しかし鈴鹿ひろ美さん(薬師丸ひろ子さん)(@『あまちゃん』)のスタッフも、社運を賭けた新人ならボイトレの基礎ぐらい仕込んだはずだし、“致命的な音痴”“デビューまでに矯正できそうもない”と判明した段階で、デビュー映画主題歌の“本人歌唱”リリースをあきらめようとは思わなかったのかな。ずいぶんと危ない橋を渡った、というか普通に事前計画がラフでワイルドですな。どうにかなるさと一同開き直っていたのかな。
ここで思い出しておきたいのは鈴鹿さんの年齢設定。若き太巻さん(古田新太さん)(ちなみに若くなくなっても古田新太さん)の言う通り、天野春ちゃん(有村架純さん)より“一つか二つ上”だとすると、1985年当時20歳かちょい出たところ。月河も似た近辺だからだいたいわかるのですが、この年代は感性純粋な幼少年期~自意識ピリピリな青春期が、どっぷり昭和、特に40年代仕立てです。
当時の女性アイドルスターは、大先輩の吉永小百合さんを筆頭に、映画やドラマに主演すれば何の恩着せもなく主題歌や挿入歌を歌っていました。青春路線後発の和泉雅子さん、内藤洋子さんもしかり。スターは歌うものだったのです。40年代後半のTV出身アイドル天地真理さん、浅田美代子さん、山口百恵さんなどむしろ歌が本業で、歌で記憶されている向きのほうが多いでしょう。強調する様で悪いですが、浅田美代子さんですら歌っていたのですよ。しかも売れていた。
中でも昭和48年デビューの山口百恵さんの存在感は一頭地を抜いていました。歌で惹きつけ、芝居で泣かせ、しかも溢れるアイドル性がある。芸能界はプロ集団ですから、歌がうまい歌手、演技の優れた女優なんかいくらでもいます。もっと言えば、美人さんで大根の女優だっていっぱいいた。それでも、それだけではなれないのがアイドルっちゅうものなのです。百恵さんより色白肌の子もいたし、脚がすらっとした子も、胴がきゅっとくびれた子も、澄んだ声質で高音の出せる子もたくさんいました。それでも不世出のアイドルになったのはちょっと浅黒めで日本人体形で、低めの深い声の百恵さんのほうでした。
鈴鹿ひろ美さんは、百恵さんデビューの年に小学校2年生です。大映テレビ赤いシリーズの頃は4年生~5年生。そしてあの三島由紀夫の同名小説を原作にした映画『潮騒』も4年生の頃、たぶん親と一緒に観たはずです。主題歌『少年の海』はもちろん百恵さんが歌っています。
芸能界を夢見はじめた鈴鹿さんの原風景に「スターは自分の映画では歌うもの」という刷り込みが出来たことは想像に難くない。この点、1986年の正月映画として『潮騒のメモリー』を企画したスタッフのおじさんたちの感覚も似たようなもので、「新進アイドル主演のアイドル映画だからアイドル歌謡で」と簡単にセットで考えていたのでしょう。「主題歌も歌ってもらうからね」のラフでワイルドなオファーに、「当然です、私アイドルスターになるんですから」とけなげにキラキラ瞳で答えた20歳の鈴鹿さんがいたのでしょう。
鈴鹿さんもねぇ。しかし、歌ってるうちに「なんか、お芝居しているときのようなシッカとした手ごたえが、あれれ?ないかも?」という感触ぐらいはなかったものかな。コンソールルームのガラスの向こうの凍りついた気配とか。そもそも、歌だけで客を呼べるほどではなくても、俳優さんって耳が良くて、かつ発声が出来ていなければできない職業ですから、ミズタク(松田龍平さん)のような絶対音感持ちがおびえて逃げ回るほどの超絶音痴で“演技力だけ抜群”というのもイメージしにくいのだがな。音痴自体演技、期待の新人たる自分を盛り立てるためにスタッフがどこまでやってくれるか見つめつつ「気がついていない」演技、ってことはないのかな。