総合病院の、通院部門を“外来(がいらい)”と呼ぶの、だいぶ前から思っていたんですが失礼じゃないですかね。
いや、失礼とは言わないまでも、あまりにも愛想がないというか。病院としては、入院して院内に寝泊りしている(させられている)患者に対して、まさに院の“外から来る”患者という概念で、何の気なしに呼びならわしているんでしょうけど、なんだか最近悪評嘖嘖たる“こーきこーれーしゃ医療制度”みたい。
“外”で働いたり通学したりそれなりに生きている人が病院へ“来”るのは、診察であれ検査であれ救急であれ、ご家族の付き添いや介助であれ、“まかり間違っても好きこのんで、来たくて来たくて喜び勇んで来るわけじゃない”“苦痛に耐えかねて不承不承仕方なく、武運つたなく無念の涙をのんで(大袈裟か)来ているのである”ってことへの配慮と思いやりが、微塵も感じられない事務的な言葉だなあと思うわけです、“外来”。
各地の、特に公立病院や大学病院で、いつまでたっても“待ち時間のいつ果てるともない長さ”や“医師以下、看護師や事務方の無愛想不親切スパイラル”に関する不満苦情が絶えないのも、“外から来る患者だからガイライ”という、味も素っ気もない思考が根底にあるからじゃないでしょうか。
“外”と“内”という区分は、主体をどこに置くかで決まってくる。この場合、病院側の人間が、自分らが居て組織して衣食のタネにしているテリトリーを最初から“ウチ”と決めてかかって胡坐かいて微動だにしない姿勢が、コロモの下のヨロイの様にちらつくから、患者としては常にではないけど随所で「…あれ?」「おい!」という気分にさせられるのだと思う。
お医者さん看護師さんスタッフの皆さんにとっては、当該病院も医療界全体も、このご時勢に少なくとも薄給ではない給料がもらえ、ボーナス諸手当もそれなりにもらえ、最新知識を摂取し職場ロマンスのきっかけもあり、ご家族ぐるみの福利厚生優待もあり、勝手知ったる居心地良い場所に違いない。しかし“外”から“来”る患者にとっては、“こんな所にこんなに時間を割いて、交通費もつかって来ないですめばどんなにいいだろう”と恨めしい、いまいましい場所なのです。
もう10年以上前ですが、久米宏さんの『ニュースステーション』で、多胎妊娠だか異常分娩だか、とにかく産婦人科医学分野の話題を専門家をゲストにフリップ図解しながら解説した日があって、「久米さんは再三、膣口のことを“入口”“入口”と言及されていたけど、あれは“出口”です」と、特に既婚女性視聴者から抗議と訂正要求の電話が殺到した…なんて話もありました。
まぁそんなことはどうでもいいけど、どうなんだろう。“外来”じゃなく“在宅”患者じゃいけないのかな。なんか、“世の中はオレたち私たち医療界を中心に回ってる”みたいな、天動説的な思考をやめて、“病院にも医療にも縁なくそれぞれの家族とともに職業や趣味や生活を全うするのがいちばん幸せであって、来院する人は来院の時点でもれなくなんらかの敗北感と不幸感を背負って来るのだ”という、患者の身になった惻隠の情が全面にあふれた呼び方を考えてもらいたいと、切に願うものです。
そう言えば、昔、谷村新司さんたちアリスが歌っていた『狂った果実』の2番の歌詞♪ ポケットで折れていたハイライト が、何度聞いても♪ 保健所(ほけんじょ)で漏れていた外来の に聞こえた時期がありました。てっきりその、クチで…えっと何だ、オーラル行為の結果、性感染症に罹っていろいろあせった、みたいな、陰惨ポルノチックなストーリーの歌詞だとばかり脳内翻訳。……この話、前にもここで書いたかな。
さて『花衣夢衣』は第19話。一昨日の17話でいより(田岡美也子さん)が澪(尾崎由衣さん)に将士(眞島秀和さん)の写真(←コレ女の子がいきなり見たら引くだろってぐらい首上だけド正面の、証明写真拡大モノクロ版というか、“生前笑顔の少なかった人の遺影”みたいのが、表紙開いたらドーンとこっちを細目で睨んでるという。気の弱い子なら泣くかも)を見せて「年はあなたより三つ上の23歳」と言うのを聞いてちょっとびっくり。眞島さん(実年齢31歳)の将士、26~7にはなってそうなたたずまいに見えたもので。
