ああ、終わってしまいましたねえ『ゲゲゲの女房』。
ここで、最終回放送&再生視聴のあと「ああ…」と間投詞つけて書いた連続モノは『炎神戦隊ゴーオンジャー』(2008年2月~09年2月)以来な気がします。あちらは初期メンバーがスカウトされてゴーオンジャー結成してから放送クールも物語時制でも1年間、ほぼ1話完結しながら徐々にテンション上げて行って、最後のほうはヒーロー側も、敵組織も大好きに。
一方『ゲゲゲ』は昭和7年生まれヒロインの、戦中小学生時代から、バブル前夜の昭和61年初秋まで40数年を、半年の放送期間、伴走させていただきました。いやー、長かったような短かったような。
2週前、イトツ父さん(風間杜夫さん)さよならウィークで、亡くなる数日前に執筆しながら眠りにおちて見た夢の中、自分の青年時代を映画館で観て、見回すと喝采の観客席は自分の亡き両親、尊敬する叔父さん、恩人の活弁士さんなど懐かしい人たちがいっぱい、「みんな一緒におったのか」の場面と、今日のラストシーン、故郷の森でしげる(向井理さん)布美枝(松下奈緒さん)がなじみの妖怪たちに出会ってつぶやいた「なんだ、みんなおったのか」「ずーっと、一緒だったんですね」が見事に呼応。
しげるが描き続けた妖怪たちは、バケモノではなく、この世からは去ったけれど心の中で見守り支えてくれる、大切な人たちの存在、魂そのものだったのですね。
結婚後の初自転車デートで深大寺を訪れ、「取っておきの場所」と新妻布美枝さんを墓地に案内して、「死んで長年月がたつと、人間もおだやかに、まるくなるらしい」「だから古い墓はいい」と言っていたしげるさん。鬼籍に入った懐かしい親兄弟や祖父母、親しかった旧友、戦友たちだけではなく、顔も知らぬご先祖様たち、神代の昔からその地に眠る名もなき魂たち、“見えんけど、おる”神秘なものたちに守られ、ときに力を吹き込まれ、支えられて、私たちは確かに“生かされている”のかもしれません。
最終回、アバンタイトルのほとんどを、イカル母さん(竹下景子さん)の、夫・イトツさん仏前への語りかけ「源兵衛さん(大杉漣さん)と仲良うやってごしなさいね」「私もいずれお邪魔しますけん」が持って行ったのも象徴的でした。しげる&布美枝夫婦善哉物語は、単なる清貧夫婦愛、辛抱してサクセスの狭いお話ではなかった。ふたりの人生の先輩たち、恩人たちとの“見えんけど、ある”絆(きずな)賛歌にほかならなかったのです。
安来の布美枝実家での、源兵衛さん遺影前での親族一同の思い出話には、亡き貴司さんの幼い頃の玩具のラッパが出てきたり、碁打ちの客の接待にミヤコさん(古手川祐子さん)も登志おばば(野際陽子さん)も忙殺されたこと。そしてしげるさんにお酒が禁物なのは、ユキエ姉ちゃんの旦那様・横山さん(中村哲人さん)がいちばんよく知っていて、輝子叔母さん(有森也実さん)も「タイヘンなことになりますけん」と逆太鼓判。
子供たちにせがまれて漫画を描いてやるしげるさん、布美枝さんを目で指して、「ほれ、一反木綿に似とるだろう」、「お父さん、みんな笑って暮らしとるよ」と遺影に語りかける布美枝さん。一夜明けると、「お母ちゃんたち、お見合いから5日で結婚したってホント?」と興味津々で訊く藍子(青谷優衣さん)喜子(荒井萌さん)お年頃姉妹にミヤコお祖母ちゃんは「あんまり早手回しでびっくりしたわ」と懐かしい話ができて嬉しそう。
ドラマ時制で10年、20年、数十年前のあの場面、あの言葉が、いまになって、あのときとは違ったこんなニュアンス、こんな意味を持ってよみがえって来る。長尺多話数、長年月時制で半年間の放送という、平日帯ドラマならではの“持ち時間”の豊富さを、週一ペースのドラマにはない圧倒的な魅力に変えた作品、それが『ゲゲゲ』でした。
平日の昼帯ドラマがほとんど全滅状態(唯一残ったフジテレビ・東海テレビ枠で現行放送中の『天使の代理人』も脚本家リレー競作による週替わりエピソードオムニバス形式、かつ、たったの8週放送)の現状で、“帯のチカラ”を本当に久しぶりに再認識させてくれました。
今日の続きが、明日また観られる。必ず観られる。丹念に作りさえすれば、帯ドラマは生活そのものをライトアップ活性化するぐらいのパワーがある。豪華でもその場限りのぶち抜き枠単発スペシャルドラマや大作ドラマにはないチカラです。
『ゲゲゲ』が“住む人のいなくなった荒地に、久しぶりに来たパイオニア”となって、もう一度、帯ドラマというジャンルが見直されてくれないものか。長尺多話数に「見逃せない」「明日が楽しみ」というテンションをみなぎらせることのできるドラマ作家が育つきっかけになってほしい。そんなことも思った9月最後の土曜でした。
……そしてそれもそのはず、オビと言えば(↑↑↑記事タイトルへ)。
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