になるだろうけど、デスクでパソコンとにらめっこしたり、数字の足し引きパーセントいじくったり、物言わぬ商品の箱詰め輸送したりは肌に合わず「芸能の動く現場に居たい」「ユニークな芸人と出会いたい」「芸人が芸をみがいて上に行くのをサポート見届けたい」という若者は、いまの視聴者や観客の中にも必ずいると思う。

 芸能人になってスターになって、一旗揚げたい、華やかにチヤホヤされたいという向きはいつの世にも居て機会をとらえ絶えず参入してきて、養成育成を待たず勝手に自然淘汰されていきますが、“manageのプロ”ばっかりは“事務所”が乗り出さなければ育たない。売れっ子芸人、数字持ち俳優、メガヒットアーティストやアイドルを何人輩出するかも“事務所”にとって死活問題ですが、使える、稼げる“manager”を育てられるかどうかに、これからの“事務所”の存亡はかかってくるような気がします。

 個人的には、この件を契機に、“ほんとうにおもしろい芸のできる芸人”だけが生き残って、芸人起用の番組の質が上がってくれればと望んでいます。『爆笑オンエアバトル』全盛の頃は、“おもしろいネタってのはこれくらい笑えるものだ”“このネタよりさっきのコンビのあのネタのほうがkb多かったのはなんでだろう?”と、観るほうも考えていた。

 なんとなく街歩き、お店探訪、スタジオでクイズ珍回答やアイドル局アナいじりなど、本業の芸のレベル進化度がまったく問われない番組が増え過ぎたことも、芸人の意識を低くし、義理に負けさせていっているように思います。

コメント
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