イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

この際カアちゃんと別れよう

2007-03-28 14:48:37 | テレビ番組

植木等さん、亡くなられましたね。80歳。もうそんなお年だったのかとびっくり。ここ10年ほどはメディアで拝見する機会がぐんと少なくなっていたとは言え、高齢になっても比較的容貌の変わらない方でしたよね。人間、表面張力でなんとかもつのは26~27歳ぐらいまでで、それ以降は、生活が荒んだり精神的に心棒が欠けたりすると体型や顔貌がどんどん崩れます。植木さんは、ブレイクした時すでに30代後半妻子持ち。深夜映画撮影を終えて帰宅して赤ちゃんの寝顔を見て、仮眠して早朝ロケ仕事に出発する毎日だった、なんて話を小林信彦さんの喜劇史本で読んだことがあります。とかく売れると生活が派手になって火宅になる人の多い芸能界ですが、ご家族を愛し私生活も堅実な方だったのでしょうね。

昨年の青島幸男さんの葬儀に人工呼吸器を装着して焼香される姿が記憶に新しく、体調が優れないのかなと思っていたら、長年肺気腫を患われていたそうです。植木さんと言えば浄土真宗のお寺の息子で、お酒は一滴も飲まず声楽の先生の勧めで煙草も嗜まないという、芸能人には珍しいイメージだったのですが、そういう人でも肺気腫になるんだなぁ。

昭和の一時期をリードした喜劇人、と言うより、戦後日本の芸能史を代表する存在だったと思います。彼が“無責任男”のキャラで輝いた昭和30年代後半~40年代前半は、まさにサラリーマン、それも都会のホワイトカラーの時代でした。無責任男は背広ネクタイのサラリーマンのヒーローだったのです。会社の業績も個人の給料もポストも、より大きく、より上へが希求されてやまなかった時代。出世の亡者があふれるがんじがらめな組織社会を、要領とクチ先で泳いで行き♪コツコツやるヤツぁご苦労さーん! と歌う無責任男は、不思議なことに当時の大衆から拍手喝采をもって迎えられました。いまよりはるかに社会全体の勤勉度が高かった時代なのに、“まじめに額に汗して働く者をバカにしている”と不快がる人、怒る人は見事にいなかった。多くの小市民たちが“自分ではとてもできないけど、やれたら気分いいだろうなぁ”と思うことを、スクリーン上で次々やってくれる、そういうキャラだったのです。

“タテ社会の落ちこぼれに見える者が、正統ではないが痛快なやり方で上に立つ者、虚飾に奢り威張っている者をやりこめる”という構図は、たとえば会社ではお世辞にもエリートと言えないけれど、趣味の世界では社長とタメグチ関係な『釣りバカ日誌』のハマちゃん、誰もが蔑む冴えないダメ社員が裏では喧嘩も女も無敵の特命係長『只野仁』などのキャラに受け継がれています。

植木さんの無責任男が受けたのは、演じる植木さんが見るからに冴えない、下積み然としたルックスではなく、むしろ真逆の、共演の誰より背広ネクタイのホワイトカラーが似合う垢抜けたタイプだったということも大きいと思います。七三分け、軽くポマードで撫で付けて前髪をパラリと垂らし、顔もよく見ると結構二枚目、歌えば美声。クレイジーキャッツの面々と比べても、町工場のシャッチョさんタイプのハナ肇さん、小太りの谷啓さん、ガリヒョロの犬塚弘さん、小柄で中性的な(つかオバサンぽい)桜井センリさん、メガネで軟弱風な石橋エータローさん、パシリ新人キャラの安田伸さんらの中で、普通にいちばんカッコいいのが植木さんだった。いちばんカッコいい人がいちばん笑かしてくれるという構図も人気の源でしょう。

植木さんが逝った平成二桁の日本、ホワイトカラーはあまり元気がありません。“ホワイトカラー”というカタカナ言葉を久しぶりに多くの人が思い出したのが先般の“ホワイトカラー・エグゼンプション”ってぐらいなもんでしょう。人減らし、人件費減らしで、給料はますます上がりにくく、ポストは少なく、リストラの足音は迫り、仕事だけなしくずしに質量ともに過重になっていく。トップ経営陣から率先して“無責任”を気どられたら、雇われ使われる者はたまったものじゃありませんが、ローンや教育費がのしかかり「ハイ、それまーでーよー」ともいかない。

こんな息苦しいやりきれない状況にもし人心をとらえるヒーローが現われるなら、背広ネクタイ七三分けではやっぱり苦しいのでしょう。爆発頭に年中Tシャツカジュアルスタイルの若き起業家が一度ヒーローになりかけましたが、コツコツ額に汗することを何より尊しとする向きをもまるごと魅了するまでには至らないまま、失墜してしまいました。先般の青島さんの訃報、団塊世代大量定年にまつわるあれこれとも併せると“昭和去りし後、ヒーロー不在のサラリーマン界”を痛感します。

ところで植木さんと言えば「何である?アイデアル」のCMが有名ですが、当時はまだ月河、TV受信NHKのみの環境に住んでいまして、リアルタイムでは見た記憶がありません。むしろ昭和45~6年頃かな?大塚食品が“ボンカレー”の二匹目の泥鰌を狙って発売した“ボンシチュー”が、CMタレントとしての植木さんの代表作だったようなイメージがいまだにあります。「ボク植木等、コレ大塚のボンシチュー」「ボクボンシチュー、コレ植木等。あ、サカサマ」…この「サカサマ」とドアップで言う時の天下泰平な顔が、まさに昭和の“ザ・植木等”でした。

「♪この際カアちゃんと別れよう~いやーウソウソ、ウソのないのが、コレ!」♪大塚のボンシチュー~ …もうね、植木さんのキャラだけで一押し二押し三に押し、他愛無いのカッタマリの様なCM。レトルトパウチ=奥さんの手間いらず、という、いまからするとどんだけネガティヴなんだ、という発想のフレージングですが、これを成立させてしまう力が、すでに40代半ば、無責任C調キャラで10年やってきた植木さんに当時まだあったのです。“会社ではうまいことやってるけど、家に帰ると女房に頭が上がらない”も、サラリーマンキャラに欠かせない属性。ちなみにこのCMも、別に会社風のセットとかは背景にないのに、植木さん一貫して背広ネクタイだったと記憶しています。

只野仁も、裏で無敵の力を発揮するときの風体は遊び人風だったり、ヘタすりゃ半裸だったりで、背広ネクタイ(とダサメガネ)は“ダメであることの記号”時あたかも卒業・入社式シーズンで、TVにも店頭にもフレッシャーズスーツがアピールされていますが、ホワイトカラーが“しがない”“宮仕え”“頭打ち”“貧乏暇なし”などの翳を帯びずに燦然と輝ける時代は、また来るのでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そろそろ出ないか“ニセ浅見” | トップ | 信じるということ »

コメントを投稿

テレビ番組」カテゴリの最新記事