『まれ』の、朝ドラとしてのお手柄はざっくり言って、“朝ドラを現代ものにした場合の難しさを、洗いざらい曝け出してくれた”ことです。
現代もの朝ドラの全作が“難しい”わけではなく、全作がハズレ作というわけでもありません。しかし、放送開始~3週4週、5週6週と来て、「・・コレ正直、継続視聴ツラいな」と思った作品、あるいは「ツラいと思ってる客が多そうだな」と感じた作品は、ほぼ例外なく現代ものだったのではないでしょうか。
たとえばまゆげネコ、たとえばラジオぽてと、たとえば蜆汁、たとえばぞめきトキメキ出版、いっそサザンアイランドなど、「はいはいはいはい」と黙認しながら流し見するのが、エピソードを重ねるごと、ゲスト出演者が新参するごとにしんどくなってくる作品。
大正生まれのヒロインが夫と二人の兄の出征を見送り、国民学校の教師として教え子たちと戦中戦後をけなげに生き抜くあの作品なども、現代時制のインタヴュー形式で、老女となったヒロインが当時を振り返る場面が挟まると、人物が全員異様に長命で、一気に嘘くさく、イタくなりました。
アイドル業界を舞台にしたあの作品なんかはブームになったし劇中楽曲も売れたし当たり作だったじゃん!というご指摘もありましょうが思い出してください。あの作品の放送は2013年春~秋口で、設定はメインパートが2008年夏から始まり、最終話は2012年夏。一度も視聴者と同じ河岸の現在時制に追いつくことは無かった。つまりは言葉の正しい意味での“現代”ものではなく、近過去もの、それも現在時制の日本人にとって戦争よりも、原爆よりも生々しい、平穏な日常を揺るがした災厄体験である東日本大震災を挟んでいる。形を変えた“戦前戦中戦後もの”でした。しかもなおかつヒロイン母親の回想パートの1984年~89年がインターバルをおいて併走する念の入りようで、現代ものにつきものの“難しさ”から、非常にスマートに自由になれたクレバー作でした。
そこで最初に戻ります。『まれ』が蛮勇を振るって提示してくれた“現代ものの難しさ”とは何なのでしょうか。
(この項つづく)
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