イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

信じるということ

2007-03-29 20:49:24 | テレビ番組

テレビ東京ドラマスペシャル『復讐するは我にあり』(28日20:00~22:48)、異例の3時間枠でこれは何かニオうなと思い、録画。正解でした。

佐木隆三さんの同名長編ノンフィクションが原作で、91年9月にも『恐怖の24時間・連続殺人鬼西口彰の最期』として、昼ドラでおなじみ中島丈博さん脚本・役所広司さん主演で2時間ドラマ化されており、殺人犯の人間像より、正体を知らずに彼を自宅に泊めてしまった一家の直面するサスペンスにより重点を置いたなかなかの良作でしたが、今作も優るとも劣らない充実作。今年に入ってからの単発SPドラマの中で、いちばんの出来だったと思います。

連続殺人犯(原作・前作では実在事件通りの“西口彰”、今作では“榎津巌”)の幼時からの人間形成史、騙す犯人と騙され餌食になる善人たちとの鍵と鍵穴のような心理模様、昭和30年代日本における情報伝達の社会史や、地縁血縁ムラ社会の光と影など、どこを切っても一分のスキもない緊密な作りで、3時間を少しも長く感じさせませんでした。

五島列島の隠れキリシタンに由来するカトリック教徒一家に生まれ、網元でいっとき隆盛だった父が騙されて判を捺したことで持ち船を失くし夜逃げ。「自転車が欲しいと言っていただろう、くれると言う人がおる」との父の言葉について行くと、そのまま全寮制神学校に送られる。苛酷な戒律といじめに耐えかね逃げ出すが、父が健康を害した実家ではすでに彼を養育する力がなく、学校に送り返されて、校外矯正教育と称して精神病院に監禁。

他人への信義、親への信頼、その親の信仰、いずれも“信じる”ということに敗れ、信じたものに背かれ、「信じれば信じた分酷い目に遭う」と傷口に塩をすり込まれる繰り返しが、漁師になる夢を持っていた少年の心を損ない歪ませて行く過程。榎津の犯罪歴を時系列で追いながら、回想として要所でのストップモーション、ネガポジ反転を効果的に使って表現されます。

血みどろを怖れぬ凶悪な惨殺犯と、黒縁眼鏡に帽子コートの変装で大学教授や弁護士を巧みに騙る知能犯との二面性を、目つきと口元の最大活用で柳葉敏郎さんが迫真演技。立て板に水で弁舌をふるう場面ほど、首から上が微動だにしない不気味さ。視聴者的には悲惨な少年期への同情より、圧倒的に“コワキモい”役どころだけに、柳葉さん引き受けるのは勇気が要ったと思いますが、『華麗なる一族』の三雲頭取役での不完全燃焼はだいぶ解消されたのではないでしょうか。

僧侶でありながら、死刑反対・死刑囚救済の人道活動にいれあげる善意の困ったチャン教誨師=大地康男さん、夫を尊敬しないではないものの、奉仕活動のおかげで借金に追われ疲弊している妻=岸本加世子さんはもちろんですが、こういう人にヘタに信仰なんか持たせちゃダメな見本のような榎津父=塩見三省さん、教誨師妻の実家である旅館を賃借して結構盛業中にもかかわらず借料延滞平気の平左な厚顔夫婦=斉藤洋介さん根岸季衣さん、やたらオーバーアクションで威張ってばっかりのオールバックポマード捜査本部長=古谷一行さん、「ウチは駐在所じゃなく、駐在所に間借りしてる鑑識課員だから、もめごとは持ち込まないで」「お宅死刑反対の活動してるでしょ、ふだんお上にたてついとって、困ったら助けてくださいってどうかと思う」とムラ社会エゴ丸出しで教誨師妻の決死の通報をはねつける駐在員夫婦=木下ほうかさん角替和枝さんなど、登場少なめな脇キャラも、少ない登場場面で必ず一つはキャラの人間性を窺わせる強烈な芝居を見せ、はまってるのなんの。

大地さん、斉藤さん、塩見さん辺りはちょっと前までは“出て来れば決まって悪”の常連だっただけに、悪っぽさを封印、もしくは“悪ではないが善でもない”人間の愚かさ弱さ卑しさに変換してのキャラ表現が実にいい味を出している。

とりわけ舌を巻いたのは、榎津に名を騙られた東京在住老弁護士役にケーシー高峰さん起用。就寝中、警察からの電話照会を受け「警察とは言えこんな時間に何事だ!」と一喝するワンシーンのみの登場ながら、戦中戦後を生きてきた77歳(設定昭和39年時点)の法曹ならかくもありなんという鮮烈なリアリティ。昭和40年代からおなじみ「グラッチェグラッチェ」のエロ医者漫談での“偉そう恫喝調”がこんな形で活かされるとは。恐れ入りました。

教誨師夫婦が底なしの善意と、援助の少ない奉仕活動の日々がもたらす心身の窮乏ゆえに榎津の“活動に共鳴してはるばる東京から手助けに来た弁護士先生”という夢のような虚偽の美味しさにまんまと乗せられてしまい、思想や肩書きやまことしやかな言説にゲタを履かされない目を持つ11歳の次女だけが「指名手配ポスターの写真そっくり」と見抜く…という皮肉も利いているし、OPの榎津の夢=漁船で広い海を駆けるシーンがEDでより長くフィーチャーされるのも“悲しい解放感”があって良かったと思います。

如何せん放送時間が午後8:00からと、まだフル大人の時間とは言えない枠だっただけに、高度経済成長から次第に取り残されて行く昭和30年代地方の前近代的な空気感を表現する暗めの画面、端折ってはいるもののかなりリアルな惨殺シーンなどが、多くの視聴者に受け容れられにくかったかもしれませんが、きれいキレイで笑って流せる軽い作品ばかりでなく、これくらい緻密で重厚な作りのドラマも単発枠、積極的に作ってほしいと思います。連ドラのフォーマット10話~11話でなく一回観れば完結”というとっつきやすさがあればこそできることは多い思うので。

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