真帆(尾崎亜衣さん)の求婚固辞の理由をなんらか察してやれないところ、もう一度会ってくれと「凍え死んでやる」脅迫まがいに雪の河畔で立ちんぼしたりする弁えのなさなどは、確かに“若さゆえ”と絵解きするのがいちばんシンプルだったのでしょうが、眞島さん持ち前の考え深げで悲愴な空気感のせいもあり、どうも“ガラに似合わず”感がここまでのところ強かった。そうか23歳だったのか。
『仮面ライダーキバ』の世界観で言えば、1986年時制の紅音也(武田航平さん)と同い年です。あーーそりゃ女に惚れたら無鉄砲だわ。空気読めないわ。なんだ、こう考えるとやけに腑に落ちるな。
設定の昭和28年に23歳なら、昭和4年か5年生まれ。月河の実家父や伯叔父たちとほぼ同世代で、兵役召集には若年過ぎひっかからなかったものの、10代半ばからの中等教育以降は戦争でいちばん混乱直撃された世代です。呉服屋のせがれ、しかも長兄は早世(戦死?)したらしくもあり、将士は最終学歴どのへんまで行けたのだろうか。大学は志望したのだろうか。入学して全うできたのだろうか。この年代、特に男性は、多かれ少なかれ高等教育に関して「もっとやりたかった」「世が世ならやれたのに」という残念感、不完全燃焼感を引きずって大人になった人が多い。
戦後の荒廃→がむしゃら復興期に嫁取り好適年代を迎え、いちばん浮わつきたかった青春期の盛りを“意に反して無駄にされた、もったいなかった”無念がやはり影を落としたはずです。「せめて結婚ぐらいは、親や世間の言うなりではなく、自分が心から好きになった人としたい」という気持ちは強かったのではないかな。
今日19話では、先頭に立って将士と澪をくっつけようとしていたいよりが、澪母=和美(萩尾みどりさん)の身上を「旦那さんが亡くなる前から画商と通じていてメカケになった女」と調べ上げ、「金沢で修業している双子のお姉さんも男に狂って大変だったらしい」「あーあ失敗したよ」とこれまたずかずかと破談に。
「真帆、キミはなぜボクの愛を拒んだ?いつか後悔させてやる」と陰にこもってた将士、これを聞いて「真帆さんは自分の母親のそういうふしだらを恥じて拒んだのか、そうだったのか納得」ぐらい想像できないかな(違うけど)。
先立って、澪との見合いの後、真帆(尾崎亜衣さん)の本心を尋ねに金沢の工房に押しかけた将士、いっそ玄関先で止めに出た安藤(長谷川朝晴さん)が将士の粘着嘆願一部始終を聞いて「沢木は子供が産めないカラダなんだぞ!だからキサマと別れる決心をしたんだ、ガタガタ言うなおととい来やがれ!」って言っちゃえばよかったのに。真帆がいちばん傷に思う“子供が産めない身体(しかも原因はレイプ妊娠中絶)”、心ある人はクチにのぼせず、彼女に良かれと思って胸にしまっておく。心なく悪意ある伯母なんかは他人の前でもびゃーびゃー暴露しちゃう。
心やさしく思いやりある人が、自分さえ良ければいい人、自分に都合よくない相手は恨む憎むキレる、エゴい人の被害者になるという皮肉な図式が続いています。
それにしても解せないのは呉服屋女主人いよりの狭量。せっかく澪の仕立て仕事ぶりから誠実さや裏表のなさを汲み取ったのに、“母親がメカケ”だけで破談とは。
女性の色気や虚栄心を煽ってなんぼの呉服店なら、そういう立場の女性も少なからず顧客にいるはず。いより自身は戦災死した夫に代わって2人の息子(うち1人は病弱)を育てつつ商売を建て直してきた根性の女ですから、世間で言う“妾”=金満男に囲われの女とは思想が相容れないには違いない。しかし“前近代の残滓濃厚な敗戦国日本で、女が生きて行く身過ぎ世過ぎの様々な有り様”にいちばん理解があるべき稼業のはずです。
顧客の中でも堅気の商家や、勤め人の夫人・子女なら“水商売やお妾衆が贔屓にする店”で着物を買うのを嫌がるかもしれない。しかし呉服商売って店頭にお客さんを雑多に来店させて買わせるものじゃなく、似合いの色柄や価格帯の商品を見立てて持参訪問する言わば“外商”がメインじゃないのかな。あちらの奥方にはいつ何日頃コレを、あすこの小唄師匠には旦那が泊まって御手当くれた後のいつ頃コレを、みたいな仕切りは、やり手女主人ならお手のものだろうに。
ま、金ずくの商売と、息子の嫁選びは別だってことかな。娘は娘時代にはひとりの娘でも、人の妻となり子の親となり中年になる頃には、いつの間にか“自身の母親が子の親となった頃”に似るもの。将士と結婚するのは真帆でも澪でも前途多難そうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます