1ヶ月ほど流し見プレイにしていたら、『てっぱん』はものすごい勢いでゆるドラマ化していますな。とにかく何でも「“味”“料理”“一緒に食事”で丸くおさまる」週末。この、骨の髄まで“どシンプル”な因数分解っぷりは、いっそ潔い。
「一緒に旨いモノでも食べましょう」が営業でも社内コミュニケーションでも、ご近所付き合いでも、ちょっとテンション低めなナンパにでも、歴史的に汎用されている日本社会ですから、「ひとつテーブルを囲んで舌鼓打ち合えばみんな仲良し、悩みも吹き飛び幸せ気分」は、永遠に当たらずとも遠からずの正解近似値なのかもしれません。
…ただ、朝8:00台、朝食どき、支度どきピークの最中に、TV画面の向こうでも年じゅう料理して試食して「食べよっ」「おいひー」ってやってると、どうもヘンに彼我の境界線が曖昧になり、どうでもよくなってくる。ここのところ画面に対する集中力も、冒頭ユニークで楽しみのひとつだった劇伴音楽鑑賞も、4割くらい体温低下したことは否めません。
劇中の圧倒的なエンゲル係数ならぬ“食”係数に比べると、当初重要だったはずの“音楽”“トランペット”は最近めっきり影が薄いようです。食は生きとし生けるもののベーシックな本能。美味しいものを気心の知れた人たちとわいわい食べれば誰でも多少なりとテンションは上がるでしょうが、音楽に関しては、これだけ有形無形に巷にあふれ返る時代でも、演歌だロックだジャズだのジャンルを超えて“音曲舞踊のたぐいが生来苦手”“そういうものが無いところへ行きたい”という人はいるものです。
あかりちゃん(瀧本美織さん)の生母である千春(木南晴夏さん)にトランペットを買ってやり、彼女が音楽に目覚めるきっかけを結果的に与えたことになる初音お祖母ちゃん(富司純子さん)も、「あの子が楽しそうに音楽の話をするのが、正直、苦手やった」と述懐していました。音楽単体がまるっと縁なしだったら、そもそも娘にトランペットをプレゼントしようと思いつきもしないでしょうから、あるいは初音さん、音楽が苦手というより、音楽に触れてから母親の自分が思いもよらなかった個性を見せ、才能と意欲をふくらませるようになった娘の成長ぶりに違和感をおぼえて、「苦手やった」と表現したのかもしれない。
もちろん母親として受け入れがたかった事どもの中には、千春さんが音楽とトランペットを通じて交流を持った(後にあかりの父親になったのかもしれない)未知の男性の存在もあったことでしょう。
“食”“美味”“料理”の普遍的安全パイっぷりに比べて、“音楽”はドラマの食材としてかなり骨っぽく難物と思われます。音楽を聴いたり演奏したりさえすれば、老若男女あらゆる境遇のあらゆる人が楽しく幸せになるわけでは、実際ないのですからね。
あかり役の瀧本さんは、“(音楽教育は未だしだけれど)聞く人を元気にするトランペットを吹く”という設定に沿うべく、撮影入り前からかなりのレッスンを積んでいる様子です。もちろんアフレコでしょうが、劇中、吹くシーンはすべてアテ振りではなく、本当に吹いているそうですよ。新人瀧本さんの頑張り相応に、“音楽”がちゃんと活きるお話になるといいですが。
いまのところ、瀧本さんのトランペットやかつお武士浜勝社長役・趙珉和さんのトロンボーン、加奈ちゃん役朝倉あきさんのユーフォニアムより、いちばんハラハラするのは岩崎“そしてなぜか”先生(柏原収史さん)の指揮棒振りだったりしますが。
…とは言え、音楽家の中で、自分で音声を発することのない唯一のポジションが指揮者ですからむつかしいっちゃむつかしい。楽器奏者役なら、練習してうまくなる、正しく美しい音程、音色を出すということができるけれど、指揮者役は、どうすればそれらしく見せることができるのか。
病気療養から復帰のニュースが心強い、小沢征爾さんのDVDでも観て、真似て真似て真似まくるのみか。そしてなぜか(↑↑↑ここで記事タイトルへ↑↑↑)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